見出し画像

夜の夫婦生活

「おしどり夫婦って言葉、中村さん夫婦のために生まれた言葉ですよね」

 取引先から戻る車中で、運転席の田中が切り出した。田中は中村と同じ会社に勤める後輩で、何度か自宅に招いて食事をしたことがある。

「いきなりどうした?別に普通だと思うけどな」
「何か秘訣とかあるんすか?」
「まぁそうだな、強いて言うなら──」

 中村は夫婦での心掛けについて語り始める。家事の分担、日頃のコミュニケーションの取り方、出かける時の心掛けに至るまで、淡々と解説を続けた。

 田中は別段、中村夫婦の仲について深く興味を持っていたわけではない。沈黙の空間を苦手とする彼が、何気なく投げてみたボールのひとつに過ぎなかった。

「あとはまぁ、夜の話になるが」

 田中の心のスイッチが切り替わる音がした。彼は女性経験がなく、いずれくるかもしれない瞬間に備えて、リアルな情報は何でも吸収しておきたかった。

「妻には常に『気持ちいい?』じゃなくて『痛くない?』って伝えるようにしているかな。空気をこわしたくなくて、本音が言えない人は多いみたいだから」

 田中には目から鱗の考え方だった。普段から観ているビデオでは、男は決まって「ここ気持ち良い?」と鼻息荒く呼びかけるシーンが多かった。田中は心のメモに素早く書き留める。

「ほ、他に心掛けとか、テクニックとかって、あったりするんすか?」
「テクニックって言ってもなぁ。俺は別にプロじゃないから、とにかく優しくしてあげることかな。痛いと思わせてしまうと、リラックスできずに気持ち良さが半減する」

 田中は内心で反省する。普段観ている『教材』では、男が激しくするほどに女性が艶めかしい声をあげるものだから、それが正しいものだと無意識に信じ込んでいた。

「少しずつ、相手の反応を観ながら力加減を変えることがポイントだ」
「中村さん、俺めちゃくちゃ良いこと聞いたっす。感動すら覚えてますよ。女性とエッチするときは、声掛けと力加減が大事なんですね!」

 中村は優しく微笑みながら、運転する田中の横顔を見る。
「俺は今、マッサージの話をしているんだぞ?」

いいなと思ったら応援しよう!

とよしま 読んでいただき、本当にうれしいです。 サポートしていただけた分は、新たなエンターテイメントを紹介していくための費用としてフル活用させていただきます。