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日本のバンドがアメリカの壁にぶん投げた音の軌跡

日本のバンドが、アメリカという巨大な壁に本気で挑んだ14日間。
伝説のGilman St.から砂漠の一本道、
ラスベガスの夜、そして奇跡の最終日まで。
これは、EASTBAYが“音だけ”を武器に戦った、
リアルすぎるツアードキュメント。
これから海外でライブしたい人にも、
音楽を続ける理由を探す人にも届く物語です。


序章 ── 旅の扉が開いた瞬間

空港の自動ドアが開いた瞬間、まだ朝なのに胸の奥がざわついた。
これから始まる旅が、ただの“ツアー”じゃないことを予感していた。

ステッカーまみれのキャリーケースを転がしながら、
何度も街で鳴らしてきたあの音を、
今度はアメリカのステージにぶつけに行く。

正直、時間も金もギリギリ。
トラブルの不安はいつも頭の隅にある。
余裕なんてものは、ひっそりとポケットにしまい、
それでも飛行機に乗る理由は決まってる。
「呼ばれたら行く」
ただ、それだけ。
とにかくワクワクが止まらなかった。

約2週間。
未知の街、見たこともないライブハウス、
言葉すらまともに通じない相手の前で、
どれだけ“本気のEASTBAY”を見せられるのか。

Gilman St.の壁に刻まれた落書きは、
映像で見た景色よりもずっと荒々しくて、
でも、その荒々しさの奥に、確かに“自分のルーツの匂い”があった。
あの場に立った瞬間、
胸の奥で燻っていた火種が一気に燃え上がったのを覚えている。

フリーウェイをひたすら走るバンで次の街を目指し、
現地バンドとハグして笑い、
アメリカの夜を走りながら、
日本では感じない“ざらついた空気”を肌で感じた。
トラブルも奇跡も、全部まとめてツアーだった。

このnoteでは、
EASTBAYの海外ツアーの“キレイごとじゃない部分”も全部書く。

準備の地獄、
機材問題、
予算や食事情、
現地でしか味わえない空気、
そして最後に何が残ったのか。

あなたがもし、
「いつか海外でライブしたい」
「音楽でまだ何かやりたい」
そんな気持ちを少しでも持っているなら、
この物語はきっとあなたの背中を押す。

さあ、ページをめくろう。
EASTBAYのUSツアー、そのすべての始まりへ。

1章:誰かが言った、たった一言から始まったツアー

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すべては、この一言から始まった。

「EAST BAY(バークレー)に来いよ!」

前回のUS TOURのあと、
そんな映画のセリフみたいな一言が飛び込んできた。

その一言を送ってきたのは、たしかOmnigoneのAdamだ。
本気なのか、どれだけ現実味があるのか、最初はまったく分からなかった。

ただ、そのメッセージが届いた瞬間、胸のどこかで“何か”が確実に動いた。
その一言を聞いたときの空気を、今でも覚えてる。
部屋は静かで、外の車の音だけが小さく響いていた。
そんな中、自分の心臓の音だけがやけにうるさかった。

バンドのキャリア、EASTBAYとしての活動が長くなってくるほど、
ライブの数や動員やSNSの数字よりも、
“自分達がどこで音を鳴らしたいのか”という感覚が大事になっていた。

だから、“アメリカ”という言葉には、必要以上に心が揺れた。
あそこには、自分の音楽のルーツがごっそり眠っている。

2019年の秋、EASTBAYは初めてUS TOURをやった。
その後、「次、またアメリカでやろう」と思っていた矢先に、
世界はコロナ禍へ。

コロナが落ち着き、メンバーチェンジ。
SHIVAとYOWIEの正式加入。
ようやく「EAST BAYに来いよ!」の実現へ向かって進み始めた。

まだスケジュールも何も決まっていないのに、
想像だけで勝手にテンションが上がっていく。
“可能性”って言葉だけで、あの頃はもう十分だった。

思い返せば、
すべては誰かがふと言った、たった一言から始まっている。

「EAST BAYに来いよ!」

シンプルで、乱暴で、
でも、最高に熱い誘いだった。

あの一言がなかったら、
EASTBAYは924 Gilman St.にも、ロングビーチにも、
機材車の窓から見たカリフォルニアの朝焼けにも出会っていない。

ツアーってのは、たぶん段取りや金や準備も大事だけど、
始まりは案外こんなものだ。
軽く投げかけられた一言が、人生の景色をまるごと変える。

EASTBAYのUS TOURは、
そんなシンプルな奇跡から始まった。


2章:US TOURを“本当にやる”と決めた日

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US TOURを本当にやると決めたのは、
誰かに背中を押されたわけでも、
完璧な計画が立ったわけでもない。

ただ、
胸の奥の“火種”が、もう自分でも抑えられなくなった瞬間だった。

2019年の初US TOURの後、
アメリカでThe Hellflowers(US)と7inchのスプリットをリリースし、
Union13のEdward主宰のレーベルが出すコンピにも参加した。
全部、アメリカに向かうための線のように繋がっていたのに、
世界はコロナ禍で止まり、
世の中から8ビートがどんどん小さくなっていった。
あの世界的パンクロックバンドGreen Dayからの、
ジャパンツアーのオファーも消えてしまった。

ライブは消え、ビートは遠ざかり、
先の予定も見えず、メンバーは減って、
残ったTAKAと二人、
「EASTBAYはここまでなのか?」と思った夜もあった。

でも、不思議と音楽だけは止まらなかった。
骨のどこかが「まだ終わってない」と言い続けている感覚。
それが、EASTBAYというバンドの核なんだと思う。

そしてSHIVAとYOWIEが正式加入した日。
バンドの空気が変わった。
「これならもう一度アメリカへ行ける」
理由なんていらなかった。
4人のテンションは、すでに“前”を向いていた。

US TOURをやると決めて、最初に連絡したのはHiro。
ウクレレ一本でアメリカのステージをかっさらう、あの男だ。

Hiroは相変わらずスピードが速い。
こっちが「またアメリカ行きたいんだよね」と送ると、
「どれぐらいやりますか?」
そんな勢いで返事が返ってくる。

Nick(MSF Productions)も、
Matt(The Hellflowers)も動きが早い。
「こいつらと一緒に回れたら絶対に面白い」
そんな確信があった。

このあたりから、
US TOURが“願望”や“想像”から“現実”へ変わり始める。

メッセージの通知が鳴るたびに、
新しい候補日やライブハウスの名前が増えていく。
「この日ならロングビーチがいけそうだ」
「こっちはラスベガスのバンドがやれそうだ」
そんな情報が、毎日少しずつ積み重なっていった。

そして、あるLINEの通知。

「924 Gilman St.でライブがやれそうだ」
という一言がHiroから送られてきた。

その瞬間、背筋がゾクッとした。
言葉に重さがあった。
“夢が現実に変わる音”って、こういうときに鳴るんだと思う。

「もちろん行く」
「スケジュールはいつでもいい」
考えるより先に、指がそう打っていた。

そこからの展開は速かった。
LINEやDMのやり取りが一気に増え、
街も日程もどんどん決まっていき、
気づけば“ツアー”という形が出来上がっていた。

予定表を見つめながら、
仕事のスケジュールをどうずらすか、
生活をどう回すか。
そんな現実的なことなんて後回し。

でも不思議と苦じゃなかった。
むしろ、
「これでようやくスタートラインに戻れる」
そんな感覚に近かった。

EASTBAYとして、本気のUS TOURを再びやる。
その決意は、
静かだけど強烈に、自分の中に落ちていった。


今回のUS TOURは、こんな感じでスケジュールを組み始めた。
けれど ── 最初のUS TOURの時なんて、本当にギリギリだった。

まずは「行く期間」だけを決めて、
ロサンゼルスで開催される“SAKAI MEETING 2019 in US”を中心に、
その前後をどう繋げるかを考えた。

ただ、初めてのアメリカツアー。
友達のバンドもいなけりゃ、
どこにどんなライブハウスがあるかもわからない。
ひたすらインターネットで西海岸のライブハウスを検索し、
片っ端からメールを送りまくった。

「日本のEASTBAYってスカパンクバンドだ。
CDのレコ発ツアーをやるから出してくれ!」

そんなテンションで、英語も怪しいまま音源を送りつけた。
まるで日本で初めてツアーを組んだ時と同じ感覚。
勢いだけで突っ走っていた。

もちろん、ほとんどのメールは無視。
返信ゼロ。音沙汰なし。

それでも粘り強く送り続け、
ツアーの1ヶ月前になって、
ようやく1本、2本とライブが決まりはじめた。

最終的に全日程が固まったのは、出発のわずか数週間前。
あの時ばかりは、心底ヒヤヒヤした。
このままじゃ、ただの“アメリカ旅行”になるところだったから。

けれど、最初の1本が決まった瞬間のあの安堵感。
胸を撫で下ろしたあの夜は、今でも忘れられない。

全てはこの時に掴んだ出会いと繋がりが、
今回のツアーの基盤となった。


3章:準備と費用 “ここからが現実との戦い”

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この一文で、一気に冷静になる。
アメリカへ行く最初の壁は、いつだってコイツだ。
「航空券」

US TOURを“やる”と決めた瞬間、
胸の中の熱とは別に、ひっそりと影を落としてくるものがある。
現実との戦いだ。

ツアーの日程が少しずつ固まり始めた頃、
夢の足元には、航空券・宿・車・書類・機材・物販…
ひとつずつ積み上がる“やることリスト”が山のように待っていた。

最初に現実を突きつけてきたのは、友人からのこの一言。

「飛行機代いくらでした?」

ワクワクと勢いだけで突っ走るには、
アメリカは遠すぎるし、現実は甘くなかった。


■ 航空券 ── 最初の壁はだいたいコイツ

今回はLAXにIN&OUTのルート。
10月でも航空券は容赦ない。

  • 成田 → LAX(往復):12〜20万円/1人

4人分まとめると、50〜80万円が一気に吹き飛ぶ。

それでも迷いはなかった。
“やる”と決めたら、もう後戻りはない。


■ ESTAと渡航準備 ── 地味だけど落とすと詰む工程

海外ツアーは、ライブ前に“紙との戦い”がある。

  • ESTA申請

  • パスポート残存期間チェック

  • 滞在先の登録

  • 必要書類の控えの準備

  • 緊急連絡先の整理

今回は ギャラ契約なしのショーケース参加 という形だったので、
必要な手続きは比較的シンプル。

海外のバンド仲間に招かれ、
DIYイベントに個人として出演するスタイルだった。

それでも、書類関係は毎回ヒヤヒヤする。
ここでトラブったらツアー自体が終わる。

正直、
「これじゃ俺の足りない頭がパンクしそうだよね。」


■ 宿泊 ── “安さ”と“安全”のギリギリライン

今回周った街は、

ロサンゼルス/サクラメント/バークレー/ラスベガス/アリゾナ/
サンディエゴ/ロングビーチ/フラートン。

アメリカの宿は、もう笑えるくらい高い。
ボロいモーテルでも1泊15,000〜20,000円なんてザラ。

だから今回は、Airbnb で個人の家を借りて共同生活。

  • 拠点を絞る

  • できるだけ連泊

  • みんなで割り勘して節約

さらに今回は、カップリングしたJUNKY58%も一緒に泊まったおかげで、
宿泊費はかなり抑えられた。

寝坊、遅刻をしない、集合が楽。笑
ツアーに慣れてる者同士の共同生活は、思った以上に快適だった。


■ 機材 ── 持っていくか、借りるか問題

毎回悩むポイント。今回も悩んだ。

US TOURはドラムセット・ギターアンプ・ベースアンプ、
何から何まで持ち込みが基本。

全部日本から楽器を持っていくなんて、
現実的じゃない。

結論は今回もシンプル。

✅ “全部借りる”

理由は分かりやすい。

  • 飛行機の運搬で壊れる心配がない

  • 追加の荷物料金がない

  • 移動が圧倒的に楽

  • ワシントン条約による木材没収・滅却を避ける

ただしデメリットもある。

  • 自分の音じゃない

  • トラブル時はどうにもならない

でも、ここで、
Hiro・Nick・Matt…
いつもの仲間がサポートしてくれる安心感は本当に大きい。

彼らがいなかったら、この選択は絶対できなかった。


■ 物販 ── ツアーの“生命線”

今回持っていったのは、

  • CD

  • ステッカー

  • タオル

Tシャツと缶バッジは 現地で製作。

アメリカの相場は、
Tシャツ15〜20ドル。

完全に友人主催のDIYイベントだったけど、
応援の気持ちでCD(無料配布)やグッズを手に取ってくれる人が多かった。

こういう瞬間に一番救われる。


■ 車・ガソリン ── 避けられないコスト

アメリカはとにかく広い。
毎回ライブ会場とライブ会場の距離が笑えるくらい遠い。

今回の移動手段は、普通のレンタカーではなく、
“Turo”というカーシェアアプリ を使った。

Turoは、

  • 個人間でやり取りできる

  • アプリで完結

  • レンタカー屋より格安

  • ちゃんと保険も付けられる

  • 車種や条件を細かく選べる

というメリットだらけのサービスで、
今回のツアーでもレンタカー代をかなり抑えることができた。

借りた車は1台は機材を乗せるだけのバンと、
もう1台は8人乗りのバン。
アメリカ走るにはちょうどいいサイズ感。

  • レンタカー:12〜15万円

  • ガソリン:180マイル(約290km)走るごとに給油

それでも、
早朝や夜のフリーウェイを走る時間は格別だった。

知らない街の光、
道路に浮かぶ標識、
ただただひたすら真っ直ぐに砂漠を抜ける道、
スピーカーから流れる音。

あの時間だけは、金じゃ買えない。


■ 食費 ── ほぼコンビニとスーパー

基本はこれ。

  • ライブ後に空いてる店はほぼない

  • だから、コンビニかスーパーで買って部屋で食べる

  • 朝食を抜いて、長距離移動しながら昼食を買う

  • たまにハンバーガー・タコス・ホットドッグ

こんな感じで、ほぼ毎日まわっていた。


■ 結局、旅費はいくらかかった?

今回のケースをざっくりまとめると──

  • 航空券(1人):約12万円

  • 宿泊(1人):約5万円

  • レンタカー(1台):約12〜15万円

  • ガソリン(1台):約14万円

  • 食費:人による

✅ 総額(1人):約25万円

安くはない。
でも、ツアーを終えたメンバーの顔を見れば、
「全部払った価値があった」 と胸を張って言える。

そして、機材を全部現地で借りられたのは本当にラッキーだった。


■ 現実との戦いを超えると、景色が変わる

海外ツアーは、
情熱だけでは進めない。
現実だけでも動けない。

その真ん中にあるのが、
“自分達で決めた理由” だ。

EASTBAYは今回、
その真ん中に火がついたから動けた。

準備も費用も、やるべきことは山ほどあった。
それでも前へ進んだ理由はひとつ。

「アメリカのステージで、もう一度音を鳴らしたかったから。」

ここまででようやく“準備”は終わり。
物語はまだまだ序章。

いよいよアメリカに足を踏み入れる。
次の章から、US TOURの“本番”が始まる。


4章:アメリカ到着 ── 最初の洗礼

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飛行機の車輪が滑走路に触れた瞬間、
いつもの“旅行の着地”とは違う衝撃が胸に走った。

「帰ってきた」でもなく、
「初めて来た」でもない。

ずっと遠くから聴こえていた音の正体に、
ようやく触れたような感覚だった。

ロサンゼルス国際空港、LAX。
ボーディング・ブリッジを抜けた瞬間に流れ込んできた空気は、
乾いていて、陽の光が強くて、
なんだか“音が溜まっている国の匂い”がした。

「まだそこまで実感がないですね…」
SHIVAが深呼吸しながら笑う。

まぁ、飛行機降りただけだしな。笑

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■ いきなり“アメリカサイズ”の洗礼

空港を出た瞬間、最初の洗礼がくる。

デカい。何もかもがデカい。

車も道も看板も、いちいちスケールがおかしい。

Hiroが空港まで迎えに来てくれて、
TAKAとYOWIEがTuroで借りたレンタカーをピックアップ。

そして、いきなり左ハンドルで右側通行。
アメリカの道路を初日から走るのは、控えめに言って地獄だ。

でも、誰かがやらないと始まらない。
結局、最初の運転はTAKAとYOWIEが買って出た。

「最初は俺がいくわ。死なない程度にね。」


■ いきなりフリーウェイへ ── “アメリカ走り”の洗礼

空港を出て数分。
気づいたらもうフリーウェイの入り口だった。

左ハンドル、右側通行、マイル表示、スピード感、車線変更の荒さ。
全部違う。

フリーウェイでは、
65〜70マイル(時速104〜112km)で飛ばす。

TAKAの声が車内に響く。

「みんな運転が雑〜!」

笑いながら言っていたけど、
しっかり手に汗かいてた。


■ 初日の目的地:ロサンゼルス

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Alecsの所で機材をピックアップ

最初の拠点はロサンゼルス。
空港から車で30〜40分ほど。

まずは腹ごしらえに IN-N-OUT へ直行。
アメリカンサイズのハンバーガーを喰らって、テンションは一気に上がる。

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Chrome Hearts Los Angeles

その後のご一行は、
ロングビーチでThe HellflowersのAlecsにギターやアンプを借り、
クロムハーツへ行ったり、
ギターセンターで弦を買ったり、スティック買ったりと、
ツアーに必要な物を買いに行き、
アナハイムでNickからドラムセットを受け取る。

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Guitar Center Hollywood Music Store

この頃にはすっかり日も暮れる。
そういえば「この時間ってディズニーの花火上がるんじゃない?」
ということで、
みんなをダウンタウンディズニーへ連れて行った。

わずかな時間だったけど、
ディズニーの世界観に少し触れて、
スターウォーズのグッズを買い漁り、
長い移動と時差の疲れがふっと軽くなる。

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Star Wars Trading Postで買い漁る

■ 初日の“悪夢ドライブスルー事件”

初日の夜食を求めて、
なぜか俺達はマクドナルドのドライブスルーへ突撃してしまった。
日本語も英語も満足に喋れないメンツで、だ。

レーンに並んだ瞬間、俺は心の中で悟った。

「あ、これ絶対終わった…」


運転していたTAKAがマイクに向かって注文する。

しかし──
店員もTAKAも、会話がまったく成立しない。

沈黙。
さらに沈黙。

TAKAは「注文通った!」と勝手に思い込み、
車を前へすすめる。

いやいやいや…
注文、1ミリも聞かれてないから!

気を取り直して店員と対面で改めて注文。

面倒になった俺はこう言った。
「もうTAKAと同じでいいよ。」

するとTAKAは自信満々に店員に向かい…

「ベーコンダブルチーズバーガー、セット、ツー!」
「オーバー!」

(※なぜ最後に“オーバー”をつけるのかは謎)

支払いを済ませ、レシートを見ると──

・ベーコン → ない
・ダブル → ただのシングル
・セット → 単品
・2つ → 1個

はい、全敗…

当然、夜食は変更に。
悔しさだけが残る。

その日からTAKAは決意した。
「ベーコンダブルチーズバーガー」の発音を極める。

毎晩ひたすら言い続ける男…
「ヴェ〜コン・ダボォゥ・チィウィ・バァォウゴォウ〜」

US TOUR序盤の“ちょっとした修行”がここから始まった。笑


■ 初日の夜、静けさが落ちる

夜遅くにAirbnbで借りた宿に到着し、
ホストが用意してくれた暗証番号で玄関を開ける。

その瞬間、誰もいない部屋に静けさが落ちた。

「あ、生活が始まるんだ。」

旅行じゃなくて、
“ツアー”の空気に切り替わる瞬間だった。

荷物を下ろし、リビングのソファに座る。

日本を出る直前までバタバタして、
気づけばもうロサンゼルスの空の下。

眠気混じりの脳は追いついてない。
でも心は、もう次の街へ走り出していた。


■ 着いてすぐに痛感したこと

  • 風景が違うと、気持ちが一瞬で変わる

  • 音楽の街は、空気の“密度”が違う

  • ツアーは到着の瞬間から始まる

  • 不安よりワクワクの方が圧倒的に強い

  • “来た理由”が身体の中で急にハッキリする

空港に降り立ったときの胸の揺れ方は、今でも覚えている。

EASTBAYのUS TOURが、本当に動き出したんだ。


■ そして、ツアー最初の“洗礼”が訪れる

大人数での移動、宿泊、共同生活。

ベッド、寝袋、ソファーで寝る毎日が始まり、
それは “騒音つき” でやってきた。

そう、イビキ、歯ぎしり、寝言。
いろんな音が混ざった、夜のBGMだ。笑

寝れない。
これも含めて、US TOUR。


次の章では、
いよいよアメリカで最初のライブハウスへ向かう。

ここから、“音の戦場”に踏み込むことになる。

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注文どおりにいかなかったハンバーガーとSHIVA

5章:最初のライブ ── イーストLAの壁に音を叩きつけた夜

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翌朝、時差ボケはほとんどなく、
コーヒーの苦い香りで意識がゆっくり浮上した。

カーテンの隙間から差し込むロサンゼルスの朝日は、
日本の朝とは光の“質”が違う。
乾いていて、妙に鮮やかで、身体にズドンと入ってくる。

キッチンでコーヒーを飲んでいたら、
EASTBAYの撮影スタッフが少し緊張した声で言った。

「いよいよ今日ですね?」

そう。今日が最初のライブ。

その瞬間、身体の奥で小さく“スイッチ”が入った。
けれど、特別なことは何もない。

日本だろうがアメリカだろうが、
やることはいつもと同じ。


■ Don Quixote へ ── “LAじゃなくてイーストLAの匂い”

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Don Quixoteのステージとフロア

昼過ぎ、車で会場へ向かう。
乾いた空気感じながら、雑踏とした街の中を抜け、
看板が少しずつスペイン語に変わっていく。

その瞬間ふと気づく。

「あ、ここは“LA”じゃなくて“イーストLA”だ。」

スカとラテンとチカーノカルチャーが混ざり合った、
“濃いのにあたたかい”独特の空気。

ドン・キホーテの看板が見えた瞬間、
胸の奥で小さく電気が走った。

実はライブの1週間前、
イベントも会場も急遽内容変更になり、
初日からまったく予測不可能な状態だった。

ただ、イベンターからは、

「前より良いイベントに突っ込んだから楽しみにしてろ!」

という、いかにもアメリカらしい返答。

トラブルというほどでもないが、
こういう“急な変化”が本当にこの国っぽい。


■ 会場に着いた瞬間、「別世界」の匂いがした

会場は想像以上の広さ。
高いステージ、広いフロア、
そしてあふれるほどの人・人・人。

ライブバーの“アメリカ感”というより、
もっと濃くて、もっとエネルギッシュ。

初めて見る人達ばかりなのに、
EASTBAYが音を鳴らすと、すぐに踊り出す。

前回のUS TOURでも感じたことのない“別世界の匂い”。

初日から脳が震える感触があった。

どこかで、初めて地元のライブハウスに足を踏み入れた日の記憶が重なる。

「あ、ここは音が生きてる場所だ。」

そう直感した。


■ 出演バンドの空気が“濃い”

この日のメンツはこれ。

  • JUNKY58%

  • RASKAHUELE

  • LA MUERTE

  • LOS P2

  • BILL SKASBY

  • LOS SKALLEJEROS

完璧な“イーストLAのDIYスカパーティー”。

英語、スペイン語、日本語、
軽快なSKA、ダークなSKA、ビートの決まったSKA。

言葉なんて気にならない。
音でつながった人間は、言語の壁を簡単に飛び越えてくる。


■ サウンドチェック ── “音が合うかどうか”の緊張感

アメリカではリハーサル出来るかどうかなんて当てにならない。

出番が来ればステージに楽器を持って上がり、
その場でセッティングして、
音が出ればもう“せーの”で始まる。

そして初っ端からトラブル発生。

俺のギターアンプから音が出ない。

急いで別のアンプに交換し、
セッティングし直す。

音さえ出ればこっちのもの。
少しピリッとした空気の中、
そのまま本番に突入した。


■ アメリカのステージに立つ瞬間

俺はギターを掻き鳴らす。
TAKAの合図と同時に、
バンドの音が一気に混ざった。

音と空気がぶつかる。
言葉より先に、音が答えを出してくる感覚。

“ここで鳴っている音”に即身体を馴染ませる。

同じ曲のはずなのに、
空気が違えば鳴り方も変わる。
音が飲まれずに伸びていく。

フロアではみんなが好きなように身体を預けて踊り、
手を挙げ、歌い、拍手してくれる。

そしてこの日のハイライトが訪れた。

初めての土地で、初めての箱で、
初めての人達を相手にやった、
「Mad Dinner Blues」。

曲の最後のパート ──
歌とギターだけになる瞬間。

本来なら“初めて聞く曲”のはずなのに、
フロア全体が急に声を乗せてきた。

「Mad Dinner Blues」を大合唱。

そう、俺と一緒に歌ってくれたんだ。

あの瞬間、背筋をゾワっと震えるものが走った。
言葉じゃない。文化でも国籍でもない。

“音”だけで通じた瞬間だった。

「ああ、これがライブだよ。」

心の底からそう思った。

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Don Quixoteの湧き上がる夜

■ 終わった瞬間、確信したこと

ライブ後、
出演バンド、スタッフ、観客が次々に話しかけてくる。

英語でもスペイン語でも、なぜか全部通じる。

音でつながった瞬間、
国境なんてあっさり消える。

あのとき確信した。

このツアーを始めて本当に良かった。
アメリカのステージで音を鳴らしたかった理由がここにあった。

初日のライブが最高だった分、
この先の旅がもっとワクワクしていくのが、
ハッキリわかった。

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次の章 ── 「サクラメントへ ── 長距離移動と仲間との再会」

イーストLAで完全に火がついた。

そして次の目的地は北へ数百キロ。
長距離移動の先に待つ街、サクラメント。

Hiro、Matt、Nick ──
再会が待っている。

ツアーはまだ序章。
アメリカはまだ何も見せていない。


6章:サクラメントへ ── 長距離移動と仲間との再会

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ロサンゼルスの早朝。
まだ眠たい身体で荷物を積み込み、途中でHiroを拾い、
俺達はサクラメントへ向けて車を走らせた。

エンジンの重い音と、
昨日のライブの余韻がまだ身体に残っている。

「ツアーってこういうもんだよな〜」
誰かがそう言って笑ったあと、バンの中は妙に静かになった。


■ 約630km以上の移動 ── “旅が始まった距離”

ロサンゼルスからサクラメントまでは約6〜7時間。
朝のフリーウェイをひたすら北へ走る。

車窓の景色は、
LAの乾いた街並みから、
徐々に荒野と農地が混ざる風景に変わっていく。

休憩の度にコンビニで買うコーヒーは薄い。
けど、長距離移動の時はその薄さが逆にちょうどいい。

アメリカのツアーで最初に“旅感”が出る瞬間って、
こういう終わりのないフリーウェイの時間なんだと思う。

会話が止まると、
窓の外で景色だけがずっと流れ続ける。

その静けさすら心地よかった。


■ サクラメント到着 ── 仲間との再会

昼過ぎ、サクラメント入り。

その後すぐに、
The Hellflowersのメンバー、
MSF ProductionsのNickと再会。

彼らの笑顔を見た瞬間、
長距離運転の疲れなんて全部飛んでいった。

アメリカでの再会は、日本で会うそれとはまったく違う。
同じ空気を吸うだけで、ツアーが一気に加速する。

「おかえり」じゃない。
「また一緒にやろうぜ」 の空気だ。


■ サクラメントで起きた“偶然の再会”

会場入りして楽屋でリラックスしていたとき、
スマホが震えて名前を見た瞬間、思わず声が出た。

後輩からの連絡、中井(元 FIVE NEW OLD)

電話に出ると、

「今サクラメントのフェスに来てるんで、
あとでEASTBAYのライブにも遊びに行きます」

いやいやいや、
このサクラメントで?
まさかのタイミングで?
何千キロも離れた日本から来て、
同じ日に、同じ街に、一緒にいるってどういう奇跡!?

久しぶりに再会すると、
楽屋で空白を埋めるみたいに、
しゃべって、笑って、語って、共有して。

こういう“旅の奇跡”って本当にあるんだな、と心から思った。

「ヤバいっ!」

その言葉だけで十分だった。


■ Sacramento : Cafe Colonial

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Cafe Colonial

サクラメントのDIYシーンを支えるライブハウス。

外観はシンプルで、映画館の横にくっついたような場所。
でも中に入ると、完全に“アメリカのローカル”の匂いがする。

雑だけど、嘘がなくて、
音がそのまま混ざるような空気。

日本のハコとも、
昨日のDon Quixoteとも違う。

「ここはサクラメントの空気が音に変わる場所だ」
そんな風に感じた。


■ 今日のメンツは全部友達

この日のメンツはこれ。

  • JUNKY58%

  • Ukulele Hiro

  • The Hellflowers

  • Skatsune Miku

初めて来た街で、
地元バンドゼロのライブなんて、
よくやれたな、と今でも思う。笑

国も言語も関係なく、
“音の並び”だけで一体感が生まれる。

アメリカのDIYシーンは、
「ノリの良さと魂」 が、すべてだということを思い出す。


■ サウンドチェック ── 昨日の延長ではない

Don Quixoteの感覚を引きずりながら音を鳴らす。

昨日は“イーストLAの鳴り”
今日は“サクラメントの鳴り”

空気が違えば、音の返りも違う。
ステージの床、モニターの角度、フロアの広さ。

全部が土地の“音のクセ”として返ってくる。

この“土地ごとの音”に身体を馴染ませる瞬間が、
ツアーの醍醐味でもある。


■ 本番 ── 昨日とは違う景色に音を投げる

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Photograph by Cristian : https://www.instagram.com/ceeing_things.oma

いつもの登場SEが流れ、
SEのタイミングに合わせてバンドイン。
そのまま曲に突入。

昨日とはまったく違う空気。

イーストLAが“濃い熱”なら、
サクラメントは“柔らかくて深い熱”。

フロアの反応も、踊り方も違う。
だからこそ、たまらない。

「アメリカって広いな」
こういう瞬間に実感する。

土地ごとに違う音の鳴り方を、
身体で受け止めながら演奏する。

ツアーの価値って、こういう積み重ねだと思う。
この経験値は、本当にたまらない。


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Photograph by Cristian : https://www.instagram.com/ceeing_things.oma

■ ライブ後 ── “ツアー仲間”という言葉の意味

ライブが終わると、
バンド同士の会話に一気に花が咲く。

久しぶりなのに、
まるで昨日も一緒にライブをしていたような距離感。

明日もまた同じメンツで回る。
その安心感の中で、一日がゆっくり終わっていく。

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中井(元 FIVE NEW OLD)と空白を埋めた楽屋にて

■ 次の目的地は、聖地 ── 924 Gilman St.

サクラメントの余韻に浸る時間もなく、
夜のうちにバークレーへ向けて走り始める。

しかしここでトラブル発生。

夜のフリーウェイで、
YOWIEの運転する車が警察に止められた。

機材車を追うように走っていたこと、
慣れないアメリカの道で少しふらついたこと。
違反ではないが、警察の目に止まったらしい。

事情を話すと、警官は穏やかで、すぐに解放してくれた。
ただ、この日はサクラメントで発砲事件もあり、
警察がかなり警戒していたようだ。

こうして再び車を走らせ、
次の街へ向かう。

次はカリフォルニアの伝説。
924 Gilman St.

Rancid、Operation Ivy、
Green Day、The Offspring ──
無数の名バンドがここから育った。

EASTBAYが初めてあそこに立つ。

そう思うだけで身体が震える。

ツアーはまだ折り返し前なのに、
物語はどんどん濃くなっていく。


次の章 ── 「924 Gilman St. ── “伝説の壁”に初めて立つ夜」

ここから先は、
EASTBAYのUS TOURの“核心”に触れる。
覚悟して読んでほしい。


7章:924 Gilman St. ── “伝説の壁”に初めて立つ夜

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バークレーへ向かう夜のフリーウェイ。
窓の外は真っ暗で、スピーカーから流れる音だけが、
旅のスピードを刻んでいた。

深夜、ようやくバークレーの宿に到着する。
アメリカは駐車場が少なく、ほとんどが路駐。
この時間に空きスペースを探すのは本当に大変だ。

なんとか車を停めて荷物を降ろし、
コンビニで買い揃えたもので軽く腹ごしらえ。

サクラメントから何百キロも走ってきた身体は重いはずなのに、
それでも胸の奥の高揚の方が確実に勝っていた。

そして、俺達はついに “あの場所” に向かおうとしていた。

Rancid、Operation Ivy、
Green Day、The Offspring ──
名だたるバンドが育った伝説のライブハウス。
924 Gilman St.

EASTBAYとして初めて立つ、
ずっと思い続けてきた場所だった。

パンクをかじった人間、バンドマンなら誰しも、
一度は行ってみたい、
一度は立ってみたいステージ。

俺にとっては、
「日本武道館よりギルマンのステージに触れてみたい」
そんな気持ちの方が強かった。

自分が聴いて育った音楽が生まれた場所。
影響を受けた人達の汗と匂いが染み込んだステージ。

普段「このハコに出たい」とか「このイベントに出たい」とか、
そういう欲がほとんどない俺でも、
ギルマンだけは特別だった。

直感で分かった。
これは自分というバンドマンの“根っこ”に触れる旅だ、と。

そして何より…
EASTBAYの名前の由来のひとつでもある、
この“EAST BAY”に足を踏み入れたことが、ただ純粋に嬉しかった。


■ ギルマンに到着 ── 最大のトラブル発生

ギルマンに到着し機材搬入。
車を停めて荷物を降ろし始めたその瞬間だった。

「……ギター、1本無くない?」

Alecs(The Hellflowers)から借りていたギター2本のうち、
サブギターが丸ごと消えている。

背筋がスッと冷えた。

ロス(初日)では使わないから宿に置いていた。
チェックアウトするときは、確かに積んだ記憶がある。

サクラメントの2日目でも、
「使わないから降ろさないでいいよ」
そう言ったはず。

じゃあ…どこで消えた?

ギルマンの前で荷物を降ろしている最中、
頭の中で“どこで落としたか”の映像を巻き戻す。

ロスの宿に電話した。
「部屋にはなかった」と言われた。
いや、そりゃそう言うよな。

じゃあサクラメント?
ライブハウスに問い合わせるも、
たまたま3日間営業しておらず連絡が取れない。

最悪のタイミング。

HiroやMattは、
「俺らが連絡取るから任せろ!」
と言ってくれたが…

それでも、Alecsに申し訳なさすぎる。

そして頭に浮かぶのは、
ギルマンのライブよりも先に、
“ギターどうすんだよ” という現実。

US TOURは始まったばかりなのに、
「このまま続けられるのか…?」
そんな不安が胸の奥に張り付く。

やるしかない。
でも気が気じゃない。

ギルマンという“憧れた舞台”の手前で、
まさかの心臓に悪いトラブル。

ギターを無くした焦りと不安は胸の奥でまだ燻っていたが、
それでも足は前に進んでいく。


■ 924 Gilman St. ── 伝説なのに、妙に静か

バークレーの街に入ると、
空気がサクラメントともロサンゼルスとも違っていた。
ひんやりしていて、街全体がザラついている。

ギルマン前に車を停めた瞬間、
レンガの壁と、無数のステッカーが目に飛び込んできた。

動画や写真で何度も見た場所。
でも、実物の存在感は桁違いだった。

年月を経て少しずつ姿を変えながら、
沢山のバンドの歴史を飲み込み、
無数の音を吸収してきた深み。

静かなのに、音が染み込んでる。

建物自体は古くて、かなりボロい。
だけど、その“ボロさ”にすべてが詰まっていた。

初めて見るのに、懐かしいような感覚があった。

誰かが小さくつぶやいた。
「ここ、やっと来れた。」

その言葉に胸が熱くなる。

今回のUS TOURは、
この“ギルマンの日”を軸に、全部のスケジュールを組んだ。
それくらい、この場所はただ事じゃない。


■ 中へ入る ── “伝説の心臓部”はDIYの塊

扉を開けた瞬間、
壁一面のフライヤー、落書き、ステッカー。
むき出しの天井とケーブル。
くたびれたソファー。

ギルマンは“伝説の箱”であり、
同時に“DIY精神の心臓部”だった。

ここは嘘の音じゃ通用しない。
そう感じる空気が流れている。

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EAST BAY PUNKの歴史が漂う924 Gilman St.の壁

■ 今日のメンツは昨日と同じ ── でも安心感が段違い

この日のメンツはこれ。

  • JUNKY58%

  • Ukulele Hiro

  • The Hellflowers

  • Skatsune Miku

急遽1バンドキャンセルで、
サクラメントとまったく同じラインナップ。

でも、ギルマンでこのメンツで並ぶのは、
安心感どころか“心強さ”でしかなかった。


■ いよいよステージへ ── 一発目で空気が変わる

ギルマンには昔からある噂がある。

  • 音が返ってこない

  • ステージが広くて音が散る

  • 照明が独特

  • PAが極端にシンプル

実際すべてその通りだった。

正直やりにくい。
でも関係ない。

ここは音・声・表情・身体 ──
全部で勝負する箱だ。

初めてギルマンの映像を見たときの、
「いつか触れてみたい」
その気持ちが、胸の底から湧き上がる。

SEが鳴り、ステージへ。

ギルマンのフロアが一斉にこちらを見る。

そして、一発。

その瞬間 ──
空気が変わった。

フロアがうねり、
踊り、
叫び、
手が上がる。

音を壁にぶん投げると、
全部が反応して返してくる。

“伝説の箱”との対話。

ただそれだけで幸せだった。

Rancidの「Olympia WA」を日本語でカバーしたとき、
フロアはさらに爆発した。

ただ、自分の声だけを返してくれとPAに頼んでいたが、
なぜかYOWIEのベースだけ爆音で返ってくる事件が起きた🤣

語学力の差を痛感したけど、
これも含めて貴重な経験だった。


■ 終わった瞬間、全員の表情が違っていた

最後の音が止まった瞬間、
全員の顔に浮かんだのは

達成感、興奮、そして圧倒的な幸せ。

観客が次々に前に来て話しかけ、
ピックやセットリストを持っていってくれた。

細かいニュアンスなんてどうでもいい。

“伝わった” ── それだけで十分。

924 Gilman St.の歴史に、
EASTBAYの名前を少しだけ刻めた気がした。

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924 Gilman St. / Photograph by Wataru Naito

■ ギルマンの夜が、ツアーの“軸”を決めた

この夜、今回のツアーの軸がはっきり決まった。

距離でも、動員でも、知名度でもない。

“音で繋がったかどうか” ── ただそれだけ。

ギルマンで鳴らした音は、
間違いなくEASTBAYの新しい1ページになった。

フレンドリーで優しいスタッフにも支えられ、
ツアーはさらにスピードを増していく。

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次の章 ── 「ギルマンの翌日 ── 900kmの移動と小さな休息」

Gilman St. の壁に手を触れた瞬間、
胸の奥で燻っていた火が一気に燃え上がった。

「EASTBAY、ついにここまで来た。」

映像の向こう側でしか見たことのなかった“伝説の場所”。
そこで自分達の音が鳴っている。
その現実に、身体の芯から震えた。

だけど ──

この夜は、ただ興奮して終わらなかった。

ライブの裏で、
次の街へ向かう途中で、
まさか “あんな事やこんな事” が起きるなんて、
この時点では誰も思っていなかった。

US TOURは、まだ5日目が終わったばかり。
ここから先は、ただのライブ旅じゃない。

ギター紛失の行方。
砂漠の向こう側へ。
ラスベガスの夜に潜む影。
サンディエゴで生まれた小さな奇跡。
ロングビーチで繋がる縁。
最終日に起きた “最後の奇跡”。

ギルマンはクライマックスじゃなく、
むしろ“本編のはじまり”だった。

続きを読みたいと感じてくれたなら ──
この先へ進んでほしい。

👉 US TOUR の “核心” はここから。
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EASTBAY / The KeyStone : Gt.vo KEiTARO 福岡県久留米市出身。 前身バンドでメジャーでの活動経て、様々な環境でのバンド活動を経験。 音楽活動のほかに、デザイン、映像、Web、グッズ制作、文章執筆など、“作ること全部”を愛す。

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