嫌なものは嫌だと言っていい
先日、知人から近くまで行くので会えないだろうか、という誘いを受けた。
しかし、どうも気が進まない。
今までに、「あれ?」と思うようなことをしている人なので、あまり会いたくはなかった。
そこで少し考えて、「用事が入っているので会えない」と返事をした。
そのLINEには別の相談も書かれていて、それには私が答えられる点を答えておいた。
知人が希望していた日のあたりで、「ああ、今日あたり近くにいるんだろうな」とは思ったものの、断ってよかった、と改めて思っていた。
そして先日、連絡が来た。
それによれば、相談していたこともスムーズに進み、さらに結局誘われていた当日はこちらに
これなかった、という報告があった。
ほらね、と思った。
もし私が行く、と返事をしていたら、私はドタキャンをされるところだった。
その人のために予定を空け、その人のためにスケジュールを調整していたはずだった。
それをドタキャンされたら、元々会いたいと思っていた人ならば、また次回、と思うだろうが、
元々会いたいとはあまり思ってなかった人だったら、「もう、2度と誘いには乗るもんか」と思ったはずだ。
やっぱり直感は正しい。
会いたくない、と思っている人には、無理して会う必要はない。
逆に会いたいと思っている人には、無理してでも会いに行った方がいい。
その先には、良い結果しか待っていないから。
そのドタキャンされていたかもしれない文面に、呆れながらも、どこか納得している自分がいた。
人はそれぞれの価値観で動いているし、誰にでも幸せになる自由がある。しかし、人を巻き込むときには配慮は必要だ。それを難しい言葉で言えば、「誠実さ」だろう。
私が以前、学生たちにマナーを教えていた時、最初に彼らに質問していたことがある。
それは、「マナーってなんだと思いますか」という質問だ。それに条件をつけた。
「小学校低学年の子どもから、ねえ、マナーってなに?って聞かれたら、あなたはなんと答えますか」という条件だ。
この質問にはいろんな答えが返ってきた。
「常識」「礼儀」「ルール」が最も多くて、なかなか私が求めている答えは返ってこなかった。
「もちろん皆さんが答えてくれたことも、間違ってはいません。ただ、もう一歩踏み込んで考えてみると、実はマナーって思いやりなんです」と答えていた。
「思いやり、というと、小学校低学年の子どもはわからないかもしれないので、もう少しわかりやすくいうと、「自分のことより相手のことを少しだけでもいいから多く考えて行動すること、です」と付け加えていた。
マナーには一応形はあるものの、それを忘れてしまうこともある。忘れてもいい。ただ、そこに思いやりがあれば、相手のことを自分のことより少しだけでも優先して考えて行動するならば、相手が不快に思うことはしないはずです、とも言っていた。
マナーがルール、と思ってしまうと、そこには義務しかなく、心はない。
そもそも「思いやりを形にしたもの」がマナーなのだから、「思いやりなしに、マナーはありえない」と思って教えてきた。
右手が上だろうが、左手が上だろうが、どっちでもいい。海外の上流階級の方々と接する機会があるならば、プロトコールマナーを徹底して学ぶ必要があるが、一応身分社会がないとされている日本では、そこまでのマナーは必要ないのだ。それよりも必要なのは、「誠実さ」だ。
この人のLINEには「誠実さ」が欠けているんだな、と思った。
いや、私が人のことを言えるほど、誠実な人間か、と言われたら自信はない。
だが、おそらく私は、仕事でもプライベートでもドタキャンはほとんどしたことがなく、事故、天気(台風とか)、交通機関のストップ、身内の不幸以外ではキャンセルはしてないと思う。
もちろん、いろんな価値観があるし、それはそれで自由だ。
ただ、自分と価値観が似ている人と一緒にいることは幸せだが、違う人といたらそれはやっぱり不幸だ。
いろんな人のいろんな行動をただ黙ってみているだけで、「この先この人と付き合うのかどうなのか」が決まると思っている。
嫌なものは嫌だと言っていい。言った方がいい。
そしてきっと私も、周囲の人からそのような目で見られているのだと思って、気を引き締めようと自戒した。
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