おふざけを制する者が、文章を制す
文章というものは、だいたい「おふざけ」から始まる。もっと言えば、「何を書こう?」と考えてる段階では、まだ文章の赤ちゃんだ。最初の産声は、だいたい意味不明のひと言。
「スーパーマーケットで売ってる大根の気持ちについて考えてみた」
とか。何を書きたいのかは書いている本人ですら不明。でも、このふざけた第一歩がないと、文章は歩けない。大根を見つめてからが勝負だ。
そもそも文章を書こうとすると、人間は急に賢いフリをする。語彙を増やしてみたり、文末を整えてみたり、急に学級委員長みたいな文章を書き始める。
そんな文章、読者は知ってる。
「はいはい、今日も真面目ですね」と言われて読み飛ばされる未来まで見えている。
ところが、おふざけには風がある。
ふざけてるとき、人間は自由だ。
自由なときの言葉は軽やかだ。
軽やかな言葉は、だいたい読者を連れていく。
「ふざけて書くなんて失礼では?」という声もある。大丈夫、読者はそこまで繊細じゃない。むしろ大喜びだ。
読者は「ちょっと変な文章」を見ると、「こいつ、今日テンションどうした?」とワクワクする。もはや人類の習性だ。動物が走るのは獲物を追うとき。人間がスクロールするのは面白そうな文章を見つけたとき。
とはいえ、ふざけを通すと、中盤くらいで急に書き手が我に返る瞬間がある。「あれ? これ、どこでオチつけるんだっけ?」
そこからが文章の本番だ。
ふざけた入り口から始めて、徐々に本題へ着地させるこの技こそ、文章の醍醐味であり、書き手の腕の見せ所である。
たとえば、「文章は大根から始まる」と書き出しておいて、最後に「書きたいことは目の前にある」という結論へ持っていく。
この流れが読者に効く。
だって、ふざけたスタート地点から、いつのまにか本質に着地している。この「おふざけ→本質」の落差こそが文章の快感だ。
そう、文章に必要なのは整った構成より、まず「ふざけてみる勇気」。
ふざけて転びながら書いていると、どこかで急に言葉が真顔になる瞬間が来る。文章が急に「本音」を漏らす。あれは書き手がふざけ続けたご褒美だ。
書き始めが真面目だと、文章はずっと緊張している。読み手も固まる。
でも、ふざけて始めた文章は、途中から急に、大切なことを自然と語り始める。
ふざけているうちに、言葉の奥にある本心が溶け出すのだ。
文章はおふざけから始まる。
ふざけ倒せば倒すほど、最後の一行が光り出す。
なんでもいいからふざけて書き始めよう。
真面目はあとで追いついてくる。
文章って、そういう生き物だから。
#66日ライラン
#放課後ライティング倶楽部
[画像協力:さちわ]
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