沈黙の占い師 | 隠す夜
自分の顔が、
思い出せなかった。
夜のコンビニのガラスに、
私が映っている。
私のはずなのに、
知らない人を見ているようだった。
白いマスクに隠れて、
表情はほとんど見えない。
目元だけが、
静かに浮かび上がる。
笑っているのか。
疲れているのか。
わからない。
風邪を引いているわけでもない。
花粉の季節でもない。
それでも、
マスクは外せない。
朝、家を出る前。
鍵や財布を確認するように、
マスクを手に取る。
もう考えなくても、
身体が先に動く。
駅まで歩くだけで汗がにじむ。
電車に乗ると、
少し息苦しい。
それでも、
外そうとは思わない。
会社に着く。
「おはようございます。」
いつもの挨拶。
いつもの席。
いつもの仕事。
マスクをしているだけで、
少し安心する。
口元が見えない。
無理に笑わなくてもいい。
納得していない顔も、
疲れた顔も、
隠せるから。
「疲れてる?」
「何かあった?」
そう聞かれることも少ない。
表情を説明しなくていい。
それが、
少しだけ楽だった。
気づけば、
隠している時間のほうが、
素顔でいる時間より長くなっていた。
会社では、
「いつも落ち着いていますね」
と言われる。
でも、
本当は違う。
会議で、
自分の提案を横取りされても笑う。
理不尽な仕事を頼まれても、
「大丈夫です」
と答える。
マスクの中で、
荒い息を吐き出しても、
誰にも気づかれない。
…………
家に帰れば、
親から電話が入る。
子どもには、
「今日どうだった?」
と笑って聞く。
自分の話は、
あとでいい。
今日も、
誰かを優先して一日が終わる。
50代になると、
役割ばかりが増えていく。
会社では頼られる人。
家では支える人。
気づけば、
「私」は後回しになる。
マスクは、
口元だけを隠しているわけではない。
疲れも。
弱さも。
言えなかった本音も。
「もう無理かもしれない」
その一言まで、
静かに隠してくれる。
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沈黙の占い師のひとりごと
「マスクをしていると、
楽なんです。」
そう話す人がいた。
「笑わなくてもいいし。
疲れた顔も隠せるし。
余計なことを聞かれなくて済むんです」
しばらく沈黙が流れた。
そして、
その人は小さく笑った。
「本当は……
人に心を開くのが、
少し面倒になってしまって」
その言葉が、
胸に残っています。
マスクが隠しているのは、
口元だけではない。
「大丈夫です。」
と言い続けてきた年月。
我慢した日々。
飲み込んできた本音。
人は、
マスクを外せないのではない。
長い時間をかけて、
素顔を忘れてしまうことがある。
だから私は、
答えを急ぎません。
その人が、
もう一度自分の顔で笑える日まで。
沈黙のまま、
またお会いしましょう。
