古都アンタキヤで「お代はもう頂きました」と言われた話
ドルムシュやミニバスが発着する埃っぽいターミナルに降り立つと、客引きが「ハレップ!ハレップ!」と声を張り上げていた。シリアのアレッポ(トルコ語名:ハレップ)へ向かうバスの乗客を呼び込むその声が、国境が近いことを実感させる。
私がトルコ南部の街アンタキヤ(Antakya)を訪れたのは、2011年5月のことだった。当時はここからアレッポ行きのバスが出ていて、陸路でシリアへ抜ける旅行者の主要ルートだった。この年の3月に勃発したシリア内戦は、まだ全土には拡大しておらず、隣接するこの地域も平和そのものだった。今思えば、嵐の前の静けさだったのかもしれない。
アンタキヤは古代名をアンティオキアといい、ローマ帝国時代には、シルクロードの交易拠点として、ローマ、アレクサンドリアに次ぐ都市として栄えた。キリスト教徒をさす「クリスチャン」という言葉が生まれたのも、この街だと言われている。世界史上、重要な役割を果たした街なのだが、日本ではなぜか知名度が低い。
市内の考古学博物館は、ビザンツ時代のモザイクコレクションで有名なのだが、多様な宗教や文化がごく自然に混ざり合うアンタキヤの街は、存在そのものがまさに「モザイク」のようだった。
トルコでは一般的に、内陸や南東部へ行くほど保守的になる傾向がある。だからなおさら、大都市から遠く離れたこの街の雰囲気が、思いのほか自由で開放的だったことは、嬉しい誤算だった。人々の振る舞いが意外にスマートだったことも、私のアンタキヤ滞在を快適なものにしてくれた。
街の中心部から北西に伸びるジュムフリエット通り沿いで、「キュネフェ」屋に入った時のことだった。キュネフェとは、アンタキヤ名産の伝統的なスイーツで、素麺のような細い糸状の生地に、フレッシュチーズを挟んでたっぷりのバターで揚げ焼きにした後、甘いシロップをこれでもかというほどかけたものだ。正直、私のあまり得意な部類のスイーツではない。いつも最初の数口はおいしく食べられるのだが、その後は「甘すぎて、油っぽくて、しつこくて、もういらない」という気分になる。けれど、アンタキヤまで来て、キュネフェを食べないわけにはいかなかった。
アイスクリームをトッピングしたキュネフェに果敢に挑んでいると、30代半ばと思われる女性が不意に近づいてきて、「ここ、いいかしら?」と相席を求めてきた。他に空いているテーブルはあるのにと、多少戸惑いながらも「どうぞ」と答えると、彼女は嬉しそうに腰を下ろした。
「どこから来たの?旅行?え、一人で?わあ、ステキ!トルコだと女性の一人旅はなかなか難しいのよね。あ、でも、誤解しないでね。トルコは自由な国だから。特にアンタキヤは進歩的な考え方(açık görüşlü)の人が多いから、心配しなくても大丈夫よ」
ひとしきりおしゃべりをした後で、彼女は「良いご旅行を!」と微笑んで席を立つと、先に店を出て行った。
トルコでは、単なる外国人への好奇心から話しかけてくる人に何度も遭遇していたから、私は深く考えもせず、せっせと残りのキュネフェを片付けた。
ところが、いざ会計をしようとしたら、店員さんが「お代はもう頂きました。さきほどの女性がお支払い済みです」と言うではないか!慌てて外に飛び出したけれど、通りのどこにも、もうとっくに彼女の姿は見当たらなかった。
キュネフェを食べた後、腹ごなしに大通りをブラブラと歩いていくと、一軒の「石鹸屋」が目に入った。アンタキヤはオリーブオイルと月桂樹から作る「ダフネ石鹸」でも有名だ。
清潔で垢抜けた外観が気に入って中へ入ってみると、全ての棚が石鹸で埋めつくされていて、ハーブの自然な香りが漂っている。本来は、アクタル(Aktar)と呼ばれる漢方薬局のような店だったのだと思うのだが、潔いほど石鹸ばかりが並んでいる様子は圧巻だった。
しばらくすると、店の奥から白衣を着た男性が出てきて、目移りしている私に、月桂樹の配合比率や効能の違いなどを丁寧に説明してくれた。一番スタンダードなものが欲しいと伝えると、小ぶりの石鹸が3、4個入った、緑色の紙箱入りの商品を勧めてくれた。
値段を聞くと、黙って石鹸をレジ袋に入れて「どうぞ」と差し出してくる。再度値段を尋ねると、「日本へ持って帰って、まずは使ってみてください。もし気に入ったら、もう一度アンタキヤに石鹸を買いに来てください」と言ってニコニコしている。
トルコ人の親切には慣れているとはいえ、私は驚きのあまり言葉が出なかった。一体この街の人たちは何なのだろう?まさかこのまま引き下がるわけにはいかない。日本人は厚かましいと思われても困る。そう思って何度か押し問答を繰り返したけれど、結局私は石鹸を「ただで」もらって帰ることになった。
翌日は、聖ペテロの洞窟教会(St. Pierre Kilisesi)に行った。行きはドルムシュを使ったのだが、ホテルからは2キロほどの道のりだったので、帰りはのんびりと歩いて戻って来た。途中、門扉の上に薔薇のアーチがかかった家を見かけて、思わず足を止める。赤い薔薇の花が、青空に映えてとても綺麗だ。すると、中から人の気配がして、住人と思しき女性が姿を現した。
「お花が綺麗なので、写真を撮ってもいいですか?」と声をかけると、頼んでもいないのに、門を開けて庭に招き入れてくれた。
外からではよく見えなかったが、庭には藤棚のようなものまで設えてあり、その下では年配の女性が数人くつろいでいた。当時のトルコとしては比較的珍しいことに、全員が黒いヒジャブ姿だった。ジェスチャーを交えながら「こっちに来て座りなさい」と声をかけてくれたらしいのだが、何を言っているのかがよくわからない。どうやらアラブ系の方々で、トルコ語は片言しか話さないようだった。
最初に私を招き入れた若めの女性が、間にたって通訳をしてくれる。写真を撮るだけと思っていたのに、いつの間にかトルココーヒーまでご馳走になり、しばらく居座ってしまった。
日本から来たと言うと、すぐさま2ヶ月前に起きた大震災のことが話題になり、皆が口々に励ましてくれた。
「大変だったね。だけど日本は大丈夫よ。すぐに立ち直る。日本人は賢いし勤勉なんだから」
その言葉には、「同じ地震国に住む者として他人事ではない」という切実な思いが滲んでいて、決して口先だけの慰めではないことが伝わってきた。被災者ではない私まで、なんだかじーんときて目が潤んでしまったほどだった。
この旅行から12年が過ぎた2023年2月に、トルコとシリアを襲った大地震によって、アンタキヤは壊滅的な被害を受けた。私が泊まったオロンテス川沿いのホテルも、テプシ・ケバブに舌鼓を打った老舗レストランも、地元の人が親切に案内してくれたギリシャ正教会も、全て倒壊してしまった。
現地から流れてくる、瓦礫と化した街の映像を見ては、ただただ胸が抉られる思いだった。旅先でほんのひと時言葉を交わしただけの人々の安否は、残念ながら確かめる術がなかった。
それでも、私はもう一度アンタキヤに石鹸を買いに行こうと決めている。そして、必死にキュネフェを食べるのだ。
