欲望のハンドルを握ったまま、文章を書く危うさ《今週の三題噺発表》
「書きたいことを書く」
このフレーズを聞くたびに、冬の海を思い出す。澄んだ透明感があって、どこまでも広がっていて、自由を象徴しているように見えて、でも実際に近づいてみると、そこには容赦のない冷たさがある。波打ち際で遊んでいるつもりが、いつの間にか足元をすくわれて、気づいたら命を持っていかれる。そういう怖さが、この言葉にはある。
文章を書く世界には、このフレーズがやたらと転がっている。書きたいことを書け。自分の内側に正直であれ。魂を解放しろ。だいたいこの3点セットで、レンタカーみたいに、誰でも簡単に借りられますよという顔をして置いてある。
でも実際に運転してみると、話は全然違ってて。ハンドルは思ったより重いし、ブレーキの癖はよくわからないし、返却期限はどんどん迫ってくるしで、初心者はわりと簡単にガードレールに突っ込む。そして保険に入っていなかったことに、事故ってから気づく。
文章も、本当にそれだと思う。「書きたいから書く」というのは、運転技術を確認せずに高速道路に合流する行為に近い。
アクセルを踏めば前に進むことはわかっている。でも、どこに向かっているのか、どんな速度で走るべきなのか、まわりにどんな車が走っているのか、そういうことを全部すっ飛ばして、ただ「走りたいから走る」と言っているようなもんだ。
なぜそんなことになるかというと、「書きたい」って欲望が、ものすごく自己中心的だから。
これは別に、あなたを(私を)責めているわけじゃあない。人間の欲望は、基本的に全部そうだ。お腹が空いたから食べる。眠いから寝る。誰だってそうやって生きている。いちごジャムだって、パンの都合なんて考えていない。ただ甘くなりたいだけで、白い表面をベタベタに染めにくる。それ自体は悪いことじゃない。
問題は、その欲望をそのまま他人に差し出すときに起きる。
「私はこれを書きたいんです」と言いながら、相手の存在を一切見ていない文章は、距離感を完全に誤っている。
それは「触りたいから触る」という論理と、構造が同じになってしまう。そこに合意はない。相手が何を望んでいるかも、どう受け取るかも、関係ない。あるのは一方通行の感情だけだ。つまり、痴漢である。
文章は必ず誰かの視界に入る。画面越しでも、本のページでも、心の中に入ってくる。文章を書くという行為は、他人の領域に足を踏み入れる行為なんだ。ここで「自分が書きたいから」という理由だけを振りかざすと、相手の事情を無視した侵入になる。ノックもせずに、いきなりドアを開けて入ってくるようなもの。
じゃあ、書きたいことは一切書くな、という話かというと、そうでもない。むしろ逆だと思っている。書きたいことは、まず自分の中で徹底的に分解する。これは本当に誰に向かっているのか。どこまでなら共有できるのか。どの言葉なら、相手が逃げずに受け取れるのか。そういうことを何度も何度も確認する。
冬の海に入るなら、せめて天気予報を見る。水温を調べる。ライフジャケットを着る。レンタカーに乗るなら、サイドブレーキの位置を確認する。ミラーの角度を調整する。ガソリンの残量をチェックする。いちごジャムを塗るなら、パンの枚数を考える。1枚に対してどれくらいの量が適切か、甘すぎないか、パンの厚さはどうか。文章も同じで、欲望を持つ前に、環境を見ろという話で。
「書きたいことを書く」が本当に成立するのは、書きたいことと、読まれたい形が一致したときだけだ。そのとき初めて、欲望は表現になる。自分の中にあるものが、他人にも届く形に変わる。そこには技術がいるし、想像力もいるし、何より相手への敬意がいる。
ただの自己満足は、日記帳にしまっておけばいい。それはそれで、誰にも迷惑をかけない。健全だと思う。でも、それを他人に見せるなら、話は変わってくる。
文章は独り言ではない。必ず、相手がいる。だからこそ、自由には責任がついてくる。書きたいから書く、ではなく、届けられる形にするから書く。この順番をひっくり返すと、だいたい事故る。そして事故ったときに一番傷つくのは、書いた本人ではなく、読まされた側だったりするわけで。
冬の海は、今日も静かにきれいだ。灰色の空の下で、波が規則正しく打ち寄せている。でも、泳げと言われたら、私は遠慮する。装備もないし、泳ぎ方も知らないし、何より今日の海がどれくらい冷たいのかわからないから。
欲望は眺めるもの。突っ込む前に、一回、立ち止まってみる。誰かに届けるということは、誰かの時間を奪うということだから。その重さを引き受けられるかどうか、確認してから、書き始めたい。
そうでないと、私たちはただ、真冬の海に裸で飛び込む人になってしまうから。
《前回の三題噺》
1.冬の海
2.レンタカー
3.いちごジャム
説明しよう!三題噺とは、まったく関係のない3つの言葉を強引にひとつの話にまとめる文章遊びであーる。頭をフル回転させながら、「どうつなげる?」「オチどうする?」という落語的プレッシャーが味わえます。エピソード構成力、語彙力、そして無茶ぶり耐性まで育つ、文章版・筋トレRPG。それが三題噺。やってみなきゃ、もったいない!
《今週の三題噺》
1.短歌
2.コロッケ
3.TSUTAYA
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[画像協力:さちわ]
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