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「ブーニン~天才ピアニストの沈黙と再生」惜しさが残っても、音は救いになる[映画評論]

ドキュメンタリー作品ではありますが、劇場で鑑賞したので、ひとつの映画体験として感想を残します。

私が「超ド天才」だと思っているピアニストは、マルタ・アルゲリッチ、スタニスラフ・ブーニン、そしてブルース・リウ。

昨年の初夏、ブーニンが12月にコンサートを開くという情報を目にし、ぜひ行きたいと思っていました。しかしチケットが取れず、代わりにドキュメンタリー映画の公開を知って劇場へ足を運びました。

私は基本的にネタバレはしません。なので内容の細部には触れませんが、正直に言うと、作品の構成がとても惜しく感じました。

ブーニンの歩んできた道のりは、10代の華やかさの後に続く時間こそが重いはずなのに、その壮絶さや、音楽・ピアノへの思い、情熱が、ニュースのダイジェストのように要点だけ並べられているように見えたのです。時系列の置き方も、少し順番が噛み合っていない印象があり、積み上がるはずの感情が途中で途切れてしまう。観終わったあと、残念さと茫然とした気持ちを抱えたまま帰宅しました。

実は、昨年のショパンコンクールのファイナリストの演奏が私にはあまり響かず、結果にもどこか納得しきれていなかったことも重なっていました。だから余計に、家に帰ってからマルタ・アルゲリッチ、スタニスラフ・ブーニン、ブルース・リウを聴きまくった次第です。

聴きながら改めて思ったのは、「彼は音で語る人なんだ」ということです。作品の説明では足りなかったものが、演奏の中には確かにある、と。

1985年のショパンコンクールで19歳の彼が注目を集めたこと、そして20歳で当時の西ドイツへ亡命したことは、世界的なニュースにもなりました。
その後、10年近く前から活動が見えにくくなった時期が続き、ここ2〜3年のリサイタル開催をきっかけに闘病のことを知りました。

演奏する曲にもよりますが、ブーニンの奏法で印象的なのは、足元の使い方です。ペダルを踏むだけでなく、踏まない瞬間に左足を床へ置いたり、ふっとペダルから離したりする――あの“間”が音の呼吸を決めているように私には見えます。
だからこそ、病気の影響で左足を数センチ失ったと知ったときは胸が詰まりました。

それでも、ドキュメンタリーの中で見た左足は「生きて」いました。

ブーニンフィーバーから約40年。平坦ではなかったはずの軌跡の先で、なお天才のピアノは変わらない――そう感じました。これから先も、何年後も、彼の音を聴き続けたいと思います。

ここ数日、メンタルダウンして寝込んでしまい、これは観に行かないと奮起して行ったものの、茫然としたまま帰宅して改めてリスペクトしているピアニストの演奏を聴いて、少し元気が出ました。

やっぱり音楽の力って偉大ですね。


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