【小品/処理後ログ】 風の民は、走る神馬を受け止める
【本編とは関係のない、どうでもいい話です。ただし、登場人物は同じ】
新春の喧騒に沸く商業施設。
人混みを縫うようにして爆走する影があった。
Lだ。
右手に、直径10cmはあろうかという、巨大な「 イベリコ豚の肉串」。
左手に、顔の3倍はある、パステルカラーの三層「ジャンボわたあめ」。
「どいて! そこをどいてください……!
急がなければ、ぼくたちの『最高の新年』が冷たくなってしまう……!」
その姿は、手綱を失い、ただ一点のゴール(V)を目指して爆走する、
気高き栃栗毛そのものだった。
無表情でありながら、眸には狂気にも似た忠誠の炎が宿っている。
疾走の風圧で、肉汁が頬を伝い、
飛び散った砂糖菓子が髪に付着しても 彼は止まらない。
時折、 風に煽られたわたあめが視界を 塞ぐが、大した問題ではなかった。
彼はすでに「心眼」 でVの魂の座標をロックオンしているからだ。
「V……待っていて。今、きみの元に肉と砂糖の楽園(エデン)を届けるからね……!」
背後には、彼のあまりの勢いに呆然と立ち尽くす買い物客たち。
そして、その直線上のはるか正面には、
「マズイ、また始まった……」とフリーズするVの姿があった。
彼女の目には、
パステルカラーの雲をなびかせながら、
脂ギッシュな塊を掲げて突進してくる「愛すべき神馬の暴走」が、
克明に、そしてあまりに絶望的に映し出されていた。
Vは知っている。
Lの体と地球の間には、おそらく「走る=転ぶ」 という、
解除不能なサブスクリプション契約が結ばれていることを。
「走る」という行為は、 一般的には目的地へ早く着くための手段だ。
しかし、 Lにとってのそれは、
「 最も速やかに地面と親睦を深めるための儀式」に他ならない。
一歩踏み出し、速度が一定の閾値を超えた瞬間、 宇宙の法則が牙をむく。
右足と左足が突然「自分たちの役割」を忘れるのだ。
「あれ? 次はどっちが出るんだっけ?」
「そっちだよね、知らんけど」
そんな細胞レベルの無責任な会話が聞こえたと思った次の瞬間、
視界はドラマチックに回転し、空が足の下に来る。
いつものことだ。
彼は今日も何ひとつ学んでいない。
Lの右腕を支配するのは、滴る肉汁とスパイスが醸し出す「野性」の猛々しい圧力だ。
「この肉の断面に宿る褐色の奇跡……この熱量を、一刻も早く届けなければ」
手首を伝う熱い雫も構わず、Lは湯気の昇龍を従えて走る。
一方、左手の指先に宿るのは、砂糖の粒子が織りなす「幻想」の静寂。
「これは、天に浮かぶ瑞雲(ずいうん) を物質化したものに違いない。
これを肉と一緒に食べれば、 口の中で宇宙の誕生(ビッグバン)が再現されるはずだ」
わたあめは、 疾走する風圧で少しずつ形が歪み、雲のようにたなびいている。
前方に佇む“目標物”を捕らえた瞬間、Lの瞳孔が一気に全開した。
「ぼくは今、光速を超えているーー!」
そう確信した瞬間、宇宙が動いた。
「あ……」
Lはいつも地面を爆発させるような勢いで、完璧すぎるスタートダッシュを切る。
Vは確信していた。
あの忌々しい「解除不能な契約」さえなかったら。
Lが数歩に一度、自らの足ともつれ合う絶望的なバグさえ持っていなかったら。
おそらく彼は、この地球上で最も速く、
最も優雅なスプリンターになっていたはずだと。
LはVのためなら、光になると決めている。
ならば、とVは思う。
「ならば、わたしもだ」
いつの間にか、Vの靴底が地面を猛烈に蹴り上げていた。
「わたしは、貴方のために風になる」
細く、柔らかく、そして壊れ物のような大切なLの身体が、
無慈悲な地面に叩きつけられる瞬間を、一秒たりとも許してはならない。
「あの人を受け止めるのは、わたしだけ」
この硬く、冷たい大地に、彼を渡す訳にはいかない。
Lがバランスを崩した瞬間、無意識に走り出していたのは、
彼女の意志ではなく、もはや生存本能に近い「条件反射」だった。
おそらく、細胞の奥深くに配置された双方の「核」が、一瞬で共鳴したのだろう。
理屈は不用。
守るべき対象、それこそが世界の真理。
Vは今、全速力で「墜落する神の子羊」へと手を伸ばした。
ーー回避は不可能。
コンマ数秒の静寂の中、Lの脳内コンピュータは冷静な解答を弾き出した。衝突のエネルギーを分散させ、
愛するVへと捧げるべき「至宝」を死守するため。
そのために彼は、反射的に身体を捻り――そして、文字通り新春の空へと舞い上がった。
右手の肉串が、Lの手を離れた。
舞い上がる「イベリコ」。
慣性の法則という抗えぬ神の定めに従い、肉汁滴る肉塊は、
美しい放物線を描いて冬の空へ。
空中でスローモーションになったLの眸に、
太陽の光を反射してダイヤモンドのように輝く「肉汁の飛沫」が映り込む。
それはまるで、新年の幕開けを祝う黄金の紙吹雪のようだった。
「……ぼくの忠誠心が金のスペクトルに変換されて、新年の空を支配している」
自分の窮地も忘れ、Lはこぼれ落ちる宝石(脂)に見惚れた。
しかし、悲劇は右手に留まらない。
霧散する「瑞雲」。
左手のジャンボわたあめは、Lの回転が生み出した猛烈な遠心力に耐えきれなかった。
パステルカラーの巨大な雲は、竹串という名の重力から解き放たれた瞬間、
空気抵抗によって無残にも千切れ始める。
「ああっ、ぼくの宇宙が膨張してゆく……!」
三層のパステルカラーは、霧散する虹の欠片となって、
周囲にいた買い物客たちのコートや髪へと吸いこまれていった。
それはまさに、天へと帰還する瑞雲そのもの。
Vに捧げようとした幻想は、
今や全人類(モールにいた人々)へと平等に分配される「甘い塵」と化していた。
「……計算外だ。新年早々やらかした。
ぼくの理論では、Vの神々しい笑顔と共に、2026年が華麗な幕開けをするはずだったのに」
重力という名の無慈悲な現実に引き戻され、
Lは硬い床との「激突の儀式」を覚悟した。
ドサッ、という鈍い音が響く。
しかし、彼を迎い入れたのは硬い大地ではなかった。
柔らかい。
最高級のビーズクッションの上にでも着地したかのような絶妙な弾力。
優しい新春の風に抱擁されたかのような安堵感すら漂っている。
Lが視線を転じると、自分の身体のすぐ下にVの姿があった。
彼女の小さな身体は、Lという「重量級の忠誠」をしっかりと受け止め、
地面との衝突から彼を守り抜いていたのだ。
「……あ、あれ?」
「……あれ、じゃないよ。もう、バカ」
Lは、自分の無謀な疾走が、
彼女の腕の中に「墜落」するという形で完結したことを悟った。
肉を運び、宇宙を届けようとした彼は、
最終的に彼女という名の「大いなる慈悲」に回収されていた。
「……無理しないで。無理をさせないで」
Vが顔をしかめ、Lの重みを押し返すようにして立ち上がる。
その動作の一つひとつが、Lの目にはあまりに神々しく映った。
「……V、カッコ良すぎるだろ。
きみは、光の速度で墜落するぼくを、物理法則ごと捻じ伏せてしまった。
……愛ゆえに?」
「黙って」
Vは乱れた髪を払い、少しだけ誇らしげに、そして茶目っ気たっぷりに微笑んだ。
「わたしは、貴方の風になれましたか?」
差し出されたVの手。
逆光を浴び、パステルカラーのわたあめの破片が雪のように舞う中で微笑む彼女は、もはやただの少女ではなかった。
荒ぶる神馬を乗りこなし、空から降る災厄(とイベリコ豚)さえも包み込む、勇ましい「風の民」そのものだった。
「お肉、食べたいよね。買い直しに行きましょ。今度は、歩いて」
その時ーー感動的なフィナーレを迎えたふたりの前に、
圧倒的な威圧感を持って現れた影があった。
保護者Rだ。
彼女は見ていた。
Lが「至宝」を手に走り出したあの瞬間を。
そして瞬時に悟っていた。
この「衝突」という名の結末を。
彼女の右手には熱々の「イベリコ豚」、 左手には虹色の「わたあめ」が握られている。
「あちらのテラス席で食べましょう。冷めないうちにね」
Rは呆れたような、
しかしどこか慈愛に満ちたまなざしを向けて、踵を返した。
彼女の背中は、
「これが大人のリスクヘッジよ」と無言で語っていた。
Lは地面に落ちていたマフラーを拾い上げ、丁寧にVの首元へと巻きつけた。
「行こう、V」
そう言って、そっと手を握ってくる。
新年の冷たい風が吹き抜け、Lの柔らかな髪を揺らす。
そこから運ばれてくるのは、いつもの彼らしい、
ロイヤル・ホワイトミュゲの香りーー否。
「……これはスモーキー・イベリコ・グリルのにおいだ」
そして、指先に感じるのは、生々しい肉汁の感触。
Vはひっそりと笑みをこぼした。
ロマンチックな予感は、肉汁にまみれて消えた。
宇宙の誕生は、わたあめの霧散と共に延期になった。
たぶん、今年もいつも通り。
Lが騒ぎを起こし、Vが風になり、 Rがそれを回収する。
でも、それがいい。
それが、この世界で一番贅沢で、 優しい新年の始まりだから。
「ねえ、L。今年の目標は?」
「……そうだな。地球の自転を、ぼくの歩幅に合わせて調整する。
そうすれば、理論上、ぼくは二度と転ばない」
「地球に謝って。あと、たぶんもっと派手に転ぶよ」
遠ざかるふたりの背中には、 パステルカラーのわたあめが雪のように薄く積もり、 新春の光を浴びてキラキラと輝いていた。
FIN
それだけの話です。
本編には、何も関係ありません。
→ 本編へ戻ります?
たぶん、こちらの方が正気です。
