ダイヤルはないけど、スピーカーの付いた電話・有線放送電話
スピーカーの付いた電話機
スマホには高性能なスピーカーが備わっていますが、家庭の電話にもスピーカーが付いてた時代がありました。
今では、ほとんど顧みられなくなった「有線放送電話」という、昭和の遺産をご存知でしょうか。地方の出身の年配の方には、ご存知の方も多いのではないでしょうか。私の生まれ育った町の有線放送電話の話です。
見出しの写真が、有線放送電話です。かけ方は、受話器を取り、交換手が出るので、相手の電話番号を言って、しばらく待ちます。それで繋いでくれます。
では、スピーカーは何のためにあるのでしょうか。
電話になぜスピーカーが付いているのか?

出典:https://www.ritsumei.ac.jp/~sakatak/yusen-hoso/
私が生まれ育った東北地方の農村地区には、昭和30年以前から「有線放送電話」が各家庭にありました。みんな、「ゆうせん」と呼んでいました。ほとんどの家庭には、NTT(当時の日本電信電話公社)の一般加入電話は、ありませんでした。
リンリーンと鳴らないけど、放送機能もある電話
この「有線放送電話」は、電話機の働きもありますが、放送の機能もあるのです。
自分の家に電話がかかっていることを、どういうふうに知らせるのか。リンリンという呼び出し音は鳴りません。電話機のスピーカーから、交換手が「○○番さん、○○番さん」と呼びかけるのです。
自分の家の番号が呼ばれている時に、受話器を取ると相手と通話ができるしくみです。
私の家の番号は、「〇〇地区の3区の8番」でした。おそらく、町全体がいくつかの区に分かれていて、各区に20戸ぐらいが入っていました。
交換手が、「〇〇地区の3区の8番」にかけたいと相手から言われると、その地区の3区の電話全部に、「3区の8番さん」とに呼び出しの放送を入れるのです。ですから、3区の1番から20番までのすべての家庭の電話機のスピーカーから、「3区の8番さん」という放送が流れます。

だから、近所の家にも、わが家に電話がかかってきていることが、バレバレになるのです。微妙に通信の秘密が損なわれています。また、「〇〇番さん」と何回も呼ばれると、その家が留守の可能性が高いということが分かってしまいます。
ただ、庭先で農作業をして家の外にいるときなどは、となりの人が、「おたくに、今、電話がかかっていますよ」、と親切に教えてくれることもありました。
電話からラジオが流れる
電話機のスピーカーからは、NHKのラジオ放送が流れている時間帯がありました。記憶では、ラジオの放送は、2時間おきぐらいに流れていました。原則として、ラジオ放送が流れている時には、電話の通話は受け付けないことになっていました。
でも、緊急時はかけることができました。そうすると、ラジオ放送を中断して、「3区の8番さん」と呼び出されますので、私のうちに、何かあったのではないかと、近所の人が心配して見にきたりします。
通話料金は無料ですが、年間の加入料金を払っていたのかもしれませんが、はっきりしません。無料をいいことに長電話をする人もいませんでした。
有線放送電話で、秘密の話をすると
この電話システムの欠点の一つは、近所の人が通話をすると、たまに、その通話の話し声がスピーカーからかすかに漏れてくることがありました。だから秘密の話はできない電話システムでした。だから、町議会議員選挙があるときなどは、真剣にスピーカーに耳を傾けている人がいるという噂もありました。
消防団の緊急呼び出し
また、この有線放送電話は、緊急防災放送の機能もありました。火災が町内で発生した時には、「〇〇付近で火災発生、消防団は出動してください」と緊急放送がありました。また、春先などには、「明日は、霜が降りる予報ありますので、農作物の対策をお願いします」などの、農業に関する情報提供の放送も流れていました。
こう考えると、けっこう多機能の電話システムと言えるのではないでしょうか。電話の通話、ラジオ放送、防災放送、気候などの農業情報、町役場からの行政放送などです。
町の外に電話をするには
この有線放送電話は、町内だけのシステムなので、町の外の親戚などには、連絡を取ることができませんでした。その必要がある場合は、近所で商店を営む家などに、電話を借りに行きました。

右側の取手を回して、交換手を呼び出す
https://aucview.aucfan.com/yahoo/n150445516/

おじ夫婦が、近くで豆腐店を経営していて、一般加入電話を持っていたので、親戚の方が亡くなったりした連絡に、使わせてもらいました。その電話機が、上の写真のような電話機でした。やはりダイヤルがありません。
私は、この電話機でかけたことはありませんが、おじが使うのを見て覚えています。まず、右側の取手を回してから、受話器を取ると、交換手(オペレーター)が出ます。「こちら、○〇〇番です、宇都宮の〇〇番お願いします」と言ってかけます。その後、受話器を置いて待っていると、リンリンとなって、「宇都宮、つながりました」となります。
小学校の遠足で、電話交換台に
私の小学校1年の時の遠足は、徒歩で町の役場や郵便局などに行く、というものだったと記憶しています。町役場を訪れた時に、この有線放送電話の「交換室」を見せてくれました。それで、交換手が電話をつなぐ仕事を見学できたのですが、交換手さんが、「だれか、自分のおうちに電話をかけたい人は、いませんか」と呼びかけました。
珍し物、新し物好きの私は、すぐに手を挙げました。すると、交換手さんが、電話線のジャックを入れ替えて「3区の8番さん」と呼び出してくれたのです。無事、私は、母と電話で「遠足で、今、役場に来ている」と短い会話をすることができました。
遠足の帰りは、耕運機で
その遠足で覚えていることが、もう一つあります。往きも帰りも徒歩の予定だったのですが、片道6キロぐらいあります。帰りに、1年生17人と担任の先生で、トボトボ歩いていると、耕運機が通りかかりました。その運転をしている人が、女子のクラスメイトのお父さんだったのです。

道路交通法違反ですので、マネしないでください
そのお父さんが「乗せていってあげる」と言ってくれたのです。ちょうど、耕運機は2台並んで走行していたので、私たちは耕運機に分乗して学校に帰りました。全員が乗れたか定かではないのですが、そのお父さんは、小学校から折り返してもう一度、運んでくれたと思います。ほのぼのした昭和の遠足でした。
ごめんなさい、有線放送電話の話題から、脱線しました。もどりましょう。
その後、この「有線放送電話」はどうなったのでしょうか?
わが町の有線放送電話は、私が高校入学の1974(昭和49)年時点では、まだありましたが、その後まもなく、NTTの一般固定電話が普及して、有線電話は廃止になりました。
でも、この有線放送電話は、町の防災行政無線のシステムに受け継がれています。各家庭の電話がなくなり、防災無線のための鉄塔が町内に建てられました。そのスピーカーからは、朝6時には音楽が流れたり、夕方5時には、子どもは家に帰りましょう、のような放送が流れています。実家のそばにその鉄塔があるので、うるさいくらい鮮明に聞こえてきます。
さらに、各家庭には、防災行政無線を受信する「個別受信機」が配布されていました。

では、有線放送電話というのは、完全に日本列島から姿を消したのでしょうか。
有線放送電話は、完全に消えたのか?
調べてみると、滋賀県守山市では、守山市有線放送農業協同組合という形で稼働しているようです。ただ、これ以上のことは分かりませんでした。公式WEBサイトは↓になります。
また、新潟県の上越市有線放送電話協会は、2024(令和6) 年9月30日で終了したとのことです。
http://jhk.or.jp/index-kaisan.html
島根県の「大社ご縁ネット」(大社町有線放送電話協会)も、2023(令和5)年3月31日に事業が廃止になりました。
人のつながりが、薄くなるかもしれないスマホ
大多数の人がスマホを持っているので、個人同士が繋がっているような状態ですが、有線放送電話や、一般固定電話の時代の方が、個人同士のつながりが濃かったように思います。
電話がかかっていると教えてくれたり、電話を借りにいったり、呼び出しをしてもらったり、といったことを通じて、人同士のコミュニケーションが頻繁に成立していました。
電話がないけど、連絡を取りたい時には、相手の近所の電話のある人に電話して呼び出してもらうか、緊急だったら電報を打つか、相手の家に直接行くか、手紙・ハガキを書くかのどれかになっていたはずです。
電話交換手とともに、ほぼ姿を消した有線放送電話ですが、人と人をつなぐ貴重な通信手段であったことは確かです。
