【今日は何の日】7月8日
7月8日、今日が歴史的にどんなことがあった日なのでしょうか?
何か行事のある日なのでしょうか?
小学生の家庭でのちょっとした会話のために、ぜひ使ってください。
※1872年までの日本の出来事は旧暦を使用しています。
行事・記念日
① 質屋の日
7月8日は「しち(7)や(8)」の語呂合わせから、「質屋の日」とされています。
質屋とは、お金を借りたい人が品物を預け、その品物を担保としてお金を借りることができるお店です。期限までにお金を返せば預けた品物は戻ってきますが、返済できなければ品物は質屋のものとなり、販売されます。
銀行や消費者金融が発達する以前、質屋は庶民にとって非常に身近な金融機関でした。江戸時代には武士や町人も利用しており、着物や刀、かんざし、茶道具など、さまざまな品物が質草として預けられていました。鎌倉時代末期には、武士にとって非常に大切なものを借金の担保として質に入れてしまい土地を失う例が後を絶たなかったことが「永仁の徳政令」が発布され、借金が帳消しになる理由の1つとなりました。
② なはの日
7月8日は「な(7)は(8)」の語呂合わせから、「なはの日」です。
沖縄県那覇市が制定した記念日で、那覇市の魅力を全国へ発信することを目的としています。
那覇市は沖縄県の県庁所在地であり、沖縄最大の都市です。国際通りや首里城、第一牧志公設市場など、多くの観光地があります
琉球王国時代には、政治の中心である首里城に対して、港町として栄えた那覇は中国や東南アジア、日本との「中継貿易」で大きく発展しました。

③ 防犯カメラの日
7月8日は、防犯カメラメーカーなどで構成される団体が制定した「防犯カメラの日」です。
近年、防犯カメラは街中だけでなく、学校や駅、商店街、マンションなど、私たちの生活のあらゆる場所に設置されるようになりました。
犯罪の抑止効果が期待される一方で、事件や事故が起きた際には重要な証拠となることも多く、警察の捜査にも欠かせない存在となっています。
一方で、防犯カメラが増えることについては、「プライバシーとのバランス」という課題もあります。安全を守るためには必要ですが、撮影される側の権利にも十分配慮しなければなりません。
何があった日
① 1582年7月8日 太閤検地が始まる
1582年7月8日、豊臣秀吉(当初はまだ羽柴秀吉)は全国統一事業の一つである太閤検地を、まずはもともとの本拠地・長浜城のあった近江国から本格的に開始しました。
検地とは、田や畑の広さを正確に測り、その土地からどれくらいのお米が収穫できるのかを調査することです。それまでは戦国大名ごとに測り方が違い、土地の面積をごまかしたり、収穫量を少なく申告したりすることも少なくありませんでした。

秀吉は全国のますとものさしを統一し、同じ基準を用いて土地を測り直し、「石高制」という統一した基準で収穫量を表す制度を作りました。
一石は大人一人が一年間に食べる米の量とされ、各大名の力も石高によって評価されるようになります。
また、全国の土地の広さ(面積)・収穫量・耕作者を調べ、すべて「検地帳」に記録しました。

この太閤検地によって、誰がどれだけの土地を持っているのかが明確になり、年貢も公平に徴収できるようになりました。
耕作者が明確になったので、これまでの荘園領主を通じて徴収する制度や、地頭が年貢を集めて運ぶ代わりに分け前をもらう、といった流れも廃止され、荘園はなくなりました。
② 1588年7月8日 刀狩令・海賊停止令
1588年7月8日、豊臣秀吉は刀狩令と海賊停止令を発布しました。
刀狩令は、農民が持っていた刀や槍、鉄砲などの武器を取り上げる命令です。
戦国時代には農民も武器を持ち、一揆を起こしたり戦に参加したりすることがありました。しかし秀吉は、武士だけが武器を持ち、農民は農業に専念する社会を目指しました。
刀狩令の目的は、①一揆の防止、②兵農分離 といわれています。
回収した刀は京都の大仏建立のための釘などに利用すると説明され、実際に京都・方広寺に大仏が作られました(現存しません)。本当の目的は農民の反乱を防ぐことにありました。
同じ日に出された海賊停止令は、瀬戸内海などで活動していた海賊を取り締まり、勝手に船を襲ったり通行料を取ったりすることを禁止した法令です。
これら二つの政策によって、武士と農民の身分の区別が明確になり、兵農分離が完成へ向かいました。
③ 1783年7月8日 浅間山が大噴火(天明の大噴火)
1783年7月8日、群馬県と長野県の境にある浅間山が歴史に残る大噴火を起こしました。

「天明の大噴火」と呼ばれるこの噴火では、大量の火山灰や火砕流が周辺地域を襲い、多くの村が埋まりました。「鬼押し出し」と現在言われる火砕流と溶岩の荒れ地が形成されたのもこのときです。

また、現在の嬬恋村にあたる「鎌原村」では土石流によって村の大部分が流され、数百人もの命が失われたと伝えられています。50段ほどあった石段のほとんどが飲み込まれ、上部の15段程度がのこった観音堂が有名です。

火山灰は関東一円に降り積もり、農作物にも深刻な被害を与えました。上空にのぼった火山灰は、日光を遮り、平均気温を下げることになりました。また、利根川などの川に流入した火山灰は川底を押し上げることになり、洪水が発生しました。
この年は冷害も重なっていたため、全国的な飢きんである天明の大ききんがさらに悪化しました。
老中・田沼意次が政治を行っていた頃の出来事です。ききんへの対応が十分ではなかったことから、田沼政治への批判も強まり、田沼意次の失脚の原因となりました。
④ 1869年7月8日 蝦夷地に開拓使を設置
1869年7月8日、明治政府は蝦夷地を北海道と改め、新たに開拓使を設置しました。「開拓使」といっても遣唐使などに類するものではなく、役所の名前なので注意が必要です。
明治維新直後、日本は近代国家づくりを進めていましたが、北方ではロシアの南下政策が大きな脅威となっていました。そこで政府は北海道の開発を進めるとともに、防衛力を高めるため、開拓使を設置したのです。
開拓使は道路や港を整備し、農業や酪農を広め、欧米から最新の技術を導入しました。また、多くの士族や農民が「屯田兵」として北海道へ移住し、新しい町づくりが進められました。
屯田兵は冬の低温や吹雪などの厳しい自然と、ヒグマなどの野生動物に耐えながら、荒野を切り開いていったのです。屯田兵とヒグマの争いは、三毛別ヒグマ事件が有名です。

一方で、もともと北海道に住んでいたアイヌの人々は土地や文化を失うなど、大きな影響を受けました。現在ではアイヌ文化の保存や振興も進められており、白老町のウポポイでアイヌ文化について知ることができます。

⑤ 1939年7月8日 国民徴用令が公布される
1939年7月8日、日本では国民徴用令が公布されました。
当時、日本は日中戦争のさなかにあり、戦争が長引くにつれて兵士だけでなく、工場で働く労働力も不足するようになっていました。そこで政府は、必要と判断した人々を軍需工場や鉱山、鉄道などへ強制的に働かせることができるよう、この法律を制定したのです。
これにより1938年の国家総動員法に加えて、人員も戦争のために駆り出されるようになりました。
⑥ 2022年7月8日 安倍晋三元首相が銃撃される
2022年7月8日、奈良県奈良市で参議院議員選挙の応援演説を行っていた安倍晋三元首相が銃撃され、その後亡くなりました。

日本は世界でも治安が良く、銃による事件が極めて少ない国として知られています。そのため、この事件は国内だけでなく世界中に大きな衝撃を与えました。
現職ではないとはいえ、憲政史上最も長く首相を務めた人物が選挙演説中に命を落としたことは、日本の民主主義にとっても大きな出来事となりました。
暗殺などで命を落とした歴代首相
・伊藤博文 (ハルビン駅で暗殺)※首相退任後
・原敬 (東京駅で暗殺)
・浜口雄幸 (東京駅で襲撃→負傷がもとで死亡)
・犬養毅 (五・一五事件で暗殺)
・高橋是清 (二・二六事件で暗殺)※首相退任後
・斎藤実 (二・二六事件で暗殺)※首相退任後
・安倍晋三 (大和西大寺駅前で銃撃・暗殺)※首相退任後
A級戦犯として処刑された歴代首相
・廣田弘毅 ※首相退任後
・東条英機 ※首相退任後
誕生日
※7月8日は、中学受験で特に重要な人物の誕生日はありません。
亡くなった日
① 1979年7月8日 朝永振一郎
朝永振一郎は、日本を代表する理論物理学者です。

量子電磁力学という非常に難しい分野の研究によって、1965年に日本人として二人目となるノーベル物理学賞を受賞しました。受賞理由は、アメリカのリチャード・ファインマン、ジュリアン・シュウィンガーとともに、電子や光の振る舞いを説明する理論を完成させたことです。
② 1994年7月8日 金日成
金日成(キム・イルソン)は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の初代最高指導者です。
第二次世界大戦後、朝鮮半島は北緯38度線を境にソ連とアメリカによって分割占領され、1948年に北朝鮮が建国されました。金日成はその建国以来、長年にわたって国を指導し、「主体思想」と呼ばれる独自の政治理念を掲げました。

1950年には朝鮮戦争が始まり、現在でも北緯38度で休戦中となっています。
1994年に金日成が亡くなると、息子の金正日、さらに孫の金正恩へと指導者の地位が引き継がれました。社会主義国家でありながら親子三代にわたって最高指導者が世襲されていることは、世界でも珍しい政治体制です。
③ 2022年7月8日 安倍晋三
安倍晋三元首相は、第90代・第96代・第97代・第98代内閣総理大臣を務め、通算在職日数が歴代最長となった自民党の政治家です。岸信介元首相の孫にあたります。


第2次内閣では経済政策「アベノミクス」を進め、外国人観光客の積極的な受け入れを行ったことなどで景気がは回復し、平成不況に終止符を打ちました。インバウンドは、2025年には1年間に3000万人を超え、デメリットもありますが、日本経済を盛り上げる重要な存在となっています。
また、2014年には集団的自衛権を閣議決定し、安全保障関連法の制定でそれを補強しました。同盟国(主にアメリカ)と存立危機事態のときは足並みをそろえて行動することを決めました。アメリカのトランプ大統領と友好を深め、ともにゴルフをした姿も有名です。自民党の悲願である憲法改正に向けて、国民投票法も整備しました。

2019年5月1日の平成から令和への改元の首相も安倍氏でした。新天皇の即位式では、安倍首相が万歳三唱を唱えました。
しかし、2020年から新型コロナウイルスが流行するなか、自身の持病である潰瘍性大腸炎が悪化して首相を辞任しました。コロナ対策として、国民1人あたり10万円の給付金を配ったり、マスクの不足に対してマスクを配布した政策も有名です。
2022年7月8日、奈良市で参議院議員選挙の応援演説中に銃撃され、67歳で亡くなりました。この事件は日本だけでなく世界中で大きく報道され、多くの国の首脳から追悼の言葉が寄せられました。
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