普通に憧れてきた私が”変わってるね”を勲章にするまで
最近、こんな投稿を見つけた。
「偏愛を語れ」
そのとき思った。
あ、これ 私の中の"ちゃんとしなきゃ"を 壊してくれるかもしれないって。
宝箱
子どもの頃、おやつというものをあまり知らなかった。
母はいつも働いていた。父は、働いていない時期もあった。お菓子を買ってもらえた記憶がほとんどない。
友達の家に遊びに行くと、おやつが出てきた。それがとても新鮮だった。こういう家もあるんだ、と思ったと同時に羨ましくもあった。
いつかお腹いっぱい、好きなだけお菓子を食べてみたい。子どもの私が、ひとつだけ持っていた夢だった。
台風だった父
「私さえいなければ、母親は苦労せずに生きてこられたのに」
子どもの頃からずっと、そう思ってきた。
父はお酒を飲むと人が変わった。何をするかわからない恐怖が、家の中にいつもあった。母は別れたいと思いながらも、別れられなかった。「私さえ我慢すれば」と、耐え続けていた。
その母の背中を見ながら、私は思っていた。私がいなければよかった、と。
誰かに言われたわけじゃない。でも、そう感じて育った。
撃ち抜かれた一粒のグミ
ある日、職場の子から一粒のグミをもらった。
外側はキャンディーでコーティングされていて、中はハード系のグミ。
なかなか売っていない、貴重なものだという。口に入れた瞬間、衝撃が走った。
そのグミの名前は「鉄の鎧」。
なぜか、自分と重なった。
気づいたら、そのグミをキャラクターにしていた。深く考えたわけじゃない。ノリだったかもしれない。ただ、楽しいことがよくわからないのに、
楽しいことを求めている自分がいた。
私はずっとハード系が好きだ。パンもバゲットを何もつけずに丸かじりする。なぜかハード系ばかり選んでしまう。
人生がハードだったからなのか、と思うことがある。
「変わってるね!」と言われることがある。嬉しい。
だってそれが、個性だと思うから。
王様、爆誕
そのキャラクターは、いつの間にか王様になっていた。
誰かのために「ちゃんとしなきゃ」と思っている王様。
不安におびえながらも、強くあろうとする王様。
嫌われる=価値がない、と根底で信じている王様。
それでも精一杯、生きている。
国王としてちょっとズレてるけど、民には愛されている。でも本人には、その自覚がない。強がりの裏に繊細さと優しさがあって、本当の強さが静かに根底にはある。
気づいた時、笑ってしまった。
これ、私だ。
最後に
グミ王子は、いつの間にか絵本になっていた。
その物語のテーマは、王冠を失った王様が、本当の自分を取り戻す話だ。
書きながら気づいた。私はずっと、外側に合わせて生きてきた。嫌われないように、ちゃんとしなきゃと、誰かの正解に自分を重ねて。
でも王冠をなくしても、王様は王様だった。
外側じゃない。内側に、最初からあったものがある。
お腹いっぱいお菓子を食べたかった子どもも、「私さえいなければ」と思い続けた子どもも、全部ひっくるめて、私だ。
自分を愛せない自分が、本当は一番自分を愛したいと思っている。
絵本も、グミ王子も、この記事も、全部そのための、あの手この手だったのかもしれない。
歪でも、不完全でも、それでも生きようとしてきた自分への愛を——
私は偏愛と呼ぶことにした。
無職さん
このような機会を与えてくださり、ありがとうございます。
つむぎ
