誰かを愛することが苦手。でも愛されることは、もっと苦手だった
タイトルは本日美容院で、シャンプーしてもらってる時にふと思いついたもの。マイナスの発言の割に、自分の人生を振り返ってみれば、言い得て妙だなぁて感慨深く沁みてました。
子どもの頃の環境に何かあったのか。ううん、全くないと思う。いたって普通、むしろ過保護・過干渉くらいに構われて育ったと思います。
対異性なら、相手に求める理想が高いんじゃないか。あー、よく言われました。昔はムキになって否定してたけど、実際はそうなんだろうなー。フラットに認められるほど、大人になったと言いましょうか。歳を重ねました。
もちろん愛されたいし、愛したいと思う。好きか嫌いかで言えば、愛そのものは好きです。ほんでも現実問題として、あまりの不器用さが目立ってる。
異性関係だけに限らず、誰かを大切に思うとき、わたしは加減や引き際が分かってない。スマートになれないんだよなー。ネガティブなことがあったなら、相手はさほど気にしてないかもだけど、私ひとりがいつまでも愚図って引きずってる。
慕われた時も、どうしたもんだか分からない。えっ?えっ⁉︎て戸惑うばかり。下手くその塊です。うまく受け取れない。呆然としたり、ときに拒否したり。何やってんだか。
でも私って、残念ながらそういう人なんだよ。脱力しながら、深く認めてた昼下がり。
全くもって、内容がプラスの展開となってないけれど。思いついたタイトルが「我ながら秀逸だ」て感じ、何としても書いてみたかった。自己満足記事です。
わたしは努力でいっぱい色んなことを何とかしてきました。はい、自慢です。されど、唯一と言っていいかもしれない。人生かけてやってきたけど、どうにもならなかったのが、人を愛すること、愛されること。
悔しいかな。でもサラッと白旗を上げれるようになった自分が、意外と嫌いじゃない。夏の終わりに気づいた驚きの事実でした。そっか、嫌いじゃないか。
本日でライランは最終日。ヤスさん、ありがとうございました! 振り返れば、いろいろあった66日間。でもなんとかなったー。よかった^ ^
では また
