書くことは、たぶん “落とし物センター”だ
文章を書くのって、すごく不思議だ。
やっていることは「言葉を並べる」ってだけのはずなのに、時々、自分を励ましたり、人を笑わせたり、恐怖におとしいれたり、何なら少し泣かせたりする。
すごいよね。だって、文字だよ? 記号だよ? それをただ順番に並べてるだけなんだよ。
でも、人はそこに、風景や、音楽や、感情の記憶まで読み取る。
考えれば考えるほどそんなの、反則だろう。
文字ほど情報伝達に優れたものはないかもと思えるくらいに。
この頃、よく「書くことって、どうすれば上手くなるんですか?」って聞かれる。まぁ、頻繁に聞かれる。だいたい私のnote記事を読んでない人だけど。新学期って理由もあるのかも。
最近思うのは、文章は「うまく書く」より、「落としたものを拾う」のが先かもしれない、って。
たとえば朝、電車の中で見たこと。
ベンチに座っていた高校生がおにぎりを落とし、拾うのをあきらめたときの顔とか。
誰かが肩越しにスマホをのぞき見してたときの、妙な緊張感とか。
そういうのが、頭のどこかに残る。言葉に・文字にならないまま。
書くって、それを思い出す作業に似てる。
「なんかあったよな」「なんか感じたよな」って、心のポケットをまさぐって、「ああ、これこれ」とレシートの裏にメモしたことを読み返す感じ。
そういう作業を、地味にコツコツやる。
くりかえしているうちに、「これ、誰かも感じたことあるんじゃないかな」って思えることが出てくる。
それを文字にする。文にする。記事を書く。
そしたら、「あーわかる、それ」って誰かが言ってくれるかもしれないし、まぁ、言ってくれないかもしれない。
でも、言ってもらえたらラッキーだ。共感っていう名の、落とし物の持ち主が現れた瞬間みたいなもんだから。
もちろん、うまく言葉にならない日もある。
私はそういうときは焦らず、意味もなく散歩してみる。
道ばたに転がってる感情のかけらを、そっと拾いにいく。
それがたぶん、書くってことなんじゃないかな。少なくとも私にとっては。
だからもし、「書けないな」って思ったら、ちょっとだけ思考の展開を止めてみてほしい。
「誰かに伝える」より前に、「自分が落としたものをちゃんと拾えてるか」を考えてみる。
きっとそこに、書くべきことが落ちている。
誰にも気づかれず、ちょっとホコリをかぶってるかもしれないけど。
でもそれは、たぶんあなただけの宝物だ。
[画像協力:さちわ]
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