私が思う「存在一致」とは?
最近、
「存在一致」
という言葉が出てきた。
でも実は、
この言葉自体は最近知ったばかりだったりする。
だから最初は、
「何それ?」
だった(笑)
でも、しばらく眺めていたら、
なんだか知っている感覚のような気もしてきた。
私は昔から、
星空が好きだった。
海も好きだった。
特に、
どこまでも続く広くて静かな海が好きだった。
星空や海を見ていると、不思議と緩む。
何かを頑張らなくていい。
何かにならなくていい。
何かを証明しなくていい。
ただ、そこに在るだけでいい。
そんな感覚になる。
昔は、なぜその感覚になるのかわからなかった。
でも今なら、少しだけわかる気がする。
それは、
自分との一致よりも、
もっと大きな何かだったのかもしれない。
自己一致が、
自分の感覚や本音と一致している状態だとしたら、
存在一致は、
もっと根っこの部分。
私は、
何かを達成したから価値があるわけでもなく、
誰かに認められたから価値があるわけでもなく、
何者かになったから存在できるわけでもない。
「ただ、在る。」
それだけで、
すでに成立している。
そんな感覚。
だから、
存在一致はゴールではない気がする。
どこかへ辿り着くことでもない。
むしろ、
いつでも戻ってこられる場所。
あるいは、
私にとっての北極星みたいなもの。
🌠
面白いのは、
私はずっとそれを探していたわけじゃないこと。
むしろ、
海を見たり、
星を見たり、
人と話したり、
日常を生きたりしながら、
気づけばいつもそこへ戻っていた。
だから最近思う。
私は存在一致を知ったんじゃなくて、
昔から知っていた感覚に、
後から名前が付いただけなのかもしれない。
そして、もしかしたら
私は最初から、
何かと切り離されていたわけじゃなかったのかもしれない。
大きな流れの中にいて、
その一部として生きていて、
ただそれを忘れていただけだったのかもしれない。
だから今日も、
迷ったり、
ズレたり、
遠回りしたりしながら、
北極星を見上げる。
辿り着くためではなく、
自分がどこにいるのかを思い出すために。
🌠🌊✨
▶ 次に読むなら
存在一致がゴールではなく、
いつでも戻ってこれる北極星のような場所なら、
その先は…?
👉 存在一致は、ゴールではなくスタートだった
