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我が家にご滞在の猫たち ミーヤとの20年

今までに計5匹の猫が、我が家に滞在なさった。
 
それぞれの思い出を少しずつ、書いていきたい。

The kitten who chose us 私たちを選んだ子猫

初めての猫は、私が小学校3年生のとき、我が家にやってきた。
「ひろった」のではない。
「やってきた」のだ。
6月か7月、水曜日の夜7時すぎだった。
 
なぜ曜日と時間だけがここまで詳しいのかというと、
ドラゴンボールZのオープニングがテレビで流れていたから。
 
その日の夕方。
キジトラの、生後3カ月くらいの子猫が、近所の公園の縁で、ダンボールの中で鳴いていた。
母と妹と一緒に見にいって、餌を少しあげて家に戻った。
 
しばらくたって、ドラゴンボールのオープニングを見ていたら、
「また鳴き声がする……」
「さっきより近くない?」
 
子猫は、うちの庭に来ていた。
縁側で鳴いていた。
家にあげて、母がにぼしを出してやった。
 
ちょうどその時、父は東京に出て引っ越し先を探していた。
転勤で首都圏への引っ越しが決まっていたのだ。
 
「猫がうちに来た。飼っていい?」
 
突然の電話に戸惑っただろうが、父自身犬も猫も好きで飼ったことがあった。
うちを選んでやってきたのだから、と、すんなり飼うことを許してくれた。
名前は私がつけた。ミーヤ。

お庭で。来たばかりのころ。

On the day of moving 引っ越しの日に

父は猫OKなマンションを苦労して探しだした。
本当はもっと都心に近い場所に引っ越す予定だったらしい。
つまり、我々の住居は子猫ミーヤが決定したのである。
結果的にとても便利のよい住居で、ミーヤにはひたすら感謝したい。
 
私と妹にとって、また母にとって、ほとんど初めてのペットだった。
子どもの常でそっとしてやれなくて、ミーヤには色々かわいそうなことをしたと思う。
でもミーヤはうちにいついてくれた。茶ぶどう家はじめての猫になった。
ミーヤがいなければ、その後の4匹の猫たちもうちには来なかっただろう。
 
引っ越しの日。夏休みだった。
朝から引っ越し屋さんが出入りし、家の中のものはどんどん運び出されていった。
家具を載せたトラックが出発し、がらん、とした部屋を私は見回した。
「あれ、ミーヤはどこ?」
ミーヤがいない。ミーヤが、いない!
 
私と妹は泣きながら、空っぽになった家じゅうをさまよった。
ミーヤ! ミーヤ! どこへ行っちゃったの?
せっかく、一緒に住めるおうちを見つけたのに……
 
泣き疲れて縁側に座りこんだとき
ニャーン と声がした。

縁側の下から、子猫ミーヤは現れた。
 
見知らぬ引っ越し業者の人たちを怖がって、隠れていただけだったのだ。
みんなでかわるがわる抱きしめた。
ああよかった、一緒にお引っ越ししようね!

ミーヤ姫のお城

Things Miya taught us ミーヤが教えてくれたこと

ネコOKの寛容なマンションの一室で、ミーヤはすくすく育った。
なんて美しい猫なの!
私たちが撮る写真は、ミーヤばかりだった。
一緒に旅行もした。ミーヤにとってはうれしくなかっただろうが……海でミーヤは「ネコかき」をしていた。
 
私たちが猫について知っていることの、ほとんど全ては、ミーヤが教えてくれたのだった。
皮がよくのびること。
気持ちがいいとゴロゴロのどを鳴らすこと。
暗闇で本当に目が光ること。
わりとなんでも食べること。
爪をとぐと、小さな爪が脱皮するようにはがれること。
いつも家の中で一番快適な場所を探し出せること。
信じられないくらい高くジャンプできること。
家族以外には警戒心が強く、物音に敏感なこと。
興奮するとしっぽがぶわっと太くなること……

猫はどんな細いところにも飛び乗れること

ミーヤと暮らしはじめて、瞬く間に年月がすぎた。
その間に、もう一匹、猫が増えたりした。(その子の話はまたいずれ)

仲良くはならなかったもののそれなりにつきあっていた2匹

Nobody stays young forever

長いこと衰えを感じさせなかったミーヤだったが、
15歳を過ぎたあたりから、少しずつ、年をとってきたな、と思われた。
もともとスレンダーだったが、やせていった。
爪をしまえなくなった。
19歳になると、椅子に飛び乗りそこねたりして、ある日ついにまっすぐ歩けなくなった。
病院へ駆け込んだ。2010年の夏だった。
 
お医者さんの診断で、甲状腺その他の異状、腫瘍があることが確認された。
結局、寿命なのだ。
 
私たちは、改めて気づかされた。
ミーヤの腰から下が骨と皮のようになってしまっていることに。
体重は2キロを切っていた。
「もう十分生きたよ」と母は慰めるように言った。

猫は 年をとると 爪をしまえなくなる

いよいよ覚悟しなければならない。家族全員、そう思った。
しかしそこから1年半以上、ミーヤは本当によくがんばったのだった。
 
初めてのかかりつけ動物病院。初めての通院。
「こんなおとなしい子いません、おりこうさんです」とほめられる。
 
治療方針は。どこまでやるのか。
私たちは初めて、家族の猫が老いる、という事態に直面していた。
少しずつ小さくなっていって、少しずつ、動けなくなっていくミーヤと、
少しずつ、お別れをしていくこと……
 
ミーヤ、もう少し一緒にいさせてね。 
 
その一心で、私たちがしたことが、ミーヤにとって本当によかったのか、
今でもわからないんです。

Seeing off Miya ミーヤと私たちの20年間

2011年の3月11日のときは関東大震災を生き延びてきたかのような泰然自若ぶりを示し、
危ぶまれながらも夏を乗り越え、元気に人間のエサ(私たちが口で塩気を抜いたものをあげていた)をもらいたがっていたミーヤだったが、
2012年3月10日だった。
私が高2の修学旅行引率から戻ってくる渋滞のバスの車内にいたときに。
亡くなった。
 
マンションの廊下を走って、家のドアを開けて、
「まにあわなかったよ」と言われるときまで、
私は、本当にまにあわないなんて思ってなかった。
 
  ミーヤ、ミーヤ、うそだあ
 
まだミーヤはやわらかくて、あったかかった。
当日の日記を読むと、今でも涙が止まらない。
 
「ミーヤのかわりは、どこにもいない。
この先、別のネコを飼ったとしても、ミーヤのかわりではない。
ミーヤがくれた、私の、私たちの、20年間。
ミーヤは私にとって、一番変わっていく、子どもから大人になる時代の、友だちで、妹で、姉で、姫で、おばあちゃんで、家族だ。」
 
ミーヤの写真はほとんどアナログで、それも撮りっきりカメラで、
でも、そこには私たち一家の歴史が映っていた。
もうない家具。模様替えする前の部屋の様子。
ミーヤのいた、暮らし。



私の編んだマフラーをつけてくれた冬もあった


20年と半年あまり。
私たちと一緒に暮らしてくれた、ミーヤのお話し。

※サムネイル画像は小学校低学年のころの妹


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