「昨日は夕日を見てた襟裳」と歌った俺の言葉を頼りに、その景色を見に行った人から届いた便り。
先日、「聴く隣人のいるところ」という映画の舞台挨拶にお呼びいただき、 トークセッションと1曲だけ歌唱をしてきました。
俺と、この映画「聴く隣人のいるところ」の関係について、少しだけ話をさせてください。
「あなたの曲に、命を救われました」
あれは、6~7年ぐらい前?に俺の曲に、
「命を救われた」と連絡をくれた、とある少年。
まだメジャーデビューなんて全く見えてなかった、あの頃。
中小のブラック企業で営業をしながら、 真っ暗闇の日々で、
ソロも梅田もがむしゃらにラップをしていた、あの頃。
その連絡から、彼は定期的にライブへ足を運んでくれた。
物販などで話をする機会が巡り、
歌詞を書く意味を目の前で何度も教えられた。

そして、彼は16歳になるころ、
日本で1番小さい全寮制の高校である、
愛真に進学をした。
新学期のはじめには携帯を預け、
完全に圏外の中で、 夜明けに起き自炊をし、
自分たちの糞尿で肥料を作り、
それを撒き、畑を耕し、洗濯を手と足で行う。
そんな稀有な高校が愛真。
その中で、彼はあっという間に3年生になった。
俺も、気づけばメジャーデビューをして、
梅田は少しずつ大きくなっていった。
なんにせよ、時間の流れは早すぎる。
そして彼は、愛真設立以来、30数年の中で、
生徒が外部講師を呼べるように制度を変え、
俺を招いてくれた。
自分がもし10代の時に、
同じことが出来たかと思うと、首を傾げてしまう。
今かんがえても、あらためてすごい。

感想はパンフレットに書いた
そんな繋がりから、
この愛真が舞台になった映画が公開されることになった折に、
監督の早川さんから文章を寄稿いただけないかと、
熱いメールをいただく。
なんと早川さんも梅田サイファーのファンで、
しかも俺のとある歌詞が大好きと言ってくださり、
俺は映画の販促のための文章の寄稿を喜んでさせていただいた。
さらには、大阪の劇場で舞台挨拶と歌唱のご依頼をいただき、
先日に繋がる。
手元のデバイスでは、コメントを書くために先に見ていたが、
改めて映画館で見ると、さらにいい映画だった。

何を感じたかは、劇場に足を運び、
パンフレットを手に取ってみてください。
俺の素直な感想が、そこに書かれてます。
出演者が20歳以下のため、
映画自体は配信などはなく 劇場のみの公開で終わるそうです。
なので、可能であれば、ぜひ映画を見に、
劇場に足を運んでください。
本編が終わり、 監督の早川さん、出演してた蒼くん、
そのおまけで俺も、 パンフレットのサイン会に参加させてもらった。
普段、お話しすることのない教育関係の人たちがたくさんいて、
いろんな話題を耳にし、
人が人に関与するということの難しさや複雑さを感じた。
見覚えのある灯台と、焼けた空
その中で、俺の告知を見て、
リスナーさんも来てくれていた。ありがたい限り。
物販で俺の前に立った時に、
その方が1枚の絵葉書をくれた。
見覚えがある灯台と、その後ろに沈みゆく焼けた空。
優しくも悲しい風景だった。

話を聞くと、
「Show Must Go」の中の俺の歌詞である
「昨日は夕日を見てた襟裳」という 一節を受けて、
その景色がどうしても見たくて、
わざわざ襟裳にいき、
その時に撮影した写真を絵葉書にしてくれた、とのこと。
その話を聞きながら、
どうりでその景色に見覚えがあるはずだと思った。
丁寧にお礼をつたえ、
数分ほど話をして、そのリスナーさんと別れた。
帰宅後、荷物を片し、
机の上にその絵葉書を置き、再度まじまじと見た。
そして緩やかに、自分が襟裳に立った日のことを思い返した。
あの日、目の中に写った夕日のすばらしさを
歌詞にいつか書こうとは思った。
ただ、その歌詞を聞いた人が、北海道に向い、
わざわざそこに立つことは微塵も想像しなかった。
いつも思うけど、歌詞を書くこと、音を作ること、
それらの波及がどこの瀬に辿り着くかは、
ほんとに想像の範疇を大きく超えていく。
人が人に行うことは、思いもよらない結果に辿り着くことが多い。

身体を伴ったことしか、歌ってはいけない
俺は、HIPHOPが持つ「リアル」という言葉が好きだ。
若い頃は、それが何か言語化できてなかったが、
今になってわかる。 それは「身体」ということだ。
HIPHOPには、この「リアル」の呪いがあり、
それはつまり、「身体」を伴ったことしか歌ってはいけないという前提だ。
ただ、たまにそれは思いの外、
うまく言語化されておらず、
より「身体」がハードな反応を示すほうが、
より本質的だと捉えられている。
なんせ、「身体」から綴られる言葉の説得力は凄まじい。
「昨日は夕日を見てた襟裳」という一節を聞いて、
襟裳へと、人を誘うぐらい、すごい。
当然、自分のペンの力もそこにはあるけど、
そもそも、言葉にはそういった力がある。
自分が言葉を扱う上で、この力を忘れちゃいけないと思う。
日々で消費されるエンタメ、コンテンツは往々にしてあるけど、
だからって粗雑に言葉を置いてはいけないと、自分を戒めた。
そして、この行いは金銭的には、
結果として見えにくいが、
自分がしたいことの一丁目一番地にし続けたい。
俺は俺なりに、この世界へ、
この身体を用いて関与しつづけたい。
そして、世界に命が在ることは意味深く、
世界は祝福に満ちているということを、
自身の身体を通った言葉をもって、訴え続けたい。
それにより、誰かの人生が思いもよらぬ場所に運ばれ、
その誰かが、世界に祝福される。
そんなことを考えて、10年以上音楽してて、
知ったけど、 その祝福は巡り、巡って、自分にもいつか戻る。
今回は「襟裳」という言葉が、
綺麗な絵葉書の景色として戻ってきた。
この絵葉書をみて、俺もまた北海道に、襟裳に旅に出るんだと思う。


