やめたこと#3 noteを書くこと
noteを1週間やめてみた。
やめた理由と、やめたことで起こった変化を記録しておこうと思う。
やめた理由①依存してしまうから
数年放置したnoteを本格的に再開し、ありがたいことにフォローしてくださる方・スキしてくださる方が増えてきた。
そうなると右上のベルマーク🔔がやたら気になってしまう。何度もリロードしては通知を待つようになってしまった。書くことが好きで、吐き出したいから書いていたのに、第三者からの承認のために書くのじゃ本末転倒。これじゃスマホ依存と同じだと、距離を置くことにしたのである。
やめた理由②夢中になれるものを見つけた
先日からTHE LAST PIECE(ラスピ)というボーイズグループのオーディションにハマった。ノノガ(No No Girls)を追いかけてHANAにハマり、BMSGの動画をあさるようになり、「頑張っている子たちを応援する」=自分の子育てと重なる気がして、よく見るようになった。
ノノガのちゃんみなプロデューサーもそうだったが、SKYHIプロデューサーの言葉がけが素晴らしい。「自分が若いとき、上司や先輩にこんなふうに応援してもらえたら…」という言葉がゴロゴロ転がっている。パフォーマンスを見た直後、視聴者の私なぞ「すご・・・」位しか言えないのに、SKYHIは的確なフィードバックを即座にしている。理想の上司そのものである。
私はいま30代半ばだけれど、自分の中高時代こんなにひたむきだったか・輝いていたかと自問自答したり、過ぎ去った青春を悔やんだり、とにかく感情が忙しい。
アイドルとか全然興味なかったのに。そうか、完成されたパッケージのアイドルじゃなく、まさに原石の彼らが磨かれている様が美しいのだと思う。
▲KANTAくん、TOMOSHIくん、KANくんの3人。内から輝いていてまぶしい。
起こった変化①夜更かし
#ザ・ラストピース のオーディション配信は毎週金曜20時だ。見終わると21時を過ぎており、そこから名場面を見返したりしているとあっという間に夜中になってしまう。Youtubeは底なし沼である。自分に興味のある動画が芋づる式に出てくる。やばい、だめだと思っているのにやめられない。だからネットはダメなんだ。怠惰な私は娯楽から距離をとるしかない。フジロック直前ということもあり、今日から早寝早起きに切り替えることとする。
起こった変化②読書
本を1冊読み終わったら、カレンダーに★のシールを貼っている。カレンダーを眺めていて気付いたのだ。読書が進むときはある一定のパターンがある。
♦はかどる時:幸せとは程遠いとき
→「自分を見つめる」「自己肯定感とは」のような本をひたすら読み漁るから。
♦はかどる時:仕事が暇なとき
→やるべきことがすぐ無くなってしまうので、業務中にも読んだりしている。
♢読書がすすまない時:パートナーがいて幸せなとき
→本を読むより相手と話したい。すべての時間を相手のために使ってしまう。四六時中考えてしまい頭がお花畑なので、物語が入り込む余地がないので。
幸せなときは本を読まない。不安や不幸を感じているときに、本を読み漁っている。冬は1日1冊ペースで本を読んでいた。春は月に3冊程度しか読まなかった。そしてまた夏が来て、私は著者へ質問と対話を繰り返している。私の幸せはどこにあるのだろう。苗場に行ったら本当に変われるんだろうか。
起こった変化③自分へのハードルが高くなる
書かない期間が空くほど、次書くものへの期待が高まる。「ずっと書いていないんだから良いものを出さなきゃ」「鈍っていると思われたくない」などと、一体誰に向かって言っているのだかわからない、見栄や理想がずんずん積み上がる。ひとりでハードルを高くし、億劫になってやめてしまう。実際このnoteを書き始めるのも腰が重かった。賞に応募するわけでもない、インターネットの片隅で書き溜めているこのnoteでさえ、勝手な理想で苦しくなるのだ。
起こった変化④言語化する力
noteを書いていない間も、書きたいことは湯水のようにあふれていた。その断片を、単語をメモはするけれど、文章にはしていなかった。すると、どうやって文章を組み立てたらいいか忘れてしまう。頭の中のモヤモヤを取り出し、削っていって文章にしたいのに、ずっと霞のままなのだ。自分の考えを読める日本語に変換するという作業は、定期的にした方がいい。
結論:質より量。
とにかくアウトプットすべし。かっこいい文章にならないとか、読めば読むほど駄文だとか、恥ずかしいとかそんなことは自分が一番わかっている。それに大抵の人はそこまで気にしていない。パッと読んで、グッと来たらスキするし、興味のあるトピックだとしても挿入されている画像が好みでなかったらそっとブラウザを閉じるし、子どもが夜泣きしたら問答無用で中断するし、短文でなんかよく分からないけれどビビッときてフォローすることもある。
ノリだ。運だ。とにかく竿を振り投げ続けろ。宝くじだって買わないと当たらない。家から出ないと曲がり角でイケメンにぶつかることもない。書くべし。書くのだ。自分の汚い感情とか、醜い思いこみとか、勝手な理想とか、ひたすら吐き続けるのだ。出して出して出し続ければ最後にあたりの赤い球が出るかもしれない。マッチョに出会いたいならジムに通うべきだし、インテリに出会いたいならもう一度大学に通うのもいい。一晩だけの恋をしたいなら理性を捨てて雑踏に紛れればいい。優しくしてくれるならワンナイトでも誰でもいいやなんて言いながら、感情のキャッチボールをできる相手をどこかで探している。彼のことを思い出す時間が一日の半分以下になって、楽になった反面、忘れていく自分が許せなくて寂しい。純粋な愛を向けてくれる子供が二人もいるのに、私はパートナーになれる誰かからの愛を求めている。
ホットの紅茶を淹れていた時季から、あっという間にキンキンの麦茶の季節。一年は短いとは言うけれど、一日ごとで見ていくと楽な日なんてどこにもない。やっとのことで夜まで乗り切っている。その積み重ねの今日。
あたり前の日常の中に、フラッシュみたいに一瞬だけ光る幸せなひととき。100分の1にも満たないその記憶をボロボロになるほど反芻して、また明日を生きていく。
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