トルコではいろんな人から「長生きしてね!」と言われる話 / Çok yaşa!
トルコでくしゃみをすると、もれなく「長生きしてね!」と声をかけられる。くしゃみごときで長寿を祈られるのも大袈裟なようだけれど、英語の「Bless you!」に相当するトルコ語が「Çok yaşa!(チョック・ヤシャ!)」で、これは「長生きしてね!」という意味なのだ。
言われた方は「Sen de gör(セン・デ・ギョル)」と返すのが、お決まりのパターンだ。直訳すると「あなたも見てね」という意味だが、「私が長生きするのを見るくらい、あなたも長生きしてね」という含みで使われる。なかなか粋な返事だと思う。
習った表現は、使ってみたくなるのが人情だ。トルコ語学校のクラスでは、誰かがくしゃみをするのを、常に心待ちにしているような雰囲気があった。くしゃみをすると、たとえ授業中であっても、間髪入れずにクラス中から「Çok yaşa!」の大合唱が沸き起こる。
大勢の人から声をかけられた場合は「Hep beraber(ヘップ・ベラーベル)」と答えるのが定番で、これは「みんな一緒に」という意味になる。くしゃみをするたびに「みんなで一緒に長生きしようね!」と言い合っているのかと思うと、なんだか微笑ましい。
私はこのやり取りがとても好きだった。単なる決まり文句だということはわかっている。それでも、くしゃみひとつでその場に一瞬温かい空気が流れ、不思議な連帯感が生まれるような感覚が心地よかった。
トルコ語には「Sıhhatler olsun(スハットレル・オルスン)」という決まり文句もある。これはお風呂上がりやシャワーをすませた人への挨拶言葉で、散髪や髭剃り後の男性に向かって言うこともできる。本来はアラビア語由来の「健康でありますように」という意味なのだが、実際には「さっぱりしたね」くらいのノリで使われる。
私にこの表現を教えてくれたのは、ニハルちゃんというトルコ人の女の子だった。ニハルちゃんは日本の大学に留学していたことがあり、私は一年ほど彼女からトルコ語の個人レッスンを受けていた。
イスタンブールに旅行に行って、ニハルちゃんの家に泊まらせてもらった時のことだ。お風呂上りに「Sıhhatler olsun!」と声をかけられて、私はキョトンとしてしまった。そこそこトルコ語ができるようになった気でいたのに、実はこんな基本的なフレーズすら身についていなかったことが露呈して、なんともバツが悪い瞬間だった。
ニハルちゃんは私のプライドを傷つけないようにと、トルコの子供でも「Sıhhatler(スハットレル)=健康」を、発音が似ている「Saatler(サートレル)=時間」と聞き間違えたりする、というエピソードを笑顔で話しながら、さりげなくフォローしてくれた。
「くしゃみ」や「お風呂上がり」はかなり限定的なシチュエーションだけれど、トルコ語ではそれ以外にも、相手の状況を思いやる定番の挨拶言葉がある。街中でしょっちゅう耳にする「Kolay gelsin(コライ・ゲルスィン)」はその代表格だ。
仕事や勉強をしている人へのねぎらいの言葉で、直訳すると「(取り組んでいるその作業が)容易に進みますように」という意味になる。日本語の「お疲れさま」や「頑張ってください」に近い。作業する本人を主語にしないで、作業自体に「簡単になれ!」と願うのが、いかにもトルコ語らしい。
職場やお店はもちろんのこと、あらゆる場面で使える万能な表現なのに、私は「目上の人にも使えるのか」とか「頑張れというのは失礼かも」などと、日本語の感覚で難しく考えすぎて、なかなか口にできずにいた。
転機となったのは、トルコ語学校のクラスメイトである、イラン人のババックの振る舞いだった。皆で一緒に出かけた時に、彼はバスの運転手さんやお店の店員さんなどに「Kolay gelsin!」と臆することなく声をかけ、道を聞いたり商品について尋ねたりしていた。その呼びかけがとても自然で感じが良くて、「私も使ってみよう」と思ったことを覚えている。
その後、アンタルヤの空港で機会がめぐってきた。バスの停留所の場所が知りたくて、警備員さんに「Kolay gelsin! Bir şey sorabilir miyim?(お疲れさまです。ちょっとお尋ねしても良いですか?)」と声をかけてみた。いつも使っていた、Affedersiniz ( アッフェデルスィニズ = Excuse me ) という呼びかけの言葉は、その日は封印した。
すると、炎天下に立っていた警備員さんは、何でも聞いてくれと言わんばかりの満面の笑みを浮かべ、タメ口で「Sor! (聞いて!)」と答えてくれたのだった。
