無風のnoteで自信だけがよく燃えていた ──「あの頃の私が信じていたこと」
あの頃の私は、書けばたくさんの人に読んでもらえるとそこそこ本気で信じていた。
ずいぶん都合のいいことを信じていたと思うし、もう少し疑うということを覚えたほうがよかったのではないかと現在の自分はわりと冷静に言える。その頃はその信じ方にほとんど疑いを持っていなかった。
というのも、ちゃんと理由があったからだ。根拠のない自信というより、成功体験がそのまま変な形で脳に保存されていたというほうが近い気がする。
mixiでは友だちが日記を読んでくれていた。読んでくれるというより、書いたら向こうから来てくれる感じに近かった。
こちらは今日こんなことがあったとか、ちょっと機嫌が悪かったとか、なんだか気分がよかったとか、そういう生活の切れ端を書く。
するとちゃんと誰かの反応が返ってくる。足あとがついてコメントがついて、ときどき話がそこから広がって。日記が日記だけで終わらず、人とつながるための場所みたいになっていた。
あの空間には独特の湿度があった。人の気配が濃かったし、書いたものが書いたそばから誰かの目に触れている感じがあった。
ネットゲームの日記記事を書いていた頃も同じだった。ゲームの中で毎日顔を合わせているメンバーがいて、その人たちに向けてイベントの出来事や、ボス戦で起きたどうでもいい事件や、誰かの発言の変な面白さなんかを書くとみんながちゃんと読んでくれた。
それが特別なことだと思っていなかった。
同じ場所で遊んでいる人たちが同じ場所の外側でも反応してくれるのは自然なことだと思っていたし、まぁ正直に言えば、その自然さに甘えていたのだと思う。
文章の力というより関係の近さが先にあったのだけれど、書いていた当人はそんなふうに整理していなかった。
書けば読まれる。読まれるということは自分の書くものには人を引き寄せる力がある。そういう少しだけ危険な変換がなめらかに自分の中で行われていた。
刷り込まれたのだと思う。私が書けばたくさんの人に読んでもらえるのだ、と。
なんだか自信家みたいに見えるかもしれないけれど、当時の感覚はもっと無邪気だった。自信というより生活の法則だと思っていた気がする。スイッチを押せば光がつくように、何かを書けば誰かが読む。そのくらい自然なこととして信じていた。なんとも平和な勘違いである。
勘違いというのはあとから見ると恥ずかしいけれど、その渦中にいる時にはずいぶん人を支える。
noteは違った。
はじめは驚くほど何も起こらなかったのである。
凪という言葉がいちばん近い。無風でもいい。それなりに気持ちを込めて記事を書いている。今日はこれを書こう、こういうことを伝えようと、自分なりにはちゃんと熱を持って出しているつもりなのに、それを置いた瞬間、世界が「あ、はい」とも言わず、ただ静かにそこにある。
誰も来ない。何も揺れない。
少なくとも何かしらの波紋は起きるだろうと思っていた。水面に石を投げたつもりなのに、落ちた音すら聞こえない。あまりに反応がないと、記事が非公開したのではないかと疑うくらいに。
あの頃読まれていたのは、私の文章が特別だったからだけではなかったのだ。
文章の力だけで読まれていたわけではなかったのだと。
mixiには友だちがいた。ネットゲームには仲間がいた。
文章が先にあったのではなく、関係が先にあった。読んでくれる人が最初から近くにいて、その人たちの前に文章を置いていたから、ちゃんと読まれていた。
今書けば当たり前すぎて机に突っ伏したくなるようなことを、当時は理解していなかった。客席に人が座っている場所でステージに立っていたのに、私はどうも自分に集客力があると思っていたらしい。
図々しいにもほどがあるのだけれど、若い時、あるいは何かがうまく回っている時、そのへんの構造を平気で見落とす。追い風を自分の足の速さだと思い込む。
noteはその勘違いをわりと容赦なく訂正してきた。誰も待っていない場所で書くとはどういうことか。検索されるでもなく、拡散されるでもなく、ただ自分の言葉だけを置くということが、どれだけ心細く、どれだけ手探りで、どれだけ拍子抜けするものなのかをかなり丁寧に教えてくれた。
書くことの現実に近いのだと思う。読み手が最初から目の前にいる場所のほうが特殊だったのだ。
あの無風は今となっては悪くなかったとも思う。いや、実際にはかなりへこんだし、何度も「誰も読まんのかい」と心の中で地味に荒れたし、自分の記事が世界から完全に見えていない気がして、しょんぼりした日もあった。
けど、あの凪の時間があったから書くことと読まれることを混ぜすぎずに考えられるようになった気もする。
文章そのものの問題なのか、届け方の問題なのか、タイトルなのか、テーマなのか、そもそも誰に向けているのか。そういうことを、やっと一個ずつ見直すようになった。
たまに昔の自分を思い出してうらやましくなる。書けば読まれると、なんの疑いもなく信じられていたあの頃の私は、今より少しだけ幸せに書いていた。
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[画像協力:さちわ]
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