子が笑った、それが私を救ってくれた。

子が笑った。それが私を救ってくれた。


双子が生まれて2ヶ月が経って、ようやく気持ちを整理することができそうなので、ここに記録。


1ヶ月前の私は、本当にとんでもないことをしたと思っていた。

まだまだ未熟で子供な私が自分のこどもを2人も産んでしまった、取り返しのつかないことをしたと本気で思っていた。それを「後悔」とまで呼ぶのかは、まだ今の私にはわからない。


子供が欲しいと思ったのは、ただ単純に、最愛の人と自分との子供の顔が見たいというその一心だった。

自分が母親になる姿は妊娠してからも想像しないままだったし、むしろ、妊婦姿の自分が少し気持ち悪くて、あまり直視できないくらい。母親としての適性も低い自覚があった。

それでも、愛する人と自分の子供と出会いたい一心で、子供を作った。


でも、生まれてくる子が双子であったことや、妊娠生活が思っていた以上に辛いことの連続であり、生まれてきて、子の顔を見た「その先」をあまり考えないようにしていたところがあったかもしれない。

子育てとはどういうものか、子を持つとはどういうことかに思いを馳せることはほぼなかった。

実際、後で苦しむことになった母乳の出し方など、母になるために事前に知っておくべきことを学ぶ時間はほとんど取らず、母親教室にもついに参加しなかった。私が参加したのは、パパ教室と、あくまで主語が自分の帝王切開教室だけだった。


本当に、母親の適性レベルがあるとしたら、絶対に低い方だと思った。

産後、退院の日の前々日に、搾乳(=授乳)は3時間おきにするものと知り、もうその日から夜通し寝ることはないと気がつき愕然とし、そこでようやく子育ての過酷さを思い知った。冷や汗をかいて、はじめて、とんでもないことをしたと思った。子供を産んでしまった、もう元には戻れないと。


双子が退院してからも、常に目を離せない生き物を傍に置いて、自分のトイレもままならない、何の気なしに8時間通しで寝ていた日々からどんどん遠ざかり、小さな壁に一つぶつかるたびにまた、私はとんでもないことをしたのではないか、と絶望した。

私は母親にはなれない、そんな母親を持つ双子が本当に可哀想だと本気で思った。


そんな私とは裏腹に、夫は生まれた次の日から毎日NICUに通い、双子を本当に愛おしみ、その一挙手一投足を見逃すまいと常にカメラのシャッターを切っていた。

カメラフォルダが、小さな双子で埋まる夫とは対照的に、私のカメラフォルダは、産後に持ちたいバッグ、着たい洋服のスクラップで埋まっていて、私が双子にカメラを向けることはほとんどなかった。

それは、やはり、私はとんでもないことをしてしまった、適性のない私を母に持った双子に申し訳ないという気持ちや、後ろめたさから来ていたと思う。

夫が分けてくれた写真も同様に、後ろめたく、眺めることもできなかった。


それが後悔なのかどうかわからないけれど、常に頭の中に、もう元には戻れない、とんでもないことをしたという気持ちがあった。


そんな中で、ある日家に贈られたベビージムの中で子供が笑った。

声に出すような笑いではないけれど、確実に笑っていた。楽しそうに。

子が笑って、そして、それにつられて笑顔になっている自分に気がついた。きっと満面の笑みをしていた。きっと優しい母の笑顔になっていた。もっとその笑顔を見せて欲しいと思った。幸せだと思った。

そこで、ふっと肩の荷が降りた気がして、少し涙が出た。

なんだ、ちゃんと愛せていたんだ。ちゃんと私、母親になっていたんだね。大丈夫。と思った。

子が笑う、本当に幸せで尊いものだと思った、それが全てを解決してくれた!それが私を母にしてくれた。


子が成長することがつまり、母が成長して本当の母になることだと思った。

育児は育自と聞いたことがあるが、その通りだと思った。

まだ、生まれる前の自分に戻りたいと思う瞬間は訪れるし、まだ心の底から、子供を産んで良かったと胸を張れる自信はないかもしれない。でも、少しずつ私は母親になっている。人よりきっと歩みは遅い。


双子にカメラを向けることはきっと少ないけれど、確実に私の目は双子に向けられていて、常に心配して、彼らに健康で快適に過ごしていて欲しいと思う。その一挙手一投足を見つめて、その笑顔を待ち望んでいる。早く成長してほしいと、もっと笑う日を、歩き出す日を、話しをしてくれる日を心待ちにしている。


それでいい。きっとそれでいい。私はそんな母親だ。

母親に正解なんてない。

私は私なりに双子を見つめて、心配して、世話をする。それがきっと双子への愛なんだね。


子供の笑顔を見て、そう思った。



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