「とりあえずビール」なんて
人生で最初に飲むお酒がビールになりがちなのは、飲みの席において「とりあえずビール」と知らぬ間に全員分のビールが注文されていることが往々にしてあるからではないだろうか。
まだビールの独特な苦味を好きになれなかった頃、私は勝手にビールを注文されることに憤りを覚えたり、「とりあえず」とぞんざいに扱われることに同情しビールに代わって憤っていた。
お酒を飲み始めた頃、日本酒もワインも焼酎もピスコもウイスキーもそしてビールも全部「お酒」としてキラッキラに輝いて見えた。
だからなにゆえビールを頼むときだけ「とりあえず」なんて謎の副詞を付けるんだろうと訝しく思っていた。
誰も「満を持しての獺祭」とか言わないじゃん。いや、私は言うけど。
そもそも、「とりあえず」って誰に対して言っている言葉なのだろう。
店員さんや同席者に対して「今はとりあえずビールを飲むけど、今日はガンガン飲むつもりだぜ」という宣言なのか。
はたまた「人数分注文してはやるけれどもあくまでお前さんは“とりあえず”だかんな。調子乗るなよ」というビールに対する牽制なのか。
いずれにせよ、ビールに失礼。
と内心モヤモヤしながらぐびぐび飲んでいたのだが、最近、第三の説を思いついた。
先日分不相応にお洒落なお店に入ったところメニューが斜体かつ英字で、しかも一杯の価格もそこそこするので絶対に失敗するわけにもゆかず……と悶々と注文に悩んだある夜のこと。
散々メニューを裏返したり頭から読み返したりした挙句、「……とりあえずビールで」と、あれほど嫌悪していたフレーズがつい口をついて出た。
これは上記二点とは異なる、苦肉の「とりあえず」だった。
「(他のものを注文する勇気も金銭的ゆとりもないけれど)とりあえずビール(ならきっと間違いないっすよね?)」という前後に多分に言葉を潜ませての、「とりあえずビール」。
うむむ、なんとも恥ずかしい。
いつか堂々と「喜んでビール!」と高らかに頼みたいものだ。
前置きが大変長くなり恐縮ですが、『ビールの最初の一口 とその他のささやかな楽しみ』(フィリップ・ドレルム 著、高橋啓 訳)という掌編集がすごくよかったのでご紹介したい。
仕事帰りの図書館で表題に心撃ち抜かれ、奪い去るようにして持ち帰った本なのだけれど、これがもう、大当たりで。
「ポケットのなかのナイフ」「日曜の朝のケーキの箱」「エンドウの莢むきを手伝う」「歩道のクロワッサン」「不意のお招き」……。
見るだけで物語の予感に心が湧き立つ作品名と、それにふさわしいポエティックな中身。
郷愁も鋭い洞察も抑制された色気も、そして一瞬後には記憶にも残らないような淡い感動も、この本を開けばよりどりみどり。
この麗しい筆致でビールの最初の一口なんて書かれちゃったら、飲まずにはいられないのではないか。読み始めと同時にそんな不安に襲われて、無理やりページを繰る手を止めてビールを買いに。
「最初の一口」を何度も味わうために小さな缶を二つ買い、緻密で豊かな世界に舞い戻る。
そしてついにやってきた、「ビールの最初の一口」。ドキドキしながらプルトップを開け、ビールを構えると。
肝心なのはそれだけ。あとは杯を傾けるほどに刺激がなくなり、粘っこい生ぬるさと、白けた満腹しかやってこない。最後に残るのはたぶん、虚勢もこれで終わりという幻滅……。とにかく最初の一口だ。一口だって? 口の前からもう始まっているじゃないか。まずは唇の上をあの金色の泡と、その泡で増幅された爽快感が通り過ぎ、やがて苦みで濾過された幸福がゆっくりと口のなかに広がる。最初の一口なのに、いかにも長く感じられる! 本能的な渇きを装いつつ、一気に飲む。
こんな調子で熱っぽく語られる「ビールの最初の一口」のおいしさと、それを引き立てるために素っ気なく描かれる、黄金の一口が過ぎ去った後のビールの味気なさ。最初の一口かその他かで扱いがまるで違う。
これは目でも愛でないともったいないやつだ!と今にも口に含もうとしていた缶ビールを慌ててグラスに注ごうと立ち上がったものの、悲しいかな我が家には湯飲み茶碗か観光地で買った馬鹿でかいマグカップしかない。
渋々湯飲みにビールを注ぎ、待ち焦がれた一口を、ついに。
…うんめえええ〜。
巨大な独り言を吐いてしまうほどの圧倒的うまさだった。どうでもいいことだがビールには「おいしい!」より「うまい!」が似合う気がする。それにしても、うまい。「この一杯のために生きている」ならぬ、「この一口のために生きている」と言っても過言ではないうまさ。
ドレルム氏のおかげでとっても素敵な飲みものとして我が元に帰ってきたビール。もう「とりあえず」なんて言わない。
今こそ、全力で迎えようではないか。
