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五十音の支配を抜けて

結婚するなら、高橋か中村だと決めていた。
小学生の頃の話である。
何を隠そう、私の苗字はア行である。
個人的な感覚だけれど、クラス替え直後の自己紹介はア行から始まることが多いように思う。
いつも先生方は「頭からにしようか、後ろからにしようか」と迷うフリをするものの、なんだかんだ「一番前の方が教卓に出やすいしな」とか「おっ、いま目があったな!」とかなんとか言ってア行を選ぶのだ。

奇しくもア行にかけては学年最強の相原くんと6年間同じクラスだったので自己紹介の一発目は免れたものの、だからといって緊張が和らぐわけではない。
だから私は、頭からでもお尻からでもちょうど真ん中らへんのタイミングで自己紹介できる、タ行やナ行の子に並々ならぬ憧れを抱いていた。五十音が支配する学校生活において、彼らは生まれながらの勝ち組だとひそかに妬んでさえいた。

自己紹介とは、難儀なものである。
どうせ最初の方に回ってくるだろうと覚悟はできていても、背中に、脇に、嫌な汗をかくことは止められない。
自由に好きなことを話していい」と先生は言うけれど、その「自由」はちっとも自由なんかじゃない。
だってあの、最初の5人くらいまでが晒される、ピリリと引き締まった空気。
あんな緊張感の中で、のびのび自分語りを披露できる人間なんて何人いるだろう。
気を抜くと頼りなく震えそうになる言葉を、なんとか後ろの席へと送り出す。
自分の席に戻るや否やへなへなと力が抜ける感覚は、自己紹介の緊張感とともに鮮明に覚えている。

そしてクラスの雰囲気に合わせて内容を変えなければいけないのも、なかなかに厄介。
相原くんがウケたら私も好きな給食のメニューを言おう、ウケなかったら好きな本だけ挙げてさっさと席に戻ろう。
ずるい私は相原くんを実験台にして、自己紹介をやり過ごす術を磨いた。

少し話はズレるけれど、私の小学校には同じ学年に高橋が三人いた。
5、6年生の時に、そのうちの二人が同じクラスになった。
時々先生がうっかり「高橋」とだけ呼びかけて、気の強い方の高橋くんが「どっちの?」と聞き返すのを聞くたびに、なんだかお互いがお互いの影武者みたいでゾクゾクした。
同じ苗字の人がクラスに複数いる可能性があるという点でも、なんて素敵な苗字なんだろうと恍惚とした。
私が「高橋」に強い羨望を抱いているのは、そうしたところにもルーツがあるのかもしれない。

中学に上がっても、高校生になっても、新学期たびに自己紹介の機会は巡ってくる。
そして大抵の場合、ア行からだった。
これはア行の宿命なのだろうか。
自らの運命を受け入れたらしい相原くんは、中学一年の頃にはすっかり自己紹介のプロになっていた。
昔は「なんでまた俺からなの〜」と恥も外聞もなく口をへの字に曲げて、「サッカーが好きです。算数が嫌いです」なんて投げやりな自己紹介を吐き捨てていたくせに。
対する私はア行といえど滅多にトップバッターは回ってこない苗字なので、自己紹介用の話術を磨く努力もせず、「早く高橋か中村になりたい」と後ろ向きな妄想恋愛に耽ってばかりだった。

そんなこんなで高校生活が終わりすべての大学に滑り、予備校生となった春。
私は初めて、高橋さんや中村さんの苦労を知ることとなる。
予備校の先生に高橋良介先生という人がいた(実際のお名前とは少し変えています)。

ある日、担任からもらった時間割に「高橋(良)」と書いてあった。

(良)!!

これじゃ悪い高橋先生もいるみたいじゃないか。

あなたが落としたのは、良い高橋ですか?それとも悪い高橋ですか?
泉から登場した女神の右には良い高橋、左には悪い高橋。
悪いとは思いつつも、ついそんな想像をしてしまう。

ほどよい苗字として私が目をつけていた佐藤や鈴木、田中にも、度々同じ現象が見られた。
バイト先や学内で「田中(太)」「鈴木(一)」といった名前の欠片を目にするたびに、「痩せてる田中」や「鈴木二世」もいるのかと一瞬浮き足立ってしまう。
他人事なのでつい一人で忍び笑いしてしまうけれど、我が事として考えたら全然笑いごとじゃない。
「彼らばっかり下の名前で呼ばれててずるいわ」なんて呑気に羨んでいる場合ではなかったのだ。

しかしその頃から、大勢の人前で真面目に自己紹介をする機会は少なくなっていった。
五十音順に並ばされたり、ペアを組まされるようなことも。
大人になると自己紹介とも五十音とも、ついでに言えば背の順とも、ほとんど無縁になれるらしい。

そしてそんなことに気がついた頃、私はようやく自分の苗字に執着することをやめた。
きっとワ行の渡辺さんもア行の私と同じくらいドキドキしていたはずだし、あれほど焦がれていた高橋くんや中村くんには私の知らない苦労があった。大変なのはみんな一緒なのだ。
それならば、うだうだと考えるのはもうやめよう。

苦行から解放されてしばらく経ち、ビール片手にnoteを漂流していたある夜。
突然気がついた。
……みんな、めっちゃ自己紹介してる。

はじめましての一本目に書く記事として「自己紹介」を選ぶ人はけっこう多く、またそれをプロフィールに設定している人も一定の割合でいる。
自己紹介苦手人間として人生の大半を過ごした私から見れば、これは衝撃以外の何者でもなかった。

みんな、自己紹介が好きなのだろうか。
それとも特に好きではないけれど、とりあえず自分が何者であるかを示すために書き置いているのだろうか。
話すのは嫌だけど書くなら抵抗がないタイプなのだろうか。
ノリノリで書いたんだろうか。
おっかなびっくり書いたんだろうか。

ひとつひとつじっくり読むと、徐々に自己紹介の味わい深さがわかってきた。
そこにはクラスに漂っていた義務感はなく、好きなものや目標、これまでの受賞歴が各々のスタイルで表現されていた。
昔先生が言っていた「自由に好きなことを話していい」って、こういうことだったのかもしれないと思った。
いまだに実際の自己紹介でそれをできる自信はないけれど、noteにはいつか、自己紹介をちゃんと書いてみようかと思う。

そういえば。かつて一人だけ、座席表をバラバラに切って自己紹介をくじ引きでおこなった先生がいた。
序盤に中村くんが当たって、ちょっとだけ、ちょっとだけ、いい気味だと思った。
私はね、そういうやつなんです(自己紹介)。