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米津玄師を表現活動へと突き動かす原動力は何か。その答えは、「空想」の中にあった。

6/29(木) 米津玄師 @ 横浜アリーナ

米津玄師の全国ツアー「空想」の横浜アリーナ公演(2日目)を観た。

今や、前代未聞のスケールを誇るポップアーティストとなった彼のライブ会場としては、もはや横浜アリーナのキャパシティはあまりにも小さすぎると言える。それ故か、今回のツアーにおいては横浜アリーナ公演が全4公演あり、またその前には、さいたまスーパーアリーナ公演が2日間にわたり行われていたのだが、今このタイミングで、巨大な支持と期待を一身に引き受ける彼の堂々たるステージを、横浜アリーナ規模の会場で観られたことは非常に幸福なライブ体験だった。


今回のライブにおいて鮮烈なハイライトを担っていたのは、昨年から今年にかけて次々と発表された新曲群であった。壮大な世界を高らかに描き出してみせた孤高のロックバラード"M八七"。自身のロックサイドを豪快に覚醒させながら打ち放った鮮烈なロックチューン"KICK BACK"。世に溢れるポップソングに対する痛切な皮肉とどうしようもないほどの愛を同時に表した"POP SONG"。そして、かつてないほどに自然体でカジュアルなフィーリングを伝える端正なポップス"LADY"。そのどれもが、特大スクリーンに映し出された映像演出と緻密な照明演出、そしてそれぞれの楽曲世界を鮮やかに彩るダンサーのパフォーマンスと相まって、まさに総合芸術の極致とも呼ぶべき圧巻のライブ表現へと昇華されていて、何度も何度も圧倒されてしまった。


このようにハイライトとなったシーンを挙げていくとキリがなくなってしまうが、今回のライブを通して何よりも感動的だったのは、表現者・米津玄師を突き動かす原動力の正体を、豊かな実感を通して感じ取れたことであった。

米津は、終盤のMCで、今回のツアーのタイトルになっている「空想」という言葉について、自らの想いを丁寧に語った。彼は、幼い頃からフィクションの世界、つまり「空想」の世界に強く惹かれ続けてきた。様々なクリエイターの作品に触れた経験、彼の言葉を借りれば、そうした数々の作品を「観てしまった」「聴いてしまった」「体験してしまった」経験が、強烈な、そして不可逆的な原体験となり、それが今もなお、彼を創作活動へと向かわせる原動力になっているという。米津はそれを、「祝福であり呪いなのかもしれない。」と言い表していた。彼が胸の内に抱く表現者としての業を言い表す言葉として、とても的確で、何よりも切実な言い回しだと感じた。


米津の歩みを振り返ると、彼は、2012年に本名名義でリリースした最初のアルバム『diorama』を完成させた時点で、既に、自分一人のみでできることを全て表現し切り、その後すぐに、自分以外の他者との共同制作へと創作活動の舵を大きく切っていった。つまり、自身のキャリアにおける極めて初期の段階で、自己から他者へ、つまり、自己の内面世界の先に広がる果てしないポップの地平を目指し始めた、ということになる。

そして、その決断は絶対的に正しかった。2014年、それまで一貫してセルフプロデュースで音楽を作り続けてきた米津が、初めて外部プロデューサーを招き制作した楽曲が、"アイネクライネ"だった。蔦谷好位置とのタッグによって、J-POPとして響き得る普遍性を帯びた音楽を作り上げた米津は、その後も、次々と自分以外の他者とのコラボレーションを通じて、数々の楽曲を生み出し続けていく。その過程で生まれたのが、"打上花火"や"灰色と青(+菅田将暉)"をはじめとした数々の名曲たちだった。

米津は、DAOKOや菅田将暉をはじめとした同時代を生きるミュージシャンとのコラボを重ねながら、並行して、様々な表現領域のクリエイターと果敢にタッグを組み始めていく。先ほど、彼の原体験、つまり、自らの人生観を不可逆的に変えた作品を「観てしまった」「聴いてしまった」「体験してしまった」経験について触れたが、"M八七"(ウルトラマン)も、"KICK BACK"(チェンソーマン)も、"POP SONG"(PlayStation)も、まさに、自分以外のクリエイターの作品から受け取ったエネルギーやインスピレーションを、彼自身の回路を通して昇華させることで生まれた楽曲たちであった。一言で言ってしまえば、タイアップソングということになるのだが、先人のクリエイターへの尊敬の念や、同時代を生きるクリエイター同士の深い共鳴に基づいたコラボレーションが成立しているという意味において、これほどまでに幸福なタイアップソングを次々と連発しているアーティストは稀であると言える。

先ほど触れたライブ終盤のMCで、自らを表現活動へと向かわせる「空想」について語った米津は、続けて、『FINAL FANTASY XVI』のテーマソングとして書き下ろした最新曲"月を見ていた"を披露した。『FINAL FANTASY』シリーズは、彼いわく「人格形成に多大な影響を及ぼしたんじゃないか。」というほど思い入れの深いゲーム作品である。それ故にこの曲は、シリーズ最新作への深い愛と、同作を作り上げたクリエイターたちへの並々ならぬリスペクトが込められている。「空想(FANTASY)」と題されたツアーにおいて、この楽曲が披露されたことの意義は、あまりにも深いものであったと思う。


そしてもちろん、米津に鮮烈な体験をもたらしたクリエイターは、映像作家や漫画家、ゲームクリエイターだけではない。今回のライブの1曲目として披露した"カムパネルラ"は、彼が高校生の時に読んだという宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』の登場人物の名前を曲名として冠した楽曲であり、今回のライブの幕開けと幕締めにおいて、銀河鉄道を想起させるアニメーション映像がビジョンに映し出されていたことからも、米津が宮沢に寄せる想いの深さがうかがえる。

また言うまでもなく、米津は、同時代を生きるミュージシャンたちからも絶大な影響を受けている。特筆すべきは、"Nighthawks"の間奏で、BUMP OF CHICKENの"天体観測"のギターリフが引用されていたことだった。小学生のある時まで、米津にとっての人と繋がるためのツールは絵であり、彼は絵を描くことを通してこの世界と向き合い続けてきた。しかし、小学生の時にインターネットを介してBUMP OF CHICKENと出会ったことによって、そのメインのツールが絵から音楽へと変わった。その出来事について、彼は2016年9月号の「CUT」で「自分の人生の中で一番の転機」であると語っていた。今回、稀代のロックアンセムのリフの引用の後に歌われた《懐かしい音楽が頭のなかを駆け巡る/お前は大丈夫だってそう聴こえたんだ》という言葉は、まさにBUMPの音楽を聴きながら年を重ねてきた米津自身の想いそのものであり、"Nighthawks"に自らのルーツをまっすぐに打ち明けるアレンジを施したことは、まさに自身の創作活動の原点を伝える「空想」ツアーならではの計らいであったように思う。

そして、この日のアンコールにおいて披露された"PLACEBO + 野田洋次郎"は、彼が敬愛するRADWIMPSの野田洋次郎とのコラボレーションによって制作された楽曲であり、今回は単独での歌唱であったが、同曲における《走り出したハートを攫って/繋いでいけビートの端くれ/薫る胸に火を灯せ/踊り明かそう朝まで》という一節は、今回の「空想」の文脈を踏まえると、本来のラブソングとは異なる意味合いが浮かび上がってくるような気がしてならなかった。憧れの先輩ミュージシャンたちの想いを、自ら継承していく。そして、未来へと繋いでいく。そうした果てしない気概すら感じさせるような素晴らしい名演であった。


総じて、今回のツアー「空想」のライブパフォーマンスを通して、彼の表現者としての原点に、かつてないほどダイレクトに迫ることができたような気がする。そして、そうした原点に滲む情熱は、今もなお彼を創作活動へと力強く突き動かし続けていることを再確認することができた。表現にかける情熱を通じて、先人たち、もしくは同時代を生きるクリエイターたちと共鳴し合いながら、米津はこれからも新しい音楽を作り続けていくのだと思う。これはただの希望的観測も込みの推測に過ぎないが、これからもまた次々と、今はまだ想像もできないスケールを誇るタイアップソングが生まれていく予感がしている。期待して、続報を待ちたい。




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