自分の人生を未来につなげるということ

 みなさんごきげんよう。ヤモリーズ5期生の高橋です。

 私はここ3週間ほど連続の研修に出張中です。
 その研修ではほとんどの時間が座学だったのですが,昨日今日はある森林組合の施業している山に入りました。
 普段ヤモリーズの現場以外の山に立ち入ることがないため,他の山を観察する良い機会だと思い,木の様子などを観察していました。
 そして観察していると,入った現場には枝打ちがされていない木が立っているエリアがありました。その低い位置からたくさんの枝が生えている木を見て,ヤモリーズの現場にある木は,誰かが過去に枝打ちをしていてくれたから,あのような材として活用できる木になったんだなぁと思い至りました。

 そして,この「誰かが過去に○○をしていてくれたから」というのが,今回の記事のテーマになります。(長い前振りですみません)

 さて,林業というのは基本的には木を切って材として出すことでお金を得ます。しかし,その切った木は自分が植えている木ではない場合がほとんどです。自分の山であってもお父さんやお祖父さんが植えた木であったり,自分の山でなければ当然誰か他の人が植えた木です。
つまり,他の誰かが昔やってくれたことの恩恵を,今の私が受けている,ということになります。

 ところで,この「他の誰かが昔やってくれたことの恩恵を,今の私が受けている」ということに思い至ると必ず思い浮かぶ言葉があります。それは新約聖書の中のイエス=キリストの言葉で

「地に落ちて死なぬ一粒の麦はただ一粒のままである。だが死ねば多くの実りを結ぶ」

というものです(日本語訳は色々あるのですが,だいたいこんな感じの意味の訳です)。
 私はクリスチャンではなく仏教徒ですが,この聖書の言葉はとても好きです。
 この言葉の解釈は様々な次元においてなされ得るのですが,私は「一粒の麦」というのを一人の人間,というか私自身と捉えていて,それが自分の満足,達成感,自己実現といった範囲で留まる生き方を「地に落ちて死なぬ一粒の麦」,逆に自分の人生を人のために費やすこと,自分の命を人のために使うこと,社会実現といった範囲にまで及ぶ生き方を「死ねば多くの実りを結ぶ」生き方だと捉えています。そう解釈するなら,「自分の満足のために生きるのではなく,自分の死の後に残る物(者)を考えて生きる」という精神と捉えることができ,そういう精神を私はとても美しいと感じます。

 そして,私はこの精神は林業において実現され得ると考えており,またそれが,私が林業を生業にしようとして理由の一つでもあります。

 私が山を間伐したり,作業道を作るのは,ただ私のためだけにはなりません(もちろん生業としているので,私のために「も」なります)。その山の木を間伐することは残した木のより良い成長につながるし,作業道を適切に作れば生命の依存している表土層の流出を防ぐ治山工事になります。そうすることは,私の後の世代の人により価値のある山をつなげることになります(資産的価値だけではなく,文化的,環境的価値等を含む)。
 自分の今費やす労力によって,自分が潤い,そして自分以上に未来の世代を潤す。それを実現できるのが,林業だと思っています。

 林業に従事することで少しずつでもその精神を自分の中に養い,「地に落ちて死ぬ麦」になれるよう,日々精進していきます。

 毎日座学ばかりで頭を使っていたからか,なんとも大仰な話題の記事になってしまいました。来週からは現場に入る日々に戻るはずなので,次回の記事ではもう少し地に足の着いた内容にしたいです。

 お粗末様でした。

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