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医者について思うこと

ある誤診

今から60年以上も前、幼いころに激しい腹痛に襲われた。とにかく「痛い、痛い」を繰り返して苦しんでいた記憶はぼんやりとある。

親は最寄りのA医院に私を連れて行った。診断は赤痢ということだったが、その後も一向に症状は改善せず悪化の一途をたどった(と親から聞いている)。それでA医院に電話をしてどうすればいいか問い合わせたが、まったく冷たい応対だったらしい。

そこでちょっと離れた別のB医院に連れて行くことになった。夜だったので、車を持っている近くの商店主にお願いして、車で連れて行ってもらった。後から聞いた話だが、赤痢だと血便が出ることが多いが、私の場合は血便は出なかった。

B医院の診断は腸捻転であろう、すぐに大きな病院で手術を受ける必要があるということだった。その足で隣町の総合病院に連れて行かれて入院し、手術も無事終わり10日ぐらいで全快して退院した。

入院中はベッドで寝ている時間が長かったので、病室の天井の模様を今でも覚えている。私はその後、病院に行くと天井の模様を確認する癖がついてしまった。今でもその癖は抜けてない。それによると、わりと最近まで病院の天井の模様はほぼ同じだったが、現在ではその模様は見かけない。白色無地に大きさが異なる黒い点がポツポツと散っている模様である。

私に誤診をくだしたA医師であるが、地域での評判はよくなかった。だが、周辺には他に医者はいなかったので、住民は具合いが悪い時は行かざるを得なかった。


祖母の場合

そのA医師には、私の祖母が脳溢血で倒れたときもお世話になった。祖母は2月の寒い夜に、気持ちが悪いと言って倒れてしまった。すぐにA医師に往診してもらった。夜遅く往診してくれるところは良かったが、当時は往診が当たり前だった。

A医師は祖母を見てすぐに、「このばあさんは、もうダメだね」と冷たく見放すような言葉をのたまったらしい。脳の血管が切れて血液が脳内に溢れる脳溢血という診断だった。小一時間枕もとにいて、結局最期を看取って帰ったらしい。深夜だったので私は夢の中、朝起きて祖母の死を知らされた。


医師の診断

私の知り合いの薬剤師は、夫が医師をしている。彼女によると、医師が診断をくだす時、半分ぐらいの患者には自信を持って診断を出せるが、あとの半分は「たぶん〇〇だろうけど、ちょっと自信はない、この投薬でおそらく大丈夫だろう、少し様子を見てみよう」 といった程度だと夫が言っているとのこと。

経験を積めば自信を持って診断できる症例は増えるが、生きている人間の病状は千差万別で、典型的な症状からはずれるケースも多々あり、むずかしい診断になることもあるという。

私が教師をしていた時も、あの時の生徒への対応は、あれでよかったのかなあと悩みながら仕事をしていた。患者にしても生徒にしても、生きているものを相手にするのは難しいものである。


A医院のその後

A医院には、その後高校生の時にもお世話になった。学校でひどい頭痛に襲われ熱っぽくなった。昼休みに保健室に行って熱を測ったら高熱だったので早退して、A医院に診てもらった。その時はA医師ではなく息子さんのC医師に代替わりしていた。

風邪薬を処方してもらって、翌日には元気に学校に行っただけのことだった。C医師は、診察の時に私が着ていた制服と校章・学年章を見て、〇〇高の3年生だねと言った。母校は学年毎に色が異なる学年章をつけなければならなかった。

1年が紫(スクールカラー)、2年は緑、3年が赤だった。3年生で、1、2年の勉強をサボっていたヤツは、志望校合格に赤信号がともるという意味だという言い伝えが、先輩から後輩へ伝わっていた。C医師もおそらくその言い伝えのことを覚えていて、赤い学年章を見て3年生だとわかったのだろう。先輩であるC医師は、誤診のA医師とは違って、優しそうな方だった。

A医院には母も

C医師には、母もお世話になった。母は高血圧と狭心症があり、両方の薬を処方してもらうために定期的にA医院に通っていた。真冬の寒い朝、母は待合室にいた。突然、激しい胸の痛みを訴えたらしい。C医師がすぐに診て急性の心筋梗塞だと判断した。緊急手術などの対応が必要だということで救急車で近くの総合病院に搬送された。

残念ながらそれが最期となった。私は遠方に住んでいて駆けつけたが間に合わなかった。葬儀が済んだ翌日、父とともに会計の支払いとお礼を言うためにC医師を訪ねた。母の倒れた時の様子も聞きたかった。C医師は、高3で診てもらった時の印象と同じように、穏やかに母の様子をくわしく説明してくれた。

昭和の時代の医師は、A医師のように威張っていたし、患者は医者の言うことを黙って聞いていればいいという認識が当たり前だったが、しだいにインフォームド・コンセントという考えに代表されるように、患者の意向を尊重する医療に変わってきている。

特に、A医院のように人口が少ない集落では、いったん悪評がたつと大変なことになる時代である。A医院の親子医師の好対照には人柄の違いもあるが、時代の流れも感じる。


最近でも、誤診が

最近、家族のひとりが高熱が出たので日曜も診療しているD医院に行って診てもらった。インフルエンザとコロナの検査では陰性だったが、消化器系の病気だということで処方箋をもらい薬を飲んだ。熱は下がったが、お腹の症状ははよくならず苦しい状態が続いたので、2日後にもう一度診てもらったが、薬を全部飲み切っても症状が改善しなかったら来てください、という冷たい応対だったという。

それでも症状は一向に改善しなかった。それで私の高校の同級生で医師をしている友だちEに、LINEで詳しい症状を伝えて、アドバイスをもらった。彼は消化器専門の同僚医師にも相談してくれて、抗生剤を服用しないと治らないだろうと教えてくれた。彼の勤務先の病院で診てあげると言ってくれたので、翌日さっそくお世話になった。結局、D医院の見立てが違っていたようで、同級生の医師が抗生剤を処方してくれて無事回復したということがあった。


「不思議ですね」と言った医師

これは私のケースだが3年前のこと、全身がだるい状態が続いたので近くの医者に診てもらったが、これまた一向に改善せず、2回目に行って血液検査をしてもらった。その結果、ある数値がどんでもなく高かった。そのとき医師は、

「どうしてこんなに高いのでしょうね、不思議ですね」 

と私に言った。

要するに“分からない“という意味だと思った。その医師はこの症状が理解できないとは言わずに、「不思議ですね」と白状したのである。すぐに近くの大学病院に連絡を取ってもらい紹介状をもらった。結局、私はその大学病院で治療を受けて無事回復したのである。その大学病院の診断書には、「〇〇の疑い」と書かれていた。

私は担当医師に、この「〇〇の疑い」というのはどういう意味ですかと尋ねた。彼の返事は、ほぼ〇〇と思っていいです、ということだった。


チーム医療の大切さ

お世話になった大学病院では、当然ながらチーム医療で治療にあたっている。「〜の疑い」の真意は推しはかりかねるが、担当医師がチームの他の医師と相談して決めたものだという。生体検査までして出した結論であるのに、断定はしない、このぐらい診断とはむずかしいものなのかもしれない。

そこから考えるに、医師がひとりだけで、数名のスタッフ・看護師しかいないような“町医者“の場合、症例が珍しい病気だと誤診につながる可能性があるということなのかと疑ってしまう。何事も独りよがりの判断は禁物である。


同級生の医師は手書きのカルテ

お世話になった同級生の医師は、最近にはめずらしくカルテが手書きだった。少なくとも患者の前では、パソコンの画面に向かってキーボードを打つ姿は見せなかった。この病院は、主に老人を対象にした療養型の病院で、一般の外来患者はそれほど多くないようである。

行った日は土曜日で、午前中は診療はするが患者の姿はまばらだった。ロビーで事務スタッフや看護師さんの姿を観察していると、年配者を扱うのに慣れている印象だった。

とにかく最近、患者をじっくりみて、ゆっくりと話を聞いてくれる医師が少ないと思う。中にはずっとPCの画面に顔を向けて入力しながら患者と話す医師にも出会った。つくづく人柄が大事だと思う。

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