見出し画像

「さよなら」を選んだ日から、ずっとあなたがいる

「……もう、終わりにしよう。」

その言葉を口にした瞬間、自分の心がひび割れる音がした。
彼は少しだけ目を伏せて、それから静かに「わかった」と言った。
責めることも、泣きつくこともせず、ただ受け止めてくれたその声が、今でも耳の奥から離れない。

部屋に残ったのは、ふたりで選んだカーテンと、並んで撮った写真。
そして、最後まで言えなかった「本当はまだ好き」という言葉だった。

別れてからの毎日は、静かすぎて怖かった。
朝起きても、おはようの通知は鳴らない。
休日にふらっと出かけても、「どこ行く?」と聞いてくれる声はない。
それでも時間は進んでいく。
笑っているふりもできるし、仕事だってこなせる。
だけど、夜になるとどうしようもなく彼を思い出す。

思い出は、ふとした瞬間に襲ってくる。
信号が青に変わる一瞬、となりにいた横顔を思い出す。
風が冷たい朝、ポケットに手を入れてくれたぬくもりを思い出す。
「寒くない?」と笑ってくれた声が、耳の奥で蘇る。

失ってから気づく。
あの時間は、私のすべてだった。
喧嘩も、沈黙も、全部が“愛していた証”だったのだと。

季節が二つ、過ぎた。
忘れようとするたび、忘れられないことが増えていった。
そんなある日、駅前の雑踏の中で、不意にその人がいた。

目が合った瞬間、世界が一瞬止まった気がした。
彼も気づいて、少し驚いた顔をして、そしてふわりと笑った。

「久しぶり。」
「……うん、久しぶり。」

それだけで、涙が出そうだった。
言葉にできなかった思いが、胸の奥からあふれ出す。

「元気だった?」
「まぁ、なんとか。」

どちらも嘘だった。
私は“なんとか”じゃなかったし、彼も“元気”なんかじゃない顔をしていた。
けれど、それ以上は踏み込めなかった。もう、過去の人だから。

それでも、どうしても言いたい言葉があった。

「……ありがとう。私、あなたといた時間が本当に好きだった。」

震える声で、やっと伝えた。
彼は少し目を伏せて、それからまっすぐに私を見て言った。

「俺も。幸せだったよ。」

その瞬間、涙が頬を伝った。
人混みの中、私たちは立ち止まったまま、ただ静かに微笑み合った。

もう、あの頃には戻れない。
けれど、あの人と過ごした時間は、私の人生をやさしく照らしている。
あの恋があったから、私は今、自分の足で前に進める。
傷ついた夜も、涙に濡れた朝も、全部が“生きてきた証”だ。

「じゃあ、元気でね。」

最後の言葉は、風に消えそうなほど小さかった。
でも、その一言に、たくさんの“ありがとう”と“さよなら”と“愛していた”が詰まっていた。

彼が人混みに紛れて見えなくなっても、涙は止まらなかった。
悲しいだけじゃない。
大切に思えた時間が、確かにそこにあったことが嬉しかった。

――さよならを選んだ日から、ずっとあなたがいる。

それはもう恋ではないのかもしれない。
けれど、確かに私の一部として、あなたはここにいる。
そして、それこそが、私にとっての「幸せのかたち」だったのだ。

いいなと思ったら応援しよう!