学校の先生は先生をやめたらどうなるの?
11年間、「先生」でした。
数年前に転職して、今は放送関係の事務職です。
転職を真剣に考え始めたとき、
「毎年こんなにたくさんの先生が先生をやめるのに、みんなどこに行くの?」と思った。
「教師 転職」とかで調べても、明るい話は出てこなくて、みんなやめたいやめたいって思ってもやめられなかったり、「教員なんて他では通用しない」みたいな辛辣かつ説得力のある言葉ばかりにぶつかって、縮こまってた。
なので、私の転職体験(36~37歳時)を書きます。
「転職ノウハウ」ではないです。単なる個人の体験記。
でも、「学校教員をやめて、それでも元気で幸せな人もいる」って例をこの世に一つ追加したい。
「あんたは! 運が! よかっただけ!」「環境に! 恵まれてただけ!」
その通り。神の恵みだけで今の私がある。でも書くよ。
※私の人生のネタバレありです。
※ところどころ暗いです。
英語科教員になるまで
英文科を卒業
→大学院で英米文学専攻
→アメリカに交換留学10か月
→博士前期課程修了
→私立中高一貫校で英語科教員に
こんな感じで、一般企業を一切経験せずに教員になりました。「学校」の外に出たことがなかった。
「10年後にいい先生になるつもりでやりなさい」と指導教授に送り出された私は、とにかく10年はやろうと思った。素直だな!
教員として過ごす中、だんだん「自分は先生をずっとやらないな、やれないな」という思いが募り。
11年でやめました。
教員はやめるのに時間がかかる
一般企業だったら、「やめます」って言って2か月くらいで辞められるのかな? 法律的にはもっと早く辞められるのかな? でも学校はそうはいかんのですよ。
校内分掌(どの先生が何年生・何部を担当するか)は、私の学校では12月頭に会議で発表されました。
あの瞬間……次年度誰が誰とどの学年を持つのか、どの先生が学年主任か、誰がどの部活の顧問になるのか、などが紙きれ1枚で判明するあの瞬間といったら……
このとき、次年度やめる先生も判明します。名前がないから。
この教員にとっての一大イベントが12月なので、私は7月に校長を訪ねました。ネットで調べて書いた辞表を持って。
「次年度、やめさせていただきたいんです」
一通り、理由などを聞かれました。私は表面上は問題なくやっていたらしく、引き止められた。よほど問題がない限り、引き止められると思います。学校にとって、ある程度の年数勤めてきて学校の勝手がわかっている・優秀でなくても、大過なくやっている教員はかなり大事なんです。採用活動はたいへんだし。新しい先生は未知数だし。
私は結局、その年度にはやめられませんでした。
英語科で、次年度やめる私より若い先生がいらっしゃるので「あと1年待ってほしい、それで気が変わらなければまた来てください」と。
学校の事情はわかるので、私もそれ以上無理は言えなかった。
その1年後にまた辞表を持っていき、ようやく認められました。最後に担当した高校3年生の卒業を見届け、3月末にお別れしました。
かなり恵まれた環境
環境的には私は相当恵まれていました。いつか教員をやめる日が来る、と予感していたし、単に怠惰なせいもあり、私は小金を貯めていました。
その一番の方策が「実家を出ない」です。
……なんだこの甘ちゃんは!!ってなりますよね。ムカッと来た方は私の力入った「聖闘士星矢」の記事でも見てってください(なんという押し売り)。
https://note.com/tyabudou/n/n14f324d7a7be
とにかく、学生時代とほぼ同じ生活をすること。
もちろん稼いだお金は実家に回しますよ。でも一人暮らしだったらかかるだろう金額を考えたら、ね。
で、まあまあ貯めました。向こう数年は働かなくても平気だ、くらい。
教員をやっていればそれなりの額がもらえますが、そういうのいったん全部捨てようと。手取り200万で御の字、くらいの気持ちだった。
転職の準備(?)
社会人経験と呼べるものが一切なく、履歴書に書けるものがほとんどなかった私。
「とりえあえず、英語系だけでも!」と
・英検1級
・TOEIC900点台
を確保しました。英検1級は2次で引っかかって、2度目になんとか取れました。しゃべれない英語教師だったんだよなー。
本が好きだったので編集職に興味があり、
・校正技能検定(中級)
も取りました。半年、毎週土曜に校正スクールに通ってから試験を受けて。
(「部活動は? 土日あるでしょ?」……実は「副顧問」で、ほとんど部活指導をしていなかったんです……多くの先生は土日も部活で忙殺されますよね……私は教員としては本当に楽な生活をしてたんですよ……)
あとは、転職サイトに登録。友達のお知り合いの編集者の方にお話を伺ったり。編集職に応募してみたり。39歳まで対象の市の就職サポートに登録したり。まあ平々凡々というか、大したことはしなかったな……
私に「10年後にいい先生になるつもりでやりなさい」と言って送り出してくれた指導教授にも会いに行きました。教授の部屋で泣いて泣いて泣きまくった。迷惑だったなアレ(笑)
教授は「僕、そんなこと言ったっけ?」って……まあそんなもんです、先生ってのは。私もそれはわかるようになりました。
「困ったら、バイトくらいは紹介できるから」と言ってもらい、気持ちは楽になりました。
36歳での転職・1つ目/英語教育系出版社
次が見つからないまま退職かな、と思い始めたころ。ネットで、小さい英語系出版社?編集プロダクション?のライター募集を見つけました。応募して、会社行って英語の試験を受けて。その場で「4月からうちで働きませんか」と。ん? ライターのアルバイト募集だと思ったが?
そこで、転職活動が初めて先に進んだのがうれしかったもんで、ついつい、「契約社員」になるお約束をしちゃった。
これが大間違いだった。
4月から、初めて「会社勤め」を始めた私。初日から、あ、ヤバい、ここにいたくない、と思った。
詳しいことは省きますが、正直、この小さい出版社はよろしくなかった。
管理職が2人、あとは25歳以下のスタッフと、アルバイトしかいなかった。ヤバいでしょ。
20代前半の先輩2人に、新卒の新入社員が5人。そして30代の中途採用(私含む)が2人。ヤっバいでしょ。
実際、色々ヤバかったんですよ。「こんなところに来るために学校をやめたんじゃない」と思いました。
時給も1100円だった。英検1級レベルの英語力がないとできない仕事をしていたのに、1100円て。
英語試験対策の教材を主に扱っているくせに、英語スキルを持っている人をそんな薄給で雇うなんて、恥を知れ、と言いたい。
もちろん時給だけじゃない、ヤバかったのは。書きませんけど。
6月ごろ、中途採用のもう一人の30代女性とお昼を外で食べたら、その方はもうやめるって言った。私もすぐに辞意を伝え、8月末に退職できました。次も決まらないまま。一般企業ってやめるの簡単ですねー!
悲惨だったけど、一応は一般企業で働いた経験(5か月!)と、校正の実務経験を得ました。
転職・中休み~徒然なるままに~
しばらくは解放感にあふれて旅行したり散歩したり料理したりしてました。ものすごいストレスがたまっていたなー。もう数か月働かなくてもいい、アルバイトで細々やっていってもいい、くらいに思いましたが、さすがに1か月たつと暇でしたね……
学校に通えない子や、大人になってから学びなおしたい人のための塾があって、その講師に登録、週1回短時間ですがアルバイトをすることに。ここの企業理念がすばらしかった。しばらく講師をやって、もしかしたら正社員も……と考えました。結局、次の仕事の傍ら、3年ほど講師を細々やらせていただきました。よいところでしたが、今は本業に集中するためお休みしております。
本がやはり好きなので、アルバイトは本屋さんもいいな、とか。
古本屋に応募して、面接受ける前に「あ、ここ無理」って悟って面接を断って帰ってくるなど、まあ全然ダメでした。甘すぎるんだな、考えが。
37歳での転職・2つ目/まさかの放送業
9月末に派遣会社2つに登録。もう37歳だったので、派遣なんて話くるかしら? と半信半疑でしたが、最初にまわってきたお話しが今現在勤めている会社です。そんなことあるんか。
それも、マニアックな専門チャンネル。放送業です。
学校と、出版業界を一瞬経験しただけの私が、放送業??
扱う専門分野も全然知らない私でいいんですか?
でも、実際の仕事は校正とデータ入力、まあ事務です。
9月末にお話しが来て、10月に派遣会社の人と会社訪問をして、「あ、ここに来よう」と思いました。放送関係ってもっと殺伐としていたり、きつかったりを想像してたんですが、なんか妙に穏やかな空気の職場でした。
そうして10月半ばから、派遣社員として働き始めたのでした。
そして契約社員に
派遣社員は3年間しか同じところにいられません。働き始めた当初は、「3年たったら別のところに行ってもいいかな~」とか思ってましたが、居心地がよくて結局そのまま契約社員になりました。
派遣のときは1日8時間、残業ゼロでめっちゃ楽でした。時給も出版社のときよりずっとずっとよかったし。
今は残業も1日1時間くらいかな? 派遣時代よりは忙しくなりましたね。
でも教員時代は朝7時~夜19時勤務が普通だったんで……休憩らしい休憩もなく、一日12時間勤務……職員会議があると13時間以上……帰宅後も授業準備に試験制作……それと比べたら、1日9時間勤務で帰ったら仕事しなくていいなんて、天国です。
そう、帰ったら仕事しなくていい!! これ嘘みたいな話。学校の先生は休日も仕事をやっつける時間にしているものです。私なんか全然働いてない方でしたが、それでも家で仕事するの当たり前でした。
あと、有給休暇が取れる。これもすごいことです。
もちろん教員にも有給休暇はありますが、「友達と旅行に行くので」みたいな理由で取得する先生は皆無でした。職業倫理っていうのか。つまり、体調不良でのお休みくらいにしか使えず、使い切るなど夢のまた夢ってとこでした。
それが今は、自分の遊びの都合で! 有給休暇が! 取れる!! いやっっふー!!
2023年1月現在
名刺の受け渡しもお茶の出し方も知りませんが、会社は私を雇ってくれています。
年収はもちろんガクンと落ちましたが、働いた分はもらっていると思う。
何より、人間性を厳しく問われない。これが助かる。
教師ってやはり「聖職」と言いますか、生徒も保護者も、先生にかなり高いものを期待しますよね。私はそれに応えられなくて、自分がどうしても許せなくなって、やめました。
初年度からずっとダメで、受け持ったみんなにごめんねって言いたい。
最初の3年は悲惨そのもので。少しマシになったと思ってもまた全てがうまくいかない年があり。9年目に冬にトイレで泣きながら、無理だ私は、と思った。子どもたちは悪くない。私だった、全部。
若いころの1年間はすごく濃いので、私の1年と子どもたちの1年の重みも全然違ってて、その1年に私なんかがいて、たくさん裏切って傷つけたことを思うと、今こんなに幸せでいいのかな、と思うこともあります。
でも、失敗したらもうやり直せないんじゃなくて、壁にぶつかっても別のどこかで元気にやれるよ、って、それだけは言いたいです。
英語は全然仕事で使わなくなりました。今は教会の礼拝通訳を2週に1回やるだけです。
教員不足は今後も解消しないでしょうから、もしかしたら私もまたいつか……という思いは僅かにあります。そのときのため(というか趣味なので)、洋書を読んでせめてリーディング力だけは保てるようにしています。
でも、正直もう学校に戻りたくはないです。たいへんすぎる。何より、私は自分の人間性を全く信頼していません。
私がやめることが知れたとき「なんで? もったいないよ」と同僚の先生方は言ってくださった。わざわざ別室に呼んで、「私もやめたいと思うときはある。でも、生徒の顔を見れば、いろんな辛いことが消えるの」とお話ししてくださった先生もいました。でも、それを聞いて私は、「やはりやめるしかない」という思いを強くした。私は生徒の顔が見られなかったから。
ずっと、「先生くらいしかできない」「学校の外に出て働くなんて無理」と思ってました。
30歳過ぎた元教員なんて、どこの誰が雇いたいって思うんだろう、って。
でも、不思議なことに、居場所が今あります。いつまでいられるかはわからないけど。
「だからあなたも、やめても大丈夫!」なんて無責任なことは言えないんですけど。
先生やめたけど元気でけっこう幸せですよ、神様ありがとう、と。
それだけです。
(「それだけ」の話が5200字だよ!)
(人前でしゃべらなくなってアウトプットの機会がなくなった反動やな、私の記事の頻度と長さ……)
