値切ってくるのはいったい誰?
「文章なんてさ、ABC覚えるくらい簡単だよ」
昔、飲み会で隣に座った男がそう言った。
彼はそのあと「小説書くのとかって、なんか『詩的な言葉』並べればウケるんでしょ?あはははは」と続け、枝豆を指でつまんだままドヤ顔をした。
その瞬間、私はそっと心の中でぼやく。
この男には、絶対に「読ませる」という概念が一生訪れない。
いや、たしかにある意味ではABCを覚えるくらいのもんよ。あってる。でも、それで書けるなら、私の目覚まし時計は3回スヌーズしても原稿が進んでるはずだ。なぜだ、なぜ止まっている、秒針よ。進めよ、未来へ。
文章を書くという行為は「目覚まし時計との対話」に近い。
ピピピ、と鳴るアイデア。止めて寝る私。5分後、また鳴るアイデア。止めて二度寝。
そうこうしてるうちに、だんだんアイデアは鳴らなくなる。
そして書けない日々に包まれ、「あれ?目覚まし設定したっけ?」と自問しはじめるのだ。
ここで出てくるのが、値切り交渉である。
これは主に、自分との。
「今日は忙しかったし、300字でよくない?」
「エッセイっぽいタイトルつけとけば、それっぽく見えるって」
「昔のエピソードの使い回しでも、誰も覚えてないって!」
……ね? 値切ってくるでしょう? 自分が。しかもめちゃくちゃ粘る。
そのくせ、書き終えたあとに読み返してみると、「なにこのダンボールに入ったシャネルの鞄」みたいな、中身と外見のチグハグ感がすごい。
でも、不思議なことに、ちゃんと書いた文章は、ちゃんと起きてる。
目覚ましのスヌーズを止めて、自分を夢の世界から引っ張ってきた朝のように。値切らず、正規価格で買った一文字一文字は、堂々としてる。
だから、私はABCから始まるその先に、ちゃんとZまで辿りつくために、値切らず、起きて、書くのだ。
言葉に値切りは効かない。手間を惜しまない者にしか、目を覚ます文は書けない。
《前回の三題噺》
1.ABC
2.値切り交渉
3.目覚まし時計

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[画像協力:さちわ]
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