「嫌い」の中に自分の「才能」が眠っている
小学生の頃、体育の授業でやったハードルで苦い経験があります。
ハードルに足をぶつけて、盛大にすっころんだんです。
全身砂まみれになるし、痛いし、そして何より「みんなの前で転んだ」という恥ずかしさで胸がいっぱいになりました。
その日を境に、ハードルの授業が嫌いになりました。
中学生になった私は陸上部に入りました。
といっても、積極的な理由ではありません。
球技は全部苦手。
文科系の部活はなんかダサい。(当時の偏見です。すみません…)
そして陸上なら、「ハードルは嫌いだけど、走るのは嫌いじゃない」
それだけの理由でした。
本当は家に帰ってゲームをしたかった。部活なんて義務だから仕方なく入っただけです。
そんなある日、顧問の先生からこう言われました。
「ハードルをやってみないか?」
「よりによってハードル!?」と一瞬思考がフリーズしました。
当時の私は同年代より背が高めだったためハードルに有利だから、という理由でした。
当然、やりたくありませんでした。でも、先生の言うことは絶対だと思っていた私は、しぶしぶ始めることにしました。
「せめて真面目にやっているようには見せないと」
そんな気持ちで、練習だけは手を抜かず続けました。
始めのうちは、転ばないように恐る恐る飛び越える毎日。
でも続けていくうちに、ふと気がつきました。
スムーズに跳べるようになっている。
そして、ハードルが「楽しい」と感じ始めている自分がいる。
そこから一気にのめり込みました。
自分から進んで練習するようになり、高校でもハードルを続け、結果的に関東エリアの大会で入賞できるほどになりました。
■ 人は「嫌ったもの」の中に、宝を隠している
私がハードルを嫌いになったのは、才能がなかったからではありません。
過去の「痛み・恥・恐怖」の経験が、感情を上書きしていただけでした。
強い感情は記憶を“特別なもの”にします。
痛かった、恥ずかしかった、怖かった。
その感情が強ければ強いほど、その対象を「嫌い」と錯覚しやすくなります。
でも実は、
強く拒絶したものほど、克服したときの快感は爆発的に大きい。
私にとってのハードルがそうでした。
■ 誰にでも「絶対やりたくないもの」がある
でも、その中にこそ宝が眠っているのかもしれません。
嫌っている理由は、能力のせいではなく、
過去の小さなトラウマや、痛みの記憶のせいかもしれない。
だから今、私はnoteで「過去の嫌いだった自分」や「情けない自分」をできるだけ晒そうとしています。
正直、めちゃくちゃ恥ずかしいです。
でも、少しずつ“それによって得られるもの”が分かってきました。
これが私にとっての新しい「宝」になるのかは、まだ分かりません。
ただ、嫌だったことをそっと掘り起こしてみると、意外と悪くない。
これは、そんな「自分だけの宝探し」の記録です。
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