呪いを使ったとして停学になった話 ―― 1999年オクラホマ「ユニオン魔女裁判」の記録
1999年に、アメリカで本当にあった話なんですよ。
中学生の女の子が、「呪いをかけた」として停学処分を受けたんですよ。
魔法が使えるという証拠は何もないんですよ。裁判所で争える類の証拠が、何もないんですよ。それでも学校は停学処分にして、連邦裁判所まで争いが持ち込まれたんですよ。
いやもう、1999年の話ですよ。インターネットが普及して、スマートフォンがそろそろ出てくる頃の話ですよ。セイラムの魔女裁判から300年以上経った後の、21世紀直前の話なんですよ。
この事件は後に「ユニオン魔女裁判(The Union Witch Trial)」と呼ばれることになるんですよ。
今日はその記録の話をします。
ブランディ・ブラックベアという話
まず当事者の話をするんですよ。
ブランディ・ブラックベアは、オクラホマ州タルサ近郊のユニオン・インターミディエイト・ハイスクールに通う女子生徒なんですよ。父親のティムはチェロキー族のネイティブ・アメリカンで、家族は地元の労働者階級の家庭なんですよ。
ブランディの趣味は小説を書くことで、スティーヴン・キング的なホラー小説を書いていたんですよ。服装はちょっとゴシック系で、クラスの「普通」とは少しズレたタイプだったんですよ。
本当ですかね。つまりある種の学校では目をつけられやすいタイプなんですよ。
宗教的な立場としては、ブランディはカトリック教徒なんですよ。ウィッカ(自然崇拝を中心とした現代の異教)についてはある時期に学校の図書館にあった世界の宗教に関する本で読んで興味を持った程度で、信者でもなんでもないんですよ。
これが大事な話なんですよ。後で効いてくるんですよ。
1999年春、最初の停学の話
コロンバイン高校銃乱射事件が1999年4月に起きているんですよ。
何ですか、その「コロンバインが起きた」。
この事件以降、アメリカ全土の学校が過剰なほど敏感になっていたんですよ。生徒が暴力的な小説を書いていれば疑う。黒っぽい服を着ていれば目をつける。「普通じゃない子」への警戒感が急激に高まっていたんですよね。
ブランディが通う学校もそうで、誰かが「ブランディがバッグに銃を持っている」という噂を流したんですよ。
学校側がバッグを検査したんですよ。
銃は出てこなかったんですよ。当然なんですよ。
でも代わりに出てきたのが、ブランディが書いていたホラー小説のノートなんですよ。学校はそのノートを没収して、内容を問題視して、19日間の停学処分を下したんですよ。
本当ですかね。
銃を探したら銃がなかった。でもノートの内容が怖かったので停学にした、という話なんですよ。
1999年12月、呪いの話
本番はここからなんですよ。
同じ年の12月、ブランディの担当教師が体調を崩して入院するんですよ。
いやもう、教師が倒れたんですよ。それはその先生にとって不幸な出来事だったんですよ。でもそこで副校長のチャーリー・ブッシーヘッドが出した結論が、こうなんですよ。
「ブランディが呪いをかけたのではないか」と。
何ですか、その「呪いをかけたのではないか」。
ブランディはウィッカに関心があると知られていたんですよ。だから教師が倒れたのはブランディの仕業かもしれない、という話になったんですよ。
証拠は何もないんですよ。呪いが実在することを示す科学的な根拠も何もないんですよ。
それでも学校はブランディを呼び出して事情聴取して、15日間の停学処分にしているんですよ。
本当ですかね。1999年の話ですよ。
ブランディの父ティムは後にこう言っているんですよ。「2000年に、自分の娘を学校自身が持ち込んだ魔術の訴えから守るために裁判所に立つことになるとは、信じられない気持ちだ」と。
ここで少し冷静な話をするんですけど
コロンバイン以降の「学校の過剰防衛」という文脈を抜きにして、この事件は語れないんですよ。
ゼロ・トレランス政策というのがあって、これはどんな些細な「脅威の可能性」にも容赦なく対処する、という学校運営の方針なんですよ。理念としては理解できるんですよ。本物の危険を見逃さないために、どんな兆候も無視しない。
でもゼロ・トレランスは判断の裁量を限りなく小さくするんですよ。「これは本当に危険なのか」を考えるより「とにかく対処する」方が楽になるんですよね。
ブランディのケースは、この仕組みが暴走した事例なんですよ。ゴシックな服装、ホラー小説、ウィッカへの興味、という要素が「コロンバイン後の学校の不安」と組み合わさったとき、根拠のない呪い疑惑が停学処分まで直結してしまったんですよ。
ぼかぁね〜、これは「学校が馬鹿だった」という単純な話じゃないんですよ。合理的な安全確保の仕組みが、判断を停止させたときに何が起きるかという話なんですよ。
何ですか、その「判断を停止させたとき」。
ACLUとユニオン魔女裁判の話
ブラックベア家はACLU(アメリカ自由人権協会)のオクラホマ支部に相談して、2000年10月に連邦裁判所に提訴するんですよ。
訴えの内容は三つなんですよ。ウィッカ信仰を理由にした宗教差別。ノート没収と停学処分での適正手続き違反。そしてウィッカに関わるあらゆるシンボルの着用・描写を禁止したこと、なんですよ。
ACLU側の弁護士はこう言っているんですよ。「クリスチャンの生徒たちは十字架のシンボルを自由に身につけているのに、ウィッカ関連のシンボルだけ禁止されていた」と。
この訴訟がメディアで広がって「ユニオン魔女裁判」という名前がついたんですよ。ピープル誌にも取り上げられ、TODAYショーにも出たんですよ。
本当ですかね。
判決と、その後の話
2002年7月、連邦地裁判事クレア・イーガンは学校側の勝訴判決を出すんですよ。
理由が複雑なんですよ。
判事は「ブランディは宗教的信念としてのウィッカを真摯に信じていないと自ら証言した」という点を重視したんですよ。ウィッカを信じていないなら、宗教の自由を侵害されたとは言えない、という論理なんですよ。
何ですか、その「信じていないなら権利がない」。
さらに判事は「ブランディ自身が、宗教は停学処分の理由じゃなかったと認めた」とも書いているんですよ。
本当ですかね。でもそれは「呪いをかけたという疑いで停学にしたこと」の正当性の話じゃないんですよ。
判決後、学校側はブラックベア家に訴訟費用6,000ドルを命じるんですよ。払えない家庭なんですよ。最終的に「払わなくていい代わりに控訴も取り下げろ」という形で決着するんですよ。
いやもう、これが一番怖い話なんですよ。裁判で負けた上に、控訴する権利まで実質的に奪われているんですよ。
2006年、ライフタイムTVがこの事件を「Not Like Everyone Else(みんなと違っていいじゃない)」というタイトルで映画化しているんですよ。
結局、ユニオン魔女裁判は何だったのか
答えは出ないんですよ。
呪いなんてなかったんですよ。ウィッカの魔法が教師を病気にしたわけじゃないんですよ。誰もそれを証明する必要もなかったのに、子どもが停学になって、家族が裁判に引きずり込まれたんですよ。
セイラムの魔女裁判は1692年の話なんですよ。でも「違う子を恐れる集団の論理」は、300年経ってもまだ学校の教室の中で動いていたんですよ。
本当ですかね。
コロンバインの後だったから、というのはわかるんですよ。不安が高まっていた、というのもわかるんですよ。
でも「呪いをかけた疑い」で停学にした学校と、それを連邦裁判所が実質的に認めた、という記録は残っているんですよ。消えないんですよ、この記録は。
ブランディ・ブラックベアという名前も、消えないんですよ。
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