1日なにもなかったので、書くことがない日を書いてみる
びっくりするくらい平穏な1日を過ごしたヤスです、こんにちは。
昨日は休日でほんとうにのんびりと過ごした1日でした。ない。書くことがないぞ。閉店間際のパン屋くらいなにもない。
ふと思ったんだけど、書けない日と書ける日って、そんなに違いがないんです。記事を書ける日になにかおもしろ出来事が起こったかというと、特にない。人と会うor合わないだって、「ダレソレさんと会いました」は私は記事にあまり書いてませんからね。
あれ? 書けるor書けない日の違いはなんだろう。ここをひも解いてあげればこれから行き詰ったときのヒントになりそう。
本は毎日読んでいるのでインプットはしている。だからインプット不足ではない。では人と話していないかと言えば、それもない。
昨日もサロンメンバーさんの記事を添削したり、もちろんコラムも書いていました。アウトプットもしている。
じゃあ身体が疲れている?
うーん。そりゃあ疲れてはいたけど、高熱があった時でも記事は書いていましたから、それが理由ではないはず。
思考は働いている。インプット・アウトプットも問題ない。とすればなんだろう。
ああ、これかもしれない。
「思考が受動的になっている」
記事を書くとき、なんらかの問いかけを自分にしているんですね。「これはどういうことだろう?」
なんでもいいんです。「どうして私は散歩中の犬に高確率で吠えられるんだろう?」
こういう問い、疑問があればそこから思考が展開します。書けない日はこれが違うかもしれない。同じ事象でも「犬によく吠えられるなぁ」で止まっているんです。
思考に積極性がないとき、そこからなにも考えません。
今日の記事だって同じです。「なにも書けないなぁ」で止めてしまうのか「どうして今日は書けないんだ?」で展開させるか。
書けなくてつらい、とまではいきません。別につらくはないんですよ。もう毎日更新をすると決めているので、書けまいが書けようが関係なく書く一択です。行動を決めているのならそこにつらさがあるとほんとしんどいですから。
今回の記事のように視点を変えて書きます。「お、これが書けない日か。きたきた。さてどうやってひねり出そうか」
いや、ほんとに丸々一記事、「書けない考察」で書いてしまった。結論、思考は受け身にせず、積極性をもたせましょう。
お読みいただきありがとうございました。
[写真協力:さちわ]
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[914字]
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