「愛されている」と知る勇気を持つ
人間、ピンチのときほど、その本性があぶり出される。おどろおどろしい書き始めですが、まさにそうだと思ってて。現にわたしがそうだったのです。今日はそのお話。
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わたしの味方はきっと、誰もいない。ううん、違うか。父がいる。父だけはきっと、わたしが何をしようと、何を考えようと、いつ何時とて味方でいてくれる。確信レベルでガチに思う。
でも、一歩社会に出たなら。わたしは独りだ。その独りを支えるのは、わたし自身だけ。それでも、この決断に踏み出せるのか。
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書いたエピソードは先の職場にて「辞める」と言うとき、散々思ってたこと。色んな積み重ねだったのだけれど、そんな出来事の中に、職場の人気者へ抗うのもあって。あなたはそう言ったとて、わたしは承服しかねる。断固Noと言ってやりたいことがあった。
でも表立って言うのが、怖かった。だって主張したならば、その人だけじゃなく、職場全員から冷たい目で見られるんじゃないか。怯えがありました。
「たしかに○○さんはそう言ったかもしれない。けどね、」とか、「そういうアナタだってね」とか。わたしに非があると言わんばかりの切り返しが来たなら、もう耐えられない。わたしが完全に壊れる。真っ暗な思いだった。
さあ、わたしは何が怖く、立ちすくんだのか。それは「愛されないこと」です。
あると信じてた愛が、出来事をきっかけに翻(ひるがえ)されるのを目撃したくなかった。愛がなくなった瞬間を確信したくなかった。疑惑のままで留め置きたかった。
自分のパワーを失わせるほど、わたしにとって愛されてるとは、生命線なのだなと気付かされました。自分の存在を揺るがすと思うのだから。
誰かの愛がなくなったとて、死ぬわきゃ無いのに、喚き立てるように慌てふためく自分がいます。なんなんでしょうね、変ですよね。でも本能レベルでとっさに感じとっちゃうから、しゃーない。アンコントロールなのです。
さて、このエピソードには続きがあります。わたしが辞める真の理由を言ったとき、聞いた相手は想像通りの反応だったのか。違いました。
「気づいてあげられなくてゴメン」、「味方になれずゴメン」、「ひとりで苦しませてゴメン」。ひたすらに謝られることが多かった。そっか、恐れず言っても良かったんだ。肩肘張って孤立して、自分だけで戦う覚悟をしなくてよかったんだ。ちょっと呆然とした記憶があります。
愛されないことを恐れている人へ伝えたい。誰もいない世界に、ぽつねんと立ってるわけじゃない。手を伸ばすことが怖く、それならいっそ伸ばすまいと思ってるかもだけど。でも、そんなことない。
思うよりも温かな手が、しっかり抱きすくめる準備をして、そこにあるから。あとは、ちょびっとの勇気を持ったなら、扉は開くんだよ。あなたは愛されてる。大丈夫。
今となって言える、わたしの思いでした。
では また
