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祖母が旅に出る理由

先日の母の行動を見て、私は祖母を思い出していました。大人の事情で、それまであまり会っていなかった父方の義理祖母です。

さて、30年程前に遡ります。1990年代、
まだ介護保険制度も整っておらず、認知症が痴呆症だった頃。
私が社会人になったその頃、諸般の都合で我が家に祖母を迎え、介護が始まりました。

祖母は風呂敷持って旅に出た

祖母には徘徊癖があったので、当時の我が家は昼夜、外にも内にも鍵をかけて家族もろともマイルドな拘束状態でした。

だったのにある朝、祖母がいなくなっていました。
父と姉はすでに出勤していたため、私と母は警察に連絡し、必死に捜索していました。

すると、しばらくして現東京メトロの茅場町駅から電話がありました。兜町のあの駅。
かやばちょう??!
当時私達が住んでいたのは千葉でした。

寝巻きに黒パンプスの祖母

偶然にも私の職場は、祖母が流れ着いた兜町あたりだったので、母を連れて電車で祖母を迎えに行きました。
茅場町駅には寝巻きに羽織、足には姉のリーガルの黒いパンプス、なぜかコーヒーの瓶とみかんの入った風呂敷包みを持った祖母が座っていました。

母が風呂敷に名前と連絡先を書いていたので連絡を頂けたのです。その後二人をタクシーに乗せて帰し、私は出勤しました。
かなり衝撃的な出来事で、細いところまで今もはっきり覚えています。

祖母が旅に出れちゃった理由は

家付近からも、人の流れは駅に向かっている時間。その駅から東京方面へは総武線があり、ある駅でホーム向かい側に来る地下鉄に乗り換えられる(今も変わっていなければ)。
それに乗れば階段も使わず、日本橋方面へすぐに行けたのです。
祖母は多分、あのド混雑通勤電車の波に乗って兜町に流れ着いたんだと思います。

偶然が重なれば、認知症の人もかなり遠くまで行けてしまうかも…

まさにミステリートレイン▲認知症世界の歩き方

祖母の全てが受け入れ難かった

祖母は常に大音量で念仏を唱えるようにリピートしていて、声をかけるのも怖かった。
そして朝起きると大概リビングに物が散乱していました。なべ、食器、くつ下、野菜、薬、ぬか床etc
さらには姉が大事にしていた鈴虫をトイレに流したり。耐え難いことに弄便もあった。 
私は祖母に対しては「ものすごいのが来た」という印象でした。 


祖母が家にいたのは、ほんの短い間だったと思います。まもなくして母が心身ともに疲弊し、祖母は施設に入りました。
しかしまだ何の制度もなかった中で一番に介護を担ったのは母。母にも祖母にも冷たかった若い頃の私、二人に申し訳なかったと今は思います。

ちなみに令和3年度の警視庁の発表で認知症の徘徊が原因で行方不明になる人は年間1万7千人もいるそう▼ 


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