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ぬか床からシンナー生成疑惑……?

引っ越し先でぬか床を始めてからというもの、野菜の消費量が格段に増えている。
近所で買った小ぶりなにんじんもひょろりとした大根も、ただ漬けておくだけでお弁当のおかずとしてもお酒のつまみとしても一級品に成り上がるのが楽しくて、毎日せっせとぬか床をかき回し、声をかけ、昆布やしいたけなどの栄養を定期的に与えている。軽い気持ちで始めたわりには、よく続いている方だと思う。
最近特にハマっているのは、厚揚げと長芋のぬか漬けだ。

そんなぬかに始まりぬかに終わる日々を過ごしていたある晩。帰宅してぬかタッパーを覗いたら、ぬか床の表面が真っ白になっていた。
カビのような胞子のようなものが、ぬか床からも、ぬか床から飛び出している昆布からも、モクモクと生い茂っている。酸味を抑えるためにそろそろぬかみそ辛子で調整しようと思っていた矢先の出来事だっただけに、自分の対応の遅れが悔やしくてならない。

愛するぬか床の変わり果てた姿に愕然としながらも、表面だけ削ればなんとかならないだろうかと淡い期待を込めて白いものを少し指で掬ってみる。すると今まで嗅いだことのない匂いがツンと鼻をついた。何者かがぬか床にマッキーのインクをぶちまけたような、シンナーの香り。食べものとは思えないほどのケミカルさだった。

白いもののついた指をぼんやりと見ていたら、はたと長芋を漬けていることを思い出した。意を決して手を突っ込み長芋を救出し洗って齧ると、熟れすぎたメロンのようなシンナー風味が鼻を突き抜けた。
奮発して買った最後の一切れだったのに。これじゃあシンナー芋じゃないか。優等生だと思って安心していた我が子が突然グラサンリーゼントで現れたかのような裏切られ感。打ちひしがれながらも結局諦めきれずに全部食べて、一緒に漬かっている大根やにんじんも平らげてしまうか逡巡する。

このまま一気に食べたらヤク中になるかしら。家を出た瞬間にパトカーが待ち構えていて違法薬物所持で逮捕されたりして。ニュースのトップには「埼玉県の女、ぬか床からシンナー生成」という文面が踊り、それを見た闇の組織が米ぬかを買い占め「闇床」ないし「闇ぬか」という名称で法外な値段で売りさばき、ついには『食べるシンナー入門〜おいでよやくぶつの森〜』を出版、大ベストセラーに。闇漬け流行時代が到来する。

そんな恐ろしくもくだらない妄想に脳内を占領されそうになりながら、なんとかぬか床を救えないかと頭の片隅で考える。
そうだ、『女子栄養大学の発酵食のすべて』を見てみよう。この本にはぬか漬けや味噌、麹や納豆、ヨーグルトと、国内外のあらゆる発酵食品の作り方や栄養などの知識が網羅されているのだ。
本当に動転していたので、本当は最短距離で正解を提示してくれるはずの「ググる」という選択肢はまるで頭になかった。

本の入ったダンボールを漁ると、目当ての本よりも先に梨木香歩の小説『沼地のある森を抜けて』が出てきた。これもぬか床の話だ。先祖代々伝わるぬか床を引き継いだ主人公の久美が不思議な沼へと導かれていく幻想的な物語である。ぬか床を持っている人みんなに強く勧めたい一冊だ。一瞬目の前の悲劇から目をそらして本を広げると、ちょうど久美とぬか床の住人の関係が修羅場を迎え、久美がぬか床に辛子粉をぶちまけたシーンだった。

「腐敗防止にはこれがいいんですって。菌の活性を抑えるらしいわ」という彼女の言葉を読んで、そうだ辛子粉入れたろ!カビだって菌だろうし!と弾かれたように立ち上がった。
そして普段使っている黄色いぬかみそ辛子を「喰らえ、カビやろう!」とたっぷり入れたあと、さらにカビを苦しめるべくインドで買った真っ赤なチリペッパーも投入。そして白いふわふわを巻き込むように、強く深くかき混ぜた。

どうかカビではありませんように。
どうかぬか床が復活しますように。
もうぬか床なしの生活なんて考えられないのです。ぬか床のためなら、もう長旅に出られなくてもかまいません。どうか。どうか。

シンナー臭を辛子でかき消すようにがしがし混ぜ続けると、次第にシンナー臭は落ち着いていった。少しホッとして、ようやくググることを思いつく。
「ぬか床 白い カビ」で調べたら、検索結果のトップに「ぬか床の表面が白い時の対処法。あれはカビではない!」とタイトルから結論まで示しているブログサイトが出てきた。
カビじゃ、ない!!
「ハー、レ・ル・ヤ! ハー、レ・ル・ヤ! ハレルヤ、ハレルヤ…♪」
と裏声で喜びを発散させながらブログを読み進める。

私のぬか床を覆った白ふわは産膜酵母という酸素好きな酵母らしく、ぬか床を放置したり気温が高い日になると出てくるそう。
ちなみに、絶対にしてはいけないのは、カビだと勘違いして、ぬか床を捨ててしまうこと」とブログの著者は説く。危ねえところだった……!
ひとまずカビでなくてよかったけれど、辛子の入れすぎでぬか床がダメになってしまったら元も子もないので、少しぬかを足して寝る。
翌朝食べたにんじんにはしっかりと辛子が染み込んでいて、目頭にチカチカきた。まだ食べていないけれど大根も喉から火が捻り出せそうな辛さなんだろうなぁ。
まぁ、シンナーよりはマシには違いないけれど。