老害による夜職と整形論
みんながなりたい顔は時代ごとにある。
私が子供の時は浜崎あゆみが若い女の人たちのお手本で、目が小さかったり一重の女子のコンプレックスがもっとも浮き彫りになった時代だと思う。
つけまつげ、カラコン、二重のりやアイテープはこの頃からしのぎをけずりまくっていた。
あゆが流行ってたころは当然まだパーソナルカラーや骨格どうこうの概念が無かったので、安室奈美恵時代の踏襲もあり、「細眉+デカ目+明るい髪色」がとりあえず正義だった。
後年の益若つばさ人気もあるが、とにかく平成中頃までは、黒基調デカ目のドールみたいなメイクが主流のひとつだった。
ファンデはとにかく肌ツヤを殺すマット、チークはオレンジ系、くちびるはつやつやヌーディーカラーだ。
職場にいるおそらく40過ぎのお局様は、いまだこの時代のメイクをしている。
今なおマツエクバサバサな(元)ギャルメイクをしており、くっきりと濃い黒のアイラインと、横顔から飛び出すまつげ束の厚みとカール具合にまことに郷愁みを感じる。
大々的に女子の顔に変化が訪れたなと感じたのは、ギャル文化が廃りキャンキャン系のコンサバ系美白ブーム(エビちゃん系)になったときと、そのあとにやってきた困り眉、太眉ブームのときだ。
ちなみに地雷とか量産型は、服装も含めなんとなくずーっと漫画の世界の中に在り続けた雰囲気だ。だから特段目新しさは感じなかった。なんの漫画とかはわからないけど、現実の女子たちが漫画に近づいてるのかもしれない。
別に何が流行ろうといろんな系統のメイクの人はいたのだが、まだ加工文化もないし、整形でどうにかしようという力技もかなり限られた女性しかやっていなかった。
2010年代に、工藤静香以来の太眉ブームが、加藤ミリヤを筆頭とした困り眉ブームとして再来した。
細眉時代に眉を抜きまくった麿眉民たちが泣きながら試行錯誤する時を経て、だんだんと現在の「顔カスタム(整形、加工)」の潮流に飲まれていき始めたように感じる。
そして今は日々の肌ケアやメイクでどうにかするよりも、大金を叩いて美容医療の力を借りる人が増えてきたという雰囲気だ。とは言えあゆ時代にはもう整形はある程度は一般的だったし、二重にするくらいならもはやプチ整形の枠組みだったけど。
しかし今はメイクに飽き足らず、顔そのものの流行の変化がめまぐるしい。
SNS社会にK-POP文化と港区女子文化が並行したことが、各々のコンプ嫌悪と顔面課金への拍車をかけているように感じる。
また理想像として追われてる側の人たちも常に改変を続けるため、おそらく一般人たちの整形が馴染む頃には、もう出役たちの容貌のトレンドはすでに変化している。
ただでさえ整形は満足することもなく終わりが見えないとされているのに、服よりもトレンドの変化が激しい界隈だ。
しかし行き着く先はだいたいが整形フェイスだ。正確にはその界隈の実情を知らない私のような民には、普通の顔と整形顔以外の違いがよくわからない。
涙袋のヒアルロン酸が昔とは量が違うと言われても、まったく見分けがつかないだろう。
大昔は飲み屋の女になるにも、そもそも器量が良くないとダメという雰囲気があったとは思うが、一般人たちの化粧の技術があゆのおかげ?で向上し、その後どんなトレンドが来ようと乗りこなせる人が増えてきた。
だから多くの人が、かわいいやキレイを自分の力で作り出すことができるようになっていた。
平成中期に女子高生だったが、クラスの子達は入学当初からみんなメイクが上手かった(ギャルの多い学校だった)。髪も綺麗に巻いていたし、加工技術がなくとも卒業写真ですら映えていた。
そしてそんな子達が珍しいわけではなく、当時の女子高生たちはだいたいそんな感じだった(都内にしかいないので狭い世界のことを語ってはいるが)。
あゆの名残がある子も、倖田來未っぽい子も、加藤ミリヤっぽい子もいた。ちょっと下世代になるときゃりーっぽい子やpecoちゃんみたいな子もいた。
とりあえずこの時代から学生の化粧はものすごく濃かったし、なおかつそれがよく馴染むくらいには技術がある子供たちが多かった。
そうなると昔より顔もごまかしが効く。
あんまり飲み屋受けしない顔でも、化粧で斬り込んでいける。よほど太りすぎてさえいなければ誰でも夜職嬢になれるポテンシャルを持てたのかもしれない。
歌舞伎町とか六本木だと細い子しか入れないかもしれないが、都内でも地方みたいな地域なら太ってても可愛ければ稼げる子はいたと思う。
たぶんこの15年くらいで女子たちの夜職率は右肩上がりでなおかつ爆増したのではないかと思う。
あゆメイクだってキャバ嬢メインの文化で、2000年代でもすでにアゲハ系の雑誌などでキャバ嬢はある種のカリスマ性みたいなのは持っていたが、職業として今ほど一般的ではなかった。少なくともキャバ嬢が未成年に憧れられるような存在ではなかったし、まだアングラな匂いはあった。
けどアゲハ系の雑誌がブームになってキャバ嬢モデルのファンが増え、しかしだんだんと雑誌も下火になってきた頃くらいから、「夜職で一時的な財力を持つ女の子」が爆増していったと感じたのが、この時代に若者だった私の肌感覚だ。
アラフォーの私と同い年の友人でも、ハタチで田舎のキャバクラで月100は稼いでいた時代だ。しかも特に秀でた能力があるわけではない。景気のいい店で、若くてそれなりに客を掴めれば、そんな稼ぎを叩き出すことができた時代なのだ。
ちなみに私はこの稼ぎどきの時代に潰れかけのスナックでなぜか時給で働いていたため、何の恩恵にもあやかれなかった大馬鹿者である。
だがとにかくここら辺から女子の金の稼ぎ方がおかしくなってしまったこと(+どんどんSNS文化が交わってしまったこと)が、あきらかに今のいびつなルッキズム時代を生み出してしまったように思う。
一時的にお金を稼げる女の子が、平成後期から令和にかけてかなり増えてしまった。
加工文化ももちろん大罪だが、加工した自分に近づくには莫大なマネーを要する。それを少し飲み屋や風俗で頑張れば、得られるようになってしまったのだ。
若い子が夜の仕事で父親よりも金を稼げる時代。それは結果的に、決して良いことではなかった。
なんらかの才能で金を稼いでなおかつ親が管理してくれてるようなキッズとか、夜職でも普通に学費とか資格のお金にして、いいところに就職したような人はめちゃくちゃ上澄みなので省く。
しかし高校を出てすぐの子が毎月100万も稼げるようになってしまったら、というより世間を知らぬままそういう界隈に染まってしまったら、そのお金をどう使うかは容易に想像できる。その成れの果てがキャバ嬢インフルエンサーなどの怪物集団、およびその黒い影響力だ。
人の生き方に口出しはしてはいけない。だが水商売に飽き足らずパパ活や立ちんぼやアラブ圏への出稼ぎをしてでも金を稼ぎ、若者たちがガリガリの整形顔になっていくだけの文化はあまりにも病的だ。それも「圧力」でもってこの思考が世間を侵略している。
昔は特殊な人だけしか踏み入れない文化だったのに、「これくらいはしないとダメ」という圧が未成年に押し付けられるようになった。
まず普通の女の子が堅気ではない仕事を選ぶのはそもそもおかしいことなのだ。
しかもキャバ嬢に憧れる少女たちの心根は、あゆに憧れていた少女たちとなんら変わらない。だが誰しもあゆにはなれなかった時代とは違い、痩せて整形をしてラウンジで働いて重加工したインスタを日々更新することは可能だ。
たとえSNSから離れても、周りの人たちがどこを直したいとかどういうお直しをしたいとか話してたら、やっぱり洗脳されるだろう。
私は誰しも自分の顔を愛せとは思わない。自分自身も一重だったら二重整形は真剣に検討していたはずだ。ハタチごろまでずっと一重だったが、高校生の頃毎日アイプチをしていたらハタチで二重になれたのでやらずに済んだだけだ(おそらく瞼がたるんだ)。
あと整形が必要な人もいる。高須幹弥もYouTubeで語っていたが、あきらかに面接や出会いの場で不利だろうという顔はある。日常の対人関係でも困難だろうなという造形の人だ。
でも整形とはそういうギリギリの人たちのものであり続けるべきだと思う。流行とか誰かのマネとか加工みたいにしたいとか、あるいはパパ活や夜職でもっと稼ぐためにあっていい手段ではないのだ。
そして整形する人々は「この部位なら◯◯先生」とか「この手術はこのクリニック」とか「このクリニックは悪徳」みたいな予備知識はたくさん蓄えるが、若い頃に整形を繰り返した人がどうなっていっているかにはあまり着目しない。死ぬまでいくらメンテナンスにかかるかの予算も立てているとは思えない。
芸能人でもすでにたくさんの生きた症例写真がある。大成功している人ばかり目に入るかもしれないが、若さに囚われすぎて老いてからの美しさを捨て、整形丸出しフェイスになったおじさんおばさんタレントたちもよく見ておくべきだ。
私はブスでニキビ面でデブな女の子として青春を送ってきた。可愛い子は愛されるし得をしているが、自分は大切にされてない。そんなことも常に味わい続けてきた。
しかしそうなることを過度に恐れてはいけない。人間って最終的にはポテンシャルに左右される。教養とか、人に信頼される努力とか、そういうことを養っていった方が断然いい生活は送れることをもう少し信じてほしい。
恵まれない職場や学校の中にいると、可愛い子は可愛い子としか意識してつるまないし、ブスは三軍で日陰もの扱いだろう。TikTokもインスタも誰も見てくれないし、いい写真も撮れない。「可愛いは正義」の圧力の中で揉みくちゃにされる。
「自分なんて」と卑屈になってもいいから、それはそれで、じゃあ化粧を勉強するとか、太ってるならダイエットをするとか、優れた仕草やマナーを身につけるとか、痩せすぎならボディメイクを学ぶとか、見た目では左右されない趣味の仲間を作るとか、そういうところで新たな意識を立て直すのだ。
たぶん誰しもそんなことを言ってくるからウンザリするかもしれないが、マジで結局それしかない。
究極の例を出すと、コントでイケメンでもない芸人が女性役をやるのを見かけると思うが、さりげない女らしさを演じているのを見ると、なんか妙に可愛らしかったり色気があるように見えることがある。
志村けんの芸者役も、お化けみたいな古株おばさんを演じつつも、衣装を気崩したり下品な格好をせずちゃんと女として演じてるからか、バカ殿みたいなメイクのままでもベテランの芸者に見える。タバコの吸い方だって女風にしてるがすごくかっこいい。
また、落語家や講談師とかがスッと女役を演じたりすると、女装も何もしてないのに、扇子一本とそのしなを作った仕草だけで、ものすごく色っぽい女将さんに見えたりもする。
歌舞伎の女型のような白塗りの女郎みたいにしなくたって、声のトーンと姿勢を変えて「ねえお前さん」みたいに発するだけで、女っぽさを感じてしまうのだ。
こういう仕草や雰囲気、きちんとした話し方をするだけで、人は外見関係なくものすごく魅力的に見える。たぶん学生の頃ってあんまりわからない魅力なのだけど、めっちゃ美人なのに下品な女性と、ブスだけど品のある可憐な女性なら、断然後者の方が世間に好まれる。
ただただ整形とか垢抜けだけを必死に追い求めて、おじさんに養われながらSNSで謎のビジネスに加担してるような美人になりたいのならそれでもいいが、そのまま歳をとってしまえば、いい大人の面倒など誰も見てくれない。
そして新しいかわいこちゃんはすさまじい速度で世代交代していくのだ。
お金持ちのおじさんは若くて未来ある可愛い子や、何も知らなくていろいろと利用できる女の子にお金を使いたいので、美人でも30代なら「金持ちにも好かれるけど自分でビジネスも展開できて好きなように生きていける強かさ(=おもしれー女感)」がないと、おそらくそれでサヨナラだ。
自分で部屋も借りれない、そのくせ家賃20万くらいの部屋じゃないと住みたがらない、税金のこともよくわかってない、SNSでの言葉遣いも端々が攻撃的、毎月のメンテ代もべらぼうにかかる美人な30代など、単なるお荷物おばさんなのだ。
整形や美容医療が趣味で、ほぼ人体実験的にやっている人はそれでいい。むしろ発信者として貴重な存在だ。
夜職や女の世界にまみれた中でそういうスパイラルに陥ると危険という話である。
桜井野の花という、キャバ嬢インフルエンサーの先駆けのような方がいる。それより前にもいたと思うけど私が認識したのは彼女からだ。
彼女は信じられないほど整形を繰り返しており、もう見るたびに顔が違うのだが、以前あげていたメイク動画ではものすごく大事なことを教えてくれた。
それは「まずティッシュで鼻の穴をほじる」ことだ。
これはどんなメイク動画も教えてくれないのに、死ぬほど重要かつ誰もが見落とす基本的なことである。これを見てから私が唯一実践していることだ。
こういうことの大切さを忘れてはならない。桜井氏はおそらくもう整形がライフワークの域なのだろうが、こうして目ヤニと鼻くそをいつでも気遣える女でなければ、美人も形無しである。
