推しは5才。
「もしUSJに行けなくっても、お母さんが連れていこうとしてくれたことがもう嬉しいよ。」
きのう子どもに言われ、ハンカチを取りに走った。
夏休みに子どもを連れて大阪へ行こうと決めたばかりなのだ。一週間前に思いついたから全てがギリギリ。計画に心折れそうになっているところでかけられた一言だった。
一番でないと意味がない
思えば私は幼少期から結果を求められてきた。ピアノ・水泳・テニス・勉強・美しさ・就職・結婚。会社の営業成績で1位になっても、別の大企業の名前を挙げられる。ある分野で上位まで行っても、別の至らない分野について否定をされる。その繰り返しだった。どれも極めることはできなかったけれど、1つ乗り越えるたびに人生のネタは増えていった。
しなさい VS. 一緒にどう?
両親の場合
親はいつも「命令形」でわたしに声をかける。
たとえば、「化粧して色気づくのはやめなさい」「早く結婚しなさい」「子連れ旅行なんて無謀だからやめなさい」などだ。親はわたしと別の人間、境界線をひくべきと思っていても、急に家に来たりしてズカズカと心を蹴散らしていく。今でも会うと心臓がギュッとなる。
5才の場合
対して子どもは「対話・共感」の形で声をかけてくれる。
「この本が面白いから教えたくて、いま良かったら一緒に読まない?」「行けたらでいいけれど、夏休みは大阪に行ってみたいな」「もし乗り物が選べるのなら新幹線に乗ってみたいのだけれど、できるかな?」「子どもの行きたいところだけだとお母さんが辛いだろうから、1日はお母さんの行きたいところに行こうね」など。こちらにも選択肢があるし、配慮がある。思いやりに年齢はまったく関係ないのだなと、子どもと話していて日々感じるのだ。
やさしくしてくれる人には、もっとやさしくしたい
以前のパートナーの口癖は「甘やかしたら成長しないから、お前を褒めることは一生無い」だった。でも今思うのは、褒められたらもっと頑張るから、もっと良くなると思うんだ。褒められたからこれでいいんだ、手を抜いてやろうとは思わない。褒められたら自信がつくし、その分野をもっと極めたいと積極的に深堀りするだろう。結果的にスキルは上がる。だからみんな、目の前の人をもっと褒めたらいい。下手なら下手なりに頑張りを認めたらいい。そしたら次会うときにはきっと成長しているから。
わたしは子どもが苦手だ。正直よその子なんて少しも可愛いと思えない。ギャーギャーうるさいし、ベタベタくっついてくるし、好きではない。だけれどもわたしの子どもとは対話できていて、お互いをリスペクトしている関係なので、その点においてひとりの人間として我が子が好きなだけだ。生理の時はいたわってくれるし、泡だらけだけれど皿だって洗ってくれる。一緒に生活を成立させていく仲間という意識が、我が子にはしっかりとある。今までのどのパートナーと比べても、我が子がダントツで優っている。「そうはいっても、いつか大人になって家を出ていくんだよね。寂しいな。」と言うと、「未来のことはわからないよ。今はお母さんが好きで一緒にいるよ。」と返ってきた。
いまの気分:
HANA / Blue Jeans
▲未来のことなんて 今だけは言わないで
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