どうもわたしが、虚像を眺めてたみたい
わたし自身は人と親密な関係を築きたいと、乞い願うように思うけれど。とっつきにくさや、堅苦しさゆえなのかな。わたしは他者と会話が弾まないんだ。だから近からずも遠からずの「ザ・無難」止まりの仲が精いっぱい。
正直なところ、キャッキャと友達と盛り上がってる女性同士の仲がうらやましい。よくジト目で隣を盗み見してました。そういや恋愛においても出来てない。人間関係ド下手の証拠がどんどん挙がってくる。書くほどにどんより落ち込むセルフイメージ。
それが、です。実は思い込みだったのかと感じ始めて。
親しきことを話せる友達が、そう居ないと思ってたけれど。仕事を辞めて数週間。今のところ毎週末のように、様々な方とお会いしてます。あれ?
送別会にはさほど人が来ず。仮に来てくれたとて、義理立てて来てくださった方々だろうと思ってました。蓋を開けてみれば、こんなに来てくださったんですかと驚くばかりの数。中には「あなたも来てくれたの⁉︎」と意外な人々もいて。ん? どういうことだ。セルフイメージとかけ離れてる。
「わたしは仲良しが居ない人間です」、「他者とは深い話ができません」、「わたしは望んだとて、相手は望んでません」 こんな3本だての印象を自分へ抱いていました。この思いを持った上で人と接すると、「そら証明された」とばかりに、証拠のような現象ばかりが目につく。ほらな、やっぱり私はできないんだと確証になる。
人との縁が希薄であることが怖いし、嫌だから、相手へ媚びるような態度もしがち。気乗りしないのに、「帰りたい」も言えず、その他大勢で頷いてた日もあったなー。卑屈になってくばかり。
仕事を辞めるという思い切った行動をとったことで、思いのほか、己をだいぶと卑下してたんだと実感してます。相手へ何かをもたらさなきゃ、さもなくば私に価値はないぞって怯えてた。でもたぶん、相手は全く分かってない。こっちが「して上げた」と思ってることに、気づいても無い。わたしと同じ価値は見出してないと、悲しいかな思う。
それよりも「え? わたしはそんなことしたっけ?」の方が、相手にとっては価値を感じてることが多々あって。言っちゃえば、わたしの労力は全くかかってない。負担のふの字もないのです。わたしがわたしのまんまでいたら、勝手にやってる何かこそが、相手にとってのキラキラ宝物となってることもある。
なんだ。へりくだって何かを供する必要はない。わたしはわたしのまんまで、いるだけでいい。知らぬ間、気づかぬ間にやってる何かが、勝手に機能してる。気楽にまっすぐ世界を見つめるように、人と接するで良いんだな。ちょっぴり肩の荷が降りてる、今日この頃です。
では また
