加熱するアイランドキッチン
玄関モニターに映った母ちゃんは、まるで巨大な戦車だった。肩越しに背負った長ネギが主砲のようだ。暫くすると、母ちゃんは、コンクリート基調の殺風景で何もない我が部屋に風穴を空けるかの如く、ドアを蹴り破って入ってきた。
「丁重に扱ってくれ! 新居やで」
「荷物ここまで持ってくんの大変やったんやろが!」母ちゃんは息を切らしながら、長ネギなどが入ったマイバッグを床にどさりと置いた。「そもそもあんたが引っ越し早々動けんとか言うから、こんなことなったんやろ!」
二度目の引っ越しだった。これからというときに限って風邪を引いてしまい、動けなくなったのだ。出前を頼む金もなく、母ちゃんに泣きつく他なかった。
初めて見る息子の新居が面白いらしく、俺そっちのけでルームツアーをし始めた。特にアイランドキッチンに興味を示したようだ。
「シンクの一番遠いとこにゴミ箱て、捨てづらいなぁ。 食器とか冷蔵庫の位置もチグハグやし、動線のこと何も考えてへんやろ、これぇ」
母ちゃんは、料理もしない俺が“ハイカラな台所”を持っていることに少々不満を抱いているらしい。塩コショウを頭の上に振りかけられたみたいに鼻がむず痒くなる。
「ほんで、せっっっまいなぁ! アイランドが聞いて呆れるわ。沖ノ鳥島やないねんから」
「ごちゃごちゃ言わんと早う作ってくれ……。もう昨日から何も食べてへんねん」
「こんな背伸びしてええとこ住む前に、苦しいときに助けてくれる彼女でも探してた方が賢明やったんちゃうか?」
「余計なお世話や……」
「だいぶ重症やな、あんた。ははは」
そう言うと母ちゃんは、やっと調理の準備をし始めた。俺が普段よりキレの悪いことを察したらしい。
まずは自前の中華包丁で具材をみじん切りにしていくようだ。長ネギを刻む小気味よいビートが気持ちいい。思わずソファから身体を乗り出してしまう。一定のBPMで刻まれるネギは炒められた後も、その風味を損なうことはないのだ。
聞き惚れていたリズムがなくなったかと思うと、母ちゃんは中華鍋に油を引こうとしていた。
「鍋まで持ってきたんかよ! 今日は店閉めてんの?」
「木曜や今日は」ああ、定休日か。曜日の感覚も失っていた。「せやけど、IHコンロで中華鍋って使えるんかな」
オニューのIHが油まみれのズタぼろになる未来が見えた。
フライパンの上に、刻んだネギとむきエビを放り込んだ。プリプリのエビが高火力のフロアの上で踊らされ、内なる具材の香りを解き放つ。
IHの後ろにある炊飯器から米をよそう。巨体にもかかわらず、母ちゃんは狭いアイランドキッチンを右に左にキビキビと、くるっと反対側を向いてまた向き直す。初めて来たとは思えない身のこなしだ。
お米を投入する。フライパンの重さを感じさせない軽快な手首裁きは日々の中華鍋の鍛錬によるものだ。手首は酒樽のように太い。
「ちょっと、そんな近くで。私に感染さんとってよ?」気づけば俺は、カウンターの細い椅子に座って母ちゃんの舞を観ていた。
「久しぶりに観る気がしたからさ」
「なんや、それ」
コト……。カウンターに置かれた皿の上に、こんもりと半球状の黄金の山が乗っていた。ミラーボールのように日の光に反射して煌めいている。
「ほい、食べな」
黄金を削り取り、一口頬張る。高熱を忘れるほど、熱くて旨い。
「アカン。旨すぎ」
「言うとくけど、タダちゃうで」
「……踊っていい?」
「なんで?」
「内から湧き出るこの“旨い”という歓びを、表現せずにはいられんねや!」
俺は立ち上がった。塩を振るときの指の動かし方で炒飯のパラパラ感をイメージしながら、くねくねと腰をくねらせ、母ちゃんの軽やかなキッチンの身のこなしを表現する。プリプリのエビのように宙高くジャンプし、ネギのクロスステップをシャキシャキとお見舞いすると、それら具材を優しく包んでいる炒り卵のように両腕を広げて……。あ? 頭が重くて、身体が後ろに持ってかれ……。
どたっ。
「言わんこっちゃない。風邪以前に、その頭なんとかせなアカンわ。ははは」
