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その星が、今は見えなくても。

伊与原新さん著「オオルリ流星群」。
この小説を読んでいる間に、私は39歳になった。このタイミングでこの本に出会えたことを、私は勝手ながら運命だと感じている。
物語に登場する人生の少し先輩たちからのメッセージが、いくつも私の元へと降り注いできた。それこそまるで、流星群のように。


あらすじ 

人生の折り返し地点を過ぎたであろう、45歳の久志。
父から家業の薬局を継いだものの、経営は先細る一方。未来に漠然とした不安を抱えていた。
そんな中、同級生の山際彗子ー通称スイ子が地元に帰ってきたという知らせを耳にする。久志は彼女や他の仲間たちと大切な思い出を共有していた。高校3年生の夏、文化祭で巨大なタペストリーを作ったことだ。久志ら他の仲間とは距離を置きながらも指揮をとったスイ子は、のちに天文学者となっていた。

なぜ、急に帰ってきたのか。理由はこうだった。

天文台を、作るつもりなんだ

一見無謀な計画。それが、一度は離れかけた久志ら仲間たちの絆を再び結びはじめた。そして、あの思い出の夏から彼らの中にあった、ある「わだかまり」を解きながら、それぞれの人生を再び動かしていくのだった。

みんな他人とは思えない

とにかく自分は、わからなくなっているのだ。この先、どう生きていきたいのか。

わかる。「わからなくなっている」ことが、とてもわかる。
私は久志よりも6歳ほど若いが、全く同じことを最近よく考えている。
このままで良いのか。本当に自分がやりたいことは何なのか。

2児の父でもある久志の、子どもたちに対して抱く感情にも深く共感した。

彼らが生まれたときには、とにかく健康に育ってくれさえすればいいと心から願っていた。(中略)自分たち親は、我が子に光るものが見当たらないなどと、厚かましいことを憂えている。

思い描いていた「幸福」は、それが叶うと「当たり前の事実」に降格されていく。そのうちに、日常に幸せを見出しづらくなる。今の私もまさにそうだ。家族がいる、皆が健康、家もある、食べ物にも困らないー。そんな満たされた生活の中でなお、「私の人生、これでいいのか」などと思い巡らせているのだ。

そんな久志に喝?を入れてくるのが、同じく地元で暮らす同級生の修だ。私は彼の経歴に驚いた。東京の小さな番組会社で働いた経験があり、現在は弁護士を目指して勉強しているというのだ。私も地方の放送局で働き、その後3年間、医師を目指して勉強を続けていた。

むしろ、わくわくしてる。この先何が待ち受けてるんだろうって。そういう気分がもう一回味わえるのも、『四十五歳定年制』の醍醐味だぜ

修は、二十歳前後で社会に出た人間は全員、四十五歳で一度定年し、職を変えなければならないという持論があった。私はこの言葉に胸が躍った。39歳、人生の挑戦はまだまだこれから、と信じたい私の背中を大きく押してくれた。

さらに物語に登場する千佳や和也も・・・千佳とは母であり妻でありながら人生を模索中ということが、和也とは、抱えているある病が、それぞれ私との共通点だった。とても他人とは思えない彼らに強く共感し、私は物語の世界にどっぷりと浸かっていった。

スイ子と宇宙

この物語のキーパーソンと言っても良い、スイ子。なかなか感情を表に出すことのない謎めいた超優等生キャラだ。彼女の胸の内を探る気持ちでページをめくっていくと、さまざまな出来事を通して、彼女の本心が明かされていく。それがある種の謎解きのようで読み応えがあった。

そして、彼女が語る宇宙は、私の想像力やロマンを大いに掻き立てた。

惑星になれなかった微惑星たちが、実は太陽系のふちに取り残されていた。それが、エッジワース・カイパーベルト。つまり、カイパーベルト天体というのは、原始太陽系の様子を今に伝えてくれる、生き証人なんです

ビル群などない田舎で暮らした小学生の頃を思い出した。奮発して両親が買った巨大なパソコンで、夜な夜な天体探しゲームをしては実際に外に出て夜空を見上げていた。そんな日々の何気ない出来事にいつも心が躍った。40代半ばのスイ子に残る、当時の私のような純粋さや情熱は、うらやましく眩しかった。それは久志たちがスイ子へ抱く感情にも通じていた。

その星が、今は見えなくても

まっすぐな思いはいつだって周りを動かす、と思う。「天文台を作る」というスイ子の夢には、いつしか多くのサポーターが集まっていた。中心となったのは、久志たちはじめ高校時代の同級生たち。とりわけ久志ははじめ乗り気ではなかったが、天文台作りに関わることで自身の人生にも光を見出していく姿が印象的だった。

物語を通して一番印象に残ったのも久志のこの言葉だった。

 人間は誰しも、一つの星を見つめて歩いている。ある者にとってはそれが叶えたい夢かもしれないし、またある者にとっては到達すべき目標かもしれない。
(中略)
 四十五歳になった今の自分たちは、「星食」のときを生きているようなものなのかもしれない。それを頼りに歩いていけばいいと思っていた星が、突然光を失い、どこにあるかわからなくなってしまった。その星と自分たちの間を、別の天体が横切っているのだ。
 けれど「星食」は、いずれ終わる。そのときは、見失った星をまたさがしてもいいし、別の天体を見つけて生きていってもいい。

「星食」とは、いわゆる「日食」「月食」のようなもの。私はこの久志の言葉に涙した。否が応でも自分に置き換えてしまったからだ。
私にとっての「星」は、娘を出産後うつになったことをきっかけに見つけた「医師になる夢」だ。だが、子育てしながらの受験勉強はあまりにハードルが高く、その間に娘の発達障がいが分かった。いざ大学の医学部に合格しても、勉強と娘の療育通いのサポートなどを両立できる自信がなく、はっきりと見えていたはずの夢はいつしかぼやけてしまっていた。

この久志の言葉でわかった。私は今、「星食」を生きている。娘という天体が、私と夢の間を大きく横切っているのだ、と。

小説「オオルリ流星群」は、最後にもう1つ大事なことを教えてくれた。

青い鳥は幸せなんて運んでこないよ。でもさ、それさえわかっていれば、青い鳥をさがすこと自体に幸せを感じられるかもしれないでしょ

物語のラスト近く、千佳の言葉である。本のタイトル「オオルリ」も大きく関わってくる大事なシーンだ。

私は、どうしても目指す「星」に目が行きがちだ。その星に手が届いた瞬間にしか喜びは存在しないと思ってしまう。
でも、本当にそうなのか。星を探す日々それ自体が、すでに幸せや喜びで溢れているのではないか。それらを噛み締めて進んでいくことが、人生なのではないか。
久志たちが青春を捧げたあの夏のように。そして、大人になって天文台作りに熱中した日々のように。私も、そんなふうに生きたい。

小説「オオルリ流星群」は、私のこれからの人生の道標ーまさに「星」となった。









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TOMOKO|産後うつを乗り越え、ASDっ子と生きるママの本音日記 温かい応援をありがとうございます!元アナウンサーから一転、閉鎖病棟を経て今、6歳の自閉っ子と歩む再起の記録を綴っています。頂いたご支援は、公認心理師への学びと家族の未来のために大切に活用させていただきます。私の挑戦に、伴走していただけたら心強いです!

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