技術と芸術の進化史
僕が今行きたい場所はイスタンブールだ。アヤ・ソフィアが放つ壮麗な美しさは見るものを確実に圧倒する。十字軍やロシア、結果的にコンスタンチノープルを滅ぼしたトルコ人でさえも、その美しさに心打たれてアヤ・ソフィアを壊さずに残し、攻め入るどころか、逆に攻め入った側の祖国に対して多大な影響を及ぼしたのだ。ロシア正教会の独特な様式を称賛する前に、まずはアヤ・ソフィアを訪れるべきだ。…自戒も込めて。
アヤ・ソフィアはビザンチン様式の叡智の結集だ。最も難しいのは四角形平面の上にドームを作ることであり、それはローマ・パンテオンのドームとは一線を画する技術であった。彼らはペンデンティブと呼ばれる球面三角形を作ることで難題を乗り越えて、直径40mの大ドームのスラスト力(ドームが作る水平力)を周囲の小ドームで負担させる設計を可能にしたのだ。
建築史とは言い換えれば、技術と芸術の相乗的な依存関係によって成り立つ進化史である。時代の最先端を行く技術と、時代の最先端を行く芸術。この文章は、その2つの観点で建築史を俯瞰することで炙り出される建築の本性を探し求める思考の旅である。
1.洞穴から住居へ ~母なる大地への崇拝~
スペインやフランスで発見される洞窟壁画は5万年前の人間が洞穴や岩陰で暮らしていたことを伝えてくれる。自然界の中に自らの住まいを見出し、高め、生命をゆだねたのだ。創発とは住居を自然地形の中に発見する行為であり、人間の脳が大きく発達した結果でもあろう。しかし、洞穴や岩陰は世界のどこにでもあるという訳でもないので、やがて自然に頼るだけではなく自らの住まいを自らの手で作り出す工夫が必要になり、竪穴住居が発明された。自然に無いのなら作ってしまおう。そんな発想の転換が人間を人間たらしめ、その後の文明を築く大きな原動力になった。「必要は発明の母」とよく言うが、これ以上に分かりやすい例はそうない。
同じ母親かはさておいて、あらゆる生命が生み出される根源である大地を「母なる大地」と呼ぶ。かつて彼らは住居を母の胎内、母体に見立て、地面に潜り込んでそこから出てくることで、生まれるあるいは生まれ変わるという行為を体現していた。住居は単なる寝起きをする場所という感覚を越え、生まれ変わる場所であるという感覚で朝を迎えていたのだ。つまり、彼らには恒温な環境を手に入れるために地面を掘っていたのではなく、地中に潜るという感覚を獲得することの方が重要だったのではないかと考えたくもなる。技術よりも芸術、実用よりも美的感覚を高めること。
人間が他の動物と異なる性質に道具の使用があるが、「火」を生み出した事は人間の進化を大きく助長した。「火」には2つの性質が存在し、そのうち1つは現実的な便利さがある点だが、もう1つの性質がいかにも人間らしくて面白い。それは神話的な領域であり、「火」に対する信仰心であった。命を奪う火、同時に新しい命を生み出す火、全てが収斂したり拡散したりする神聖な存在を彼らは決して絶やすことは無かった。つまり、周りを魑魅魍魎(ちみもうりょう)とした暗闇の世界に囲われた中で唯一共有できる求心的な存在が「火」であり、暗闇の死の世界と対比的な生の息吹を「火」に感じ取っていたのだ。だから外観がいかにも建築らしくなってきた頃にも、ましてや江戸時代に至ってもなお、世界の住居の中心には常に「火」があった。火鉢、暖炉、オンドル。それらは実用性以上の価値を求められて今日まで存在してきた。

(https://www.tabikobo.com/world_heritage/pyramid/)
2.墓地から神殿へ ~記念碑から信仰へ~
世界には巨大な墓地が多い。死の捉え方は文化によって大きく異なり、死後も人間界で共に生きるとか、黄泉国に行かれるとか様々だが、権威の高い人間の死を崇高に終わらせる思想は共通しているように感じられる。組積造の技術は墓の建設によって大いに向上したようであり、それは皮肉にも、エジプト第18王朝の墓建設において最小の材料で最大の容積を得ようとした時に生まれた内部の空虚に起因するらしい。安上りの建設行為それ自体が新たな建築様式を確立した。
やがて墓そのもの以上に墓に対する信仰心を高めるために世界中で神殿が建設されるようになる。大抵の場合、それにあやかって住宅も立派に作りたい人が出てくるのが世の常であり、それは現代の打放しコンクリート信仰と全く同じである。そうして貴族や王はより内的な住居に住むようになり、設備学、衛生学、部屋(平面分化)が発生した。ここで見落としがちなのが、西洋の権威的建築にはアーチが付きものだと考えてしまう事だが、エジプトの高貴な建築にはアーチが存在せず、むしろ階級の低い住居の方に多く見られる。というのも、エジプトでは元々石材が豊富なために、アーチ工法を取らずとも空間を作れたのである。アーチはあくまで建設効率化の技術であり、芸術から生まれた産物ではないことを改めて知ることができる。
神殿を建設している中で古代ギリシア人は気が付いた。そこには美しいプロポーションが存在することを。それは「オーダー」と呼ばれる建物全体と細部の比率であり、同時期に建てられた神殿は高さ・長さは違えど比率だけは同じであることは興味深い。すなわち、基壇の寸法がどれだけ大きかろうと全体との比率を合わせた美しい建築を作ることのみに終始したのだ。ギリシア人は多少の不便さを犠牲にしてまでも形の美しさを優先させ、これはその後の様式発展にも大きく寄与することになる。つまり、技術を持て余すことなく費やすものの、その目的は非実用的な芸術を作り出すことだったのだ。

3.キリスト教の様式 ~ルネサンスまで~
ローマやギリシャには多くの神殿が作られたが、それらはいずれも多神教の神殿だった。つまり、神の中にも階級差が生じていて、その神を信仰する限り生まれ変わっても身分は変わらないとされたため、貧困層にとっては全く救いの無い宗教だった。しかしキリスト教ではただ一体の神を信仰するため、階級の差異に関係なく平等に信仰することができた。故にキリスト教はローマの皇帝の迫害を受けながらも急激にその信者を増やしていった。
当時多く建てられていた既存の神殿は外観は大きくて立派だが、内側に広間が無かったため、キリスト教の建物としては全く使い物にならなかった。そこでバシリカ式教会が作られるようになり、それは広間(ネイブ)、側廊(アイル)、後陣(アプス)など集会に特化した建築様式であり、キリスト教会の原型とも言えよう。神殿は崇拝するためだけでなく、そこに集まるという意味性も与えられ、同時にその佇まいは高尚である必要があった。
その後東方ではビザンチン様式、西方ではロマネスク様式が発達し、ロマネスクに由来するヴォールト屋根が変形してゴシック様式が誕生した。ゴシック様式では装飾が華美で鋭い装飾が特徴的で、当初はその奇抜さから批判されたものの、フライング・バットレスや尖塔アーチ、中二階のアーチ(トリフォリウム)、高窓のアーチ(クリアストーリー)といった音楽的で軽快なリズム感が人々を魅了した。フライング・バットレスは技術それ自体であったにも関わらず、ゴシック建築の外観を形作る重要な美的要素とされ、その芸術性に舵を切ったように見える。
ゴシック建築では天にいるイエスキリストの存在を知らしめるためにより高さを求めるようになり、いつしかそれは本来の意味性を消失して建築美のみが独走するようになった。教会は堕落して役目を失い、ドイツでは宗教改革運動が盛んに行われ、古典芸術の復興、ルネサンスが到来することになる。

4.絶対主義の様式 ~バロック~
歪んだ真珠。バロックとはそういう意味だ。あまりにも賑やかで自由で荒っぽい作りには調和なんて言葉は微塵も当てはまらず、ただ絶対主義の中において威厳を放つためだけに作られた、そんな気さえしてくる。当時は王室を中心とした国民国家が商業貿易を通じて産業を奨励し、上層階級は華やかな社交生活を楽しんだ。その中で客人をもてなすために使われた様式がバロックであり、上述の建築様式とは異なって国ごとに大きく傾向が分離したのがバロック一番の特徴である。
イタリアでは楕円や透視画法的な空間構成、金属を使ったあまりにも壮麗で光輝く彫刻が用いられ、もはや信仰のためではなく劇的な気分を味わうために建築が利用された。一方のフランスではルネサンスの継続としての亜種的位置付けに置かれている。フランス人の感性は理知的で穏やかだったのだろうか、ヴェルサイユ宮殿に代表されるような庭園に重きを置く宮殿建築が多く作られ、特に優美な内部装飾は、その後のロココ様式に繋がる布石となった。また、元々イギリスではゴシックに対する伝統色が大きかったが、16世紀にフランスやイタリアのルネサンスの影響を受けて軽快な宮殿が建ち始め、1666年の大火の再建時にフランスで勉強した建築家が設計担当したために、どこかバロック的な佇まいを感じさせるルネサンス建築が作られた。セントポール寺院などがそれである。
バロック様式と呼ばれる時代(ルネサンスとバロックは共存していた)に世界の建築は分化した。技術はヨーロッパでは平衡状態であったが芸術の方は国ごとに分離し、この時代特に顕著に、技術は芸術のために使われていた。

5.近代建築 ~産業革命と建築~
19世紀ほどに世界が大きく変わった時代は存在しない。近代化がもたらした能率的な合理主義は建築に対する世界観をも一新し、古い様式を離れて新たな近代建築を確立しようと努力した時代。それはただ技術の更新によってのみではなく、芸術的価値観の更新も同時に行わなければならなかった。鉄やコンクリートといった新たな材料、エレベーターや電話機、電灯といった新たな設備、資本主義の到来。ありとあらゆる変化に順応する必要があったことは想像に難くない。懐古主義的な通念を崩壊するに至った苦悩や試練の数々を乗り越えて現代があることを思えば、コンクリートでかつての様式を作るという発想も呆れたものには思えなくなる。
長くなることを避けて結論を書くと、この時代が獲得した大義は技術と芸術は決して分離せず、新たな材料に最適な芸術様式が存在することを認めようとした意思であろう。自動車や飛行機、船が流体力学に伴って導かれる曲線を有しているのに対して建築はいまだに野蛮であり、もっと合理的で客観的な様式が作れるはずだと。ただ、言うまでもなくその合理主義が住宅不足を解決しようとした結果に不衛生で非健康的な生活が育まれたのも事実であり、より人間的な建築の佇まいを探し回ったのもこの時代の特徴である。合理主義こそが正しいという偽装された正義に振り回され、技術と芸術は弄ばれた。

6.現代建築 ~顕在化しない形態~
合理主義が暗示した殺風景な都市、または世界様式とも呼べる風土と断絶された機械的建築は結局のところ明るく受け入れられはしなかった。実際に建設された建物は1つ1つ個性があり、なんとか見るものを圧倒しようと試みている。技術が芸術を作り出し、芸術が技術を作り出す。その共進化において建築様式が日々アップデートされる。
技術(経済的な要素も)と芸術は完全調和できると考えたいが、そういう事例はほとんど無いと僕は思う。例えば丹下健三氏の代々木体育館をこういう事例で紹介している本が多いが、確実に合理性を追い求めるなら端部の屋根曲線は必要なかったし、工費は大幅にオーバーしている。合理性を客観的な指標とした時にそこに合理性は無かった。ただ、美しさがあったのみだ。「美しきもののみ機能的だ」という彼の言葉がその不調和を綺麗に言い表している。つまり技術が芸術の美しさを後押ししているのであって、例え外観が技術そのものの現れだとしても、現代において調和性を獲得することはできない。特に1964年オリンピックは工期が短く、それを解決する最良の手段だった訳だが、技術と芸術の完全調和とは最小の経済的負担という要素をも含むため、合理的とは言えない。
ザハハディド氏の新国立競技場コンペ案も同様で、技術を利用して芸術を高めているのみだ。もし完全調和しているならば、とてつもないエネルギーを放つアヤ・ソフィアのような壮麗なスタジアムが実際に存在したことだろうが、実際に調和しているとされたのは例のルーバー建築であった。つまり、完全調和を目指した瞬間に、大抵の建築はその美しさを失うのである。なぜなら技術の進化が進みすぎて、技術が形態を帯びなくなったからである。強いて言えば、東京タワーは技術と芸術が最も近づいた一例だが、現代の叡智を結集した東京スカイツリーはプロポーションが細すぎるが故に不安感を覚える人が多い。高すぎる技術故に、技術が外観に顕在化しないのである。

7.炙り出された要素 ~成功よりも納得~
中世までを振り返ると、意外にも人類は無駄とも言えるような非実用的な芸術性、信仰を求めて技術を使ってきたように思える。しかし鉄とコンクリートの開発で技術と芸術の完全調和が目指されることになるが、技術に対する外観が消失していったことによって、技術と芸術のそれぞれが一人歩きを始めたように感じられる。
僕は技術と芸術が完全調和する必要はないと思う。歴史的にもそうだったが、とてつもない美しさを孕んだ建築こそが建築家の作るべきものだと感じる。完全調和の道を目指す意思は正しいが、その結果に醜い箱が作られるのであれば、美しさを究明すべきだ。というのも、人間は成功よりも納得を求めているからであり、論理よりも直感による調和性を求めているからだ。例え嘘でも、社会が納得できるものならばそれが調和しているという事になる。
僕には3人の尊敬する建築家がいる。レオナルド・ダ・ヴィンチ、アントニ・ガウディ、そしてビャルケ・インゲルス氏である。彼らのデザインは皆論理に基づくが、同時に美しさをも追い求めている。実際にそれが正しいのかは疑問だが、サグラダファミリアはどう考えても美しい。逆さ釣り実験をやって得られた精巧な構造のみで作られていたら凹凸は出ないだろうし、彫刻もそこまで取り入れない。論理に基づいた大枠とそこに付け加えられる美的感性こそが建築の醍醐味であり、丹下健三氏も全く同様であろう。
ビャルケ・インゲルスが作る建築も無理があるものが多い。ニューヨークのアパートメント、コペンハーゲンのごみ処理工場など、あまりにも美しいが調和しているとは言い難いものがある。だが、彼は調和など鼻から考えていない。建築が持ちうる可能性を技術がサポートして芸術へと昇華されることこそが彼の建築の醍醐味であり、技術の外観は隠そうとしている。彼の名言はたくさんあるが、"Engineering without Engines"は彼の思想をよく言い表した言葉だ。芸術によって可能になる社会とのコミュニケーションが必要なのであり、それは技術によってではなく、芸術によるものだ。
調和は建築家の偽装パッケージである。建築家の仕事は社会が抱える問題点を建築が拾い上げ、技術を利用して、まるで技術など無かったかのように芸術へと高める行為であり、建築学の祝祭場で行われるような技術と芸術の調和など謳っている場合ではない。社会に共有される納得感を求めてより人間にコミットした建築と社会の調和こそが求められるべきだ。
