答えは分からない。でもわたしは送信した
正解か、間違いかは分からない。でもわたしは書いた。書き記し、そして送信した。そんなお話。
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わたしはこの5月をもって、いまの職場を辞めます。金曜日が最終出勤でした。辞めることを選んだ要因は、いくつかあるのだけれど。そのうちの一つに、ある人の言動がありました。その人の言葉が心のデッドラインを踏み、体中がアラートを鳴らすくらいに、グッと追い込まれてく。
もういいや、もう辞めよう。決めたときは悲しさもあったけれど、どこかホッともして。それほどの破壊力を、その人は期せずして有してた。
そして退職の運びとなり、皆さま各々から贈り物をいただきました。職場にそんな文化はありません。正直びっくりしました。目を白黒させながらありがたくも頂戴です。そして水曜日のこと。その人物(以後Aさん)もまた、贈り物をくださいました。まさかと思い驚きつつも頂きました。
帰り道、ふと袋の中を見ると手紙が添えられてて。
「わたしのこと、怒ってたよね」
え?不幸の手紙?
思わず顔がこわばる。繰り返しですが、贈り物の文化なんてないのに、どうして今さら、そして手紙付き。頭はパニック状態。なんやねん。どないせえっちゅうねん!
そして最終日の金曜日。わたしは病院勤めだったのですが、母が病気となったとき、大変お世話になった看護師さんがいました。その方へ会えずじまいだったため、せめてと思い、メールを書きました。その書く過程にて思い出したのです。そうだ、あの頃はAさんにもとてもお世話になった。
母の闘病中、そして亡くなった後と、年単位でわたしはおかしかった。そんなわたしに身近な上司だったAさんは寄り添ってくれた。滅法変テコだった私へ、ひたすらに励ましてくれた。その事実をすっぽり忘れてました。
看護師さんへメールを書くのであれば、Aさんにも書かなきゃな。思い直し、わたしはAさん宛のメールを執筆です。
さて、どんなメールを送ったか。ChatGPTにガンガンの編集者をやってもらいました。書いては消し、消したところへ加筆し、もう何やってんだか。
小さきプライドゆえ譲れなかったこと、歩み寄らず申し訳なかった、あの頃の感謝など、そんな感じの内容です。
かえって相手の神経を逆撫でしたかもしれません。私は怒ってるのに、何だか負けたような感じで、へりくだったかもしれません。大人な解釈をして、綺麗事な文章だったかもしれません。葛藤してます。
清濁を合わせ飲み、飲んだ今も、あの決断は。メールを送ると決め文章をしたためた決断は、よかったのだろうか。判別できないままです。この文章を書いていても、やはり分からない。まんじりとしない思いを抱えています。
時間が流れた未来となったその時、答えはわかるのかな。あてどなく自分へ尋ねてるのでした。
では また
