翠恋譚《すいれんたん》⑭
黄房の弓剣 4
◇◆◇
都の名前を見た途端、思わず苦笑をもらしてしまう。
門柱に刻まれた都の名は『香蘭』。
香姫が原因で始めた旅で、思いがけず香姫に再会し、苦い思い出が吹っ切れたその日に辿り着いた都が『香蘭』とは、出来過ぎた偶然に何度も苦笑を落としてしまう。
香蘭の都は、その名の通り、不思議なほど美麗な香り漂うどこか雅な都だった。
その都は、他の都と違っていた。香り豊かな色とりどりの湯殿が集まり、建物はどれも洗練されて美しく気品ある佇まいばかりだった。九月は特にこの都を気に入っている様子で、海京もどうやらそのようだった。女性に好まれる都だと九月は海京に説明していた。
都の門柱をくぐる前から色んな香りが漂っていたが、都に入ってさらに驚く。どこからどんなに違う香りが漂ってこようと香りが決して混じり合わない。全ての香りが見事に調和のとれた一つの香りを生み出していた。
それも納得だと都の頭代理を見て一行は大いに納得した。
香蘭の頭代理は、女性だった。
九月とさほど変わらない年頃の若く魅力的な女性だった。
裏世界の頭代理が女性であるその都は、表の世界もまた、都長と呼ばれる都の統治者が女性だった。
ここは大陸中でただ一つ、表も裏も女性が治める地だった。
大空達一行は、都に着くなり早速、頭代理に顔見せを行いに出向いたが、今回もまた、たった一言話しただけで大空は見事に頭代理に気に入られ、一際豪華な宿を用意され、またしても盛大な宴でもてなされる事になった。
大空より三つ年上という頭代理は、新しい頭を大層気に入り、宴に女はいらないのかとしつこく聞いては大空をとても困らせた。
並んで座るその様子は、年の離れた弟を甲斐甲斐しく世話する姉に戸惑う困り果てた弟さながらなものだったが、こうした集まりの中にいると大空はますます年若く見えた。とても十七の男には見えない。初めて会った頃の九月が言った通り、大空はいつ見ても十五の少年にしか見えなかった。それもかろうじて十五に見える程度。年を知らず大空を見る者達に一行の他の男達はどう見えているのかと疑問が浮かぶ。
周囲の手下達の会話を探る。大空はやはり、やっと成人したばかりの十五の少年と思われていた。周囲の唇の動きを読む限り、荻と大高は同い年の十七才。大鷹と九月は十九才。皆、大空より年上と思われていた。海京は大空と同じく十五、あるいは十六になった頃だろうと囁かれていた。実際、大空と海京は年より随分若く見えた。
その年下の男と思っている筈の大空に、香蘭の頭代理は、ずっと色気たっぷりな目で熱い視線を送り続け、明らかに男として慕っている様子だった。
「あなたの寝床に夜中に忍んでいきそうですね。今宵は、頭は特別に用意されたお部屋で一人寝ですから、遠慮なく。気に入ったら相手してさしあげなさいな」
九月が大空に耳打ちすると、大空は心底驚いた目で九月を見返し、明らかに怯えた様子を見せた。
「荻やおまえや高じゃなくて、おれの所に来るのかよ!?何て、趣味の悪い女だあ…怖ぇぞ…」
九月は一瞬沈黙し、大空の顔をまじまじ眺めた。
「………あなたの感覚、何か変じゃありませんか?ずっと思っていましたが…きっと、ちょっとヘンです。ご自分の顔、鏡で見た事ありますか?もしや…鏡見た事、ないのですか?」
いつか大高が思わず聞いてしまったたように、九月も同じ質問を発した。
大空が途端、呆れ顔で九月を見返す。
「あるに…決まってらあ!何で皆…そんなヘンな事ばっかり言いやがる!?その質問、今、大陸で流行ってんのかあ?」
「……重症…ですね……」
九月は、いとも簡単に、言っても無駄と諦めた。
宴の中盤、頭代理の女は、大空の腕にぴったり寄り添い、酒を勧めてにこにこ笑い、うっとりしたような視線を向け、敬愛する頭の横顔をひたすらに見つめ続けていた。
あまりに露骨で濃厚な頭代理の視線に負け、大空がとうとう荻に引きつった笑顔を向けた。
「荻…おまえ、許す。相手しろ」
「は!?いや!あの…」
喜ぶと思いきや、荻は珍しく顔をしかめ、慌てて周囲の様子を伺い、周りの男達を気にしながら引きつった笑顔を浮かべて告げた。
「あ、あの…か、頭ぁ…。俺はそれ、無理でしょう…?俺は、遠慮しときます。立場が違い、過ぎるので」
荻が焦りつつ丁重に断る。九月がほっと息をつく。
「元締め。もう…ご冗談が過ぎますよ。護衛が相手じゃ、さすがにちょっと…頭代理に失礼ですよー」
九月が苦笑して耳打ちする。大空はそれならと九月を見た。九月は慌てて首を振る。
「も、元締め。あの、ほら、私にはちゃんと、相手がいます。それにほら、元締め。掟があります。代理同士の恋はご法度。頭同士も同じでしょう。いらぬ揉め事を作らぬためです。お分かりの、筈でしょう?本当に…いつもご冗談が過ぎるのですから。お酒が入るといつもこうです。変な冗談で笑いを取ろうと、困ったものです」
九月が引きつり笑いで聞こえよがしに大空に伝える。
大空が固まった顔で九月を見返す。
「女に優しい男は大変だなあ~。空は女に優しいからなあ~。冷たく断ることできねえんだなあ~」
大鷹が気の毒そうに呟く。
苦し紛れの九月の言葉に代理の女は気を良くし、一層大きく笑顔を見せた。本格的にしなを作り、大空の膝に寄りかかり始めた。
大空が突然、立ち上がる。
その場が途端、静かになる──。
全ての視線を一身に浴び、大空が宙を見つめて固まる。その顔に引きつった笑顔が浮かんでいた。
「九月──っ!」
「は…はい…?」
いきなり大声で名を呼ばれ、九月は困惑の顔を見せる。
「おまえの女、連れてくぞー!こいつは今日から、おれの女だあー!」
叫ぶように大きく言い放ち、驚く海京の手を掴み、二人は扉に真っ直ぐ進み、宴会場を出て行った。
二人の姿が消えた直後、視線が一斉に九月に向かう。九月は一瞬言葉を失い、ゆっくり周囲を見回した後、仕方なく苦笑を浮かべつつ肩を落とすフリをした。
「…えぇ…そう、なんですよ。あの二人、実は、そういう関係になっています。揚燕の都を出てすぐです。頭に恋人、盗られましたよっ。誰か、お酒下さい!」
本当は禁止の酒を頼みその場を何とか取り繕った。
気の毒そうに盃を九月に渡したのは、頭代理の女だった。
「あんたも気の毒だねえ…」
酒を注ぎ注ぎつつ首を振り、優しくしんみり呟く代理。
「でもさあ…頭が相手じゃ、しょうがない。あんたの女、いい女。頭が放っとくわけないよ。でもさ、あんたの女も、まんざらじゃなさそうだったよぉ」
振られる事に慣れているのか、頭代理はあっさり大空を諦めた様子で九月に優しく同情していた。
「仕方ないですね。うちの頭は、”おふれ書”に載るような派手な人。強者過ぎるいい男。まあ…本人、全く自覚ありませんけど。ええ、本当に…。全く、自覚ないようですけれど…」
本物の呟きをもらしながら九月は愚痴酒を口に運ぶ。
「頭は戻ってきませんよ」
九月が言い、というわけで、頭抜きで宴席は、しんみりしつつ盛り上がった。
「どういう、宴だあ…!」
荻のぼやきに二人の”おおたか”は苦笑を浮かべ、酒の代わりの茶を飲んだ。
開け放たれた窓から夏の夜には珍しい涼しい風が舞い込んだ。心地良い風に漂う香り。優しい風に癒やされながら!目を閉じて茶を飲んだ。
宴会後、用意された部屋に戻る時、当然、そこに大空と海京がいない事は分かっていた。二人は今夜は、頭代理が大空の為に用意した部屋に泊まるだろう。
この都にいる間、そして、これから先もずっと、海京は大空と並ぶ事になるだろう。だが、誰も何も心配していなかった。大高でさえ二人が同じ一室で過ごすというのに何の心配も持たずにいた。むしろ、大空が一緒なら安心と思っていた。
翌朝。海京は大空に連れられ、四人が待つ都の広場へやって来た。何かの事情でばらばらになった時は、都の広場に集まることは、どの都に行く時も決めていた。二人は、特に、大空は、悪びれる様子一つ見せず、海京と楽しそうに談笑しながら現れた。
「よお。高。悪ぃなあ。こんな事になっちまってよー」
詫びつつ実に嬉しそうな笑顔。頭代理に言い寄られる心配がなくなり、心底安心している様子。笑って大空に答えた。
「おれは、いいけど…九月が少し、気の毒だなぁ」
「確かにな。頭に手下どもの面前で堂々と女取られてよお。こいつ、男として立場ねえんじゃねえか?」
さすがの荻も同情を示す。
「ま。いいよな。九月」
大空が無邪気な笑みを見せる。九月は肩を落として苦笑した。
「ええ、ええ。いいですとも。うちの頭は無茶苦茶ですけど、どうも憎めない人ですから…私は笑って許しますよ。よくある話の一つとして、私は皆に同情されておきましょう」
一行はその後、頭一行の権限を大いに生かし、無料で温泉を巡り歩いた。海京はこれから、この都はおろか次の都でも頭である大空を慕う手下からはこれまで以上に丁重に扱われる事だろう。だが、新しい頭に反発する者、そして、裏の世界とは無縁の輩から目をつけられる事のないよう、海京が温泉に浸かる間は、これまでと変わらず男達が常に護衛についた。
大空が先に湯に浸かっている間、大鷹が下世話な興味で夕べの様子を海京に尋ねた。海京の話によると、昨夜は海京が豪華な寝床で一人眠り、大空は寝床に背を預け、剣を肩にもたせ掛けて眠ったという。
「まったくもって律儀な紳士、ですねえ。そんな男、中々いませんよ」
九月が半ば呆れ声で呟いた。本当に、大空は珍しい程、女性を優しく護る男だった。
『女が傍にいる時には、何をおいても全力で護れ。おれの兄ぃ達の教えだ…』
大空は、そして、兄達に女性にはいつも優しくしろと教えられたに違いない。
散髪師の男の言葉がよぎる。
『黄房の弓剣帯びた男。わしは彼らを見送った』
戻る事なく、弦星を目指して歩き去った男達。大空の背に揺れる黄房の弓。腰に帯びた黄房の剣。
『伝えてくれ。空色の衣の、男になあ…』
その弓剣。父と兄が残したものと、大空は言っていた。
託された伝言。それを伝えた時、大空はどんな気持ちになるだろう。
『時』がきたら伝えるべき大空への伝言は、大高の胸にずっしり重いものだった。
その日から数日、一行は、しばしこの都で体を休ませることにした。
「ここでする事はただ、しばしの休息を心地よく楽しむ事だけですねえ。大空もそう思っているようです。というより…大空は少し、昨日から様子がおかしくありませんか?」
九月がこの日、最後の湯に浸かりながら心配げな声で大高に聞いてくる。
大空は確かに、昨日の昼頃から一人静かに無言で過ごす事が多くなっていた。大高を始め、皆、その様子に気づいていた。
「昨日のお昼、彩乃香という湯殿に行ってからです」
「彩乃香…。そういえば、そうだな…」
大高も思い当たる。初めてその湯殿に行った時、大空が湯殿の入口で立ち止まり、あるものを無表情に見ていた事を思い出す。
湯から上がった後、また大空の姿がどこにも見えず、大高は一人、『彩乃香』の湯殿へ向かってみた。
思った通り、湯殿の入口で大空が佇んでいるのを見て近づく。
「大空。何してるんだ?」
出来るだけ静かに声をかけた。大空は振り向く事なく無言のまま。
「大空。いつも何してる?昨日からよく一人でここへ来てるな」
無表情な横顔にもう一度声をかける。
「大空。大丈夫なのか?」
「何だよ、高。何しに来た。おれに何か用か」
無感情な声で振り向く事なく返された。相変わらず何かを見つめ、立ち尽くす大空。
見ているものを視線を辿って探してみる。湯殿の入口の花壇の中、花に埋もれるように小さな祭壇が置かれてあった。花壇に咲き誇る香り良い花。
祭壇の中で美しい女神像が微笑んでいた。優しく微笑む女神像の前に客達が供えていったのであろう銅貨や菓子などが置かれてあった。
大空はどうやら女神像の供え物を見ている様子。だが、何も特別な物は置かれていない。
「大空…」
声をかけながら近づいた瞬間、目の端に何かが見えて立ち止まる。見覚えのある色が、大空に向けかけた目を祭壇の中に戻させた。
沢山の供え物のさらに奥、女神像の後ろにひっそりと、隠されるように置かれている物が気になった。
女神像の影に隠れるように、黄色い紐が巻かれた薄い木片が置かれていた。同じ物が四つ重ねられている。大空は、それを見ていた。
「この供え物、朽ち果てるまで出来るだけ触らねえでそのままにしておくんだそうだ。だから、ずっと、そこに…。もう何年も経つのに…だから、残っていた。そうじゃなきゃ…名前にしか気づかなかったろうな…」
「名前…?」
大空が一瞬、苦笑うように顔を歪め、すぐ無表情になる。
「足跡だ…」
木片を見つめたまま呟く無表情な横顔を見る。
「皆、ここに来たんだな。これ置いて行く時、皆、どんな気持ちだったかなあ」
「大空」
「どんなに考えても分からねえんだ。分からねえよ」
呟き、大空は背中の弓に手を伸ばすと黄房を一本抜き取った。さらに腰に帯びた剣の黄房からも一本抜き、祭壇の中に手を伸ばし、中にある木片を四つとも取り出す。
木片に巻かれたそれぞれの紐が風になびく。大空の背にも揺れる弓の黄房をぼんやり眺める。
「大空。もしかして…それ、おまえの父様と兄様の……」
大空は無表情のまま、手にした四つの木片をたった今抜き取った二本の黄房で一つにまとめた。
「父様と、兄ぃ達の…たった一つの足跡だ」
一つに束ねた木片を見下ろし、大空がぽつり呟く。
「この木片は、故郷の家の柱を剥いだもの。父様達の、母様への誓いだ。本当は最後まで持ち歩くつもりだったはず。この湯殿を見つけて、この像を見て、皆思わず置いてったんだな。もう一度ここへ来て、これを必ず持って帰るつもりで…」
大空は一つにまとめた木片を懐の隠し袋に入れ、衣の上から握りしめる。
「おれは必ず、生きて帰る。これを持って母様の元に戻らなきゃならねえ。父様を、兄ぃ達を…仲間を皆、必ず故郷に連れて帰ると誓った。それが、おれの旅の目的だ」
その言葉が合図。背中の弓の黄房の揺れ。それが、その時を示す合図だった。
「大空。おまえに、伝言を預かっている」
一つ目の伝言。今が最初の言うべき『時』。
二つ目はまだ、ずっと先まで明かせない。そして、最後の伝言も──。
あの老人から、大高は大空に三つの伝言を預かっていた。
『その男、弓剣の黄房抜き取る時、旅の目的明かす時。わしのこと伝えよ。わしはお前の仲間じゃと。悪しき道外れた仲間じゃと…』
「伝言?誰からだあ?」
大空が笑うような顔を向けてきた。
いつもの大空に戻ったようで安心する。
「おれの髪を切ってくれた、あの散髪師だ」
大空がにやりと笑って女神像を見る。
「あのじいさん。やっぱりか。おかしなじいさんだと思ったぜ」
「伝えていいか?」
「ああ。言ってくれ。何だあ?」
大空がいつもの調子で笑って答える。
「あの人、こう言った⋯」
散髪師の伝言を伝える。
『わしはお前の仲間だ。悪しき道外れた仲間の一人。あらゆる土に隠れ住む、名を明かせぬ仲間の一人。正しき心そこに生かせ。都の心正して必ず、黄房と共に故郷に戻れ。明かせぬ名で潜む者達皆、一人残らず、地上の陽の下、 戻す日願う』
将軍の過酷な訓練がここでも役に立つ。
どんなに長い伝言も文書も、秘密の手記を暗記する訓練で記憶する術を身につけた。
あの厳しい訓練の日々は、まるでこのためにあったかのよう。大高は今、大空のために不思議な役割を果たしていた。
「大空。あの人は、こうも言っていた。”黄房の弓剣帯びた男…過去に四人見送った”と。空…おまえの、父様に兄様達だよな?」
「彩乃…」
女神像を見ながら大空がぽつり呟いた。
「母様の、名だ」
彩乃香の湯殿の入口。無表情に女神像を見つめる大空の横顔。涙が浮かぶのを堪えて見守る。寂しげな空色の背に揺れる黄房。
「父様はよぉ…」
大空が感情のこもらない声で呟く。
「父様は、そりゃあ優しく…どこまでも深く優しく、母様を愛してた。”愛してやまないおれの宝”と人目も憚らず言ってたぜ。……一の兄ぃ……おれが十四の時に旅に出た。そのままずっと、帰らなかった。一年後、二の兄ぃの旅立ち決まり…父様、一緒に行くと言い、二の兄ぃと旅立った。一の兄ぃは生きていると皆分かっていたからよお。他の仲間達も連れて帰ると…父様は、母様に約束して旅立った。”母様の宝”、皆連れて帰ると言ってよ…」
ほんの一瞬、大空が言葉を切り無言になる。
「おれが十五の時、三人まとめて死んじまった……」
静かな感情のこもらない声だった。
「分かるかよ、高?母様の気持ち、想像つくか?おれには全く分からねえ。おれなんかに、分かるわけねえ。子を亡くし、最愛の夫を亡くし、宝を一度に三つも失くして…。それでも母様、言ってたぜ。里のおばばも長も皆、自分達の子、喪う度、夫や孫、甥や恋人…大切な者を喪う度、皆笑って言いやがった…」
大空が歯を食いしばる。
「”皆、英雄。栄誉の旅で、散った”とよ。おれが十六の年になった時、最後の兄ぃが旅立った。兄ぃは旅立って半年後──」
無表情だった大空が、ここで初めて悔しそうに拳を握った。
「三の兄ぃは、英雄になったっ…。数え切れねえ数の、英雄の一人に。栄誉の旅での英雄に」
悲しみよりも怒りが勝る目で微笑む女神像を見下ろしている。
「この黄房の弓は、父様の…腰の剣は、一の兄ぃの形見の剣。母様から受け取った。皆死んで魂になり、形見の弓剣渡しに来た。母様の、枕元に。おれは、母様の最後の砦。村の皆の最後の砦になってやる。もう誰も、おれは誰も死なせたくねえ。もう二度と誰も…この旅で、誰も死なせたくねえんだ。皆を里に、連れて帰ってやりてえんだ…」
「大空…」
「でも、おれも、なるかもしれねえ。栄誉の旅で死んだ、英雄ってやつによー。いや、おれは無理か。母様怒るだろうなあ。長はきっとおれを、一生許さねえと言うだろうな」
涙一つ浮かべる事なく淡々と続ける大空に何も言葉をかけられない。
「もしもおれも死んじまったら、おれは村のもんにどんな言葉で罵られるかな。何と言って叱られるかな」
大空が笑うように呟く。
「そんな事、されるわけないじゃないか。叱られるわけ、ないだろうっ!」
怒りをこめて返していた。大空が小さく笑う。
「いや。叱られるな。すんげえ罵られ、あんまり怒って、おれの名、村から消されるかもな。もう気づいているだろうがよお、高。おれの村は理由あって、男らは皆、ある時期が来たら弦星目指して旅立つ。目指す場所が、幻の国弦星と同じ方角にあるからだ。欲を叶える為じゃねえ。腕試しの旅でもねえ。だが、誰もが旅立つわけじゃねえ。選ばれた者が数人だけ、目立たねえよう旅立ってく。皆、二十歳になったらな……」
「大空。おまえ、じゃあ…」
大空は二十歳の男ではない。
「おれの旅立ち、村の者は誰も知らねえ。おれは一人で勝手にここへ来た。村にも母様にも内緒でな。高、おれは大馬鹿者の男だぞ。それでもおまえ…おれと弦星、目指してくれるか?あるかどうかも分からねえ幻の都。それでもおまえ、弦星行くか?大陸最強とされる二つの銅章、偶然、手に入れはしたけどよ…。だからって、これで安全てわけじゃねえ。時と場合によっちゃ、返って危険を招くかもしれねえ」
大空の声が少しづつ決意を込めて強くなる。
「それでも皆、来てくれるかよ?おれと一緒に。皆一緒に、弦星目指して行ってくれるか?互いの目的叶える為、おれ達協力しなきゃ帰れねえ。一人じゃ生きて帰れねえ。一人じゃ無理だ。これから先も、おまえら、まだおれと一緒に旅を続けてくれるかよ?おれの為だけに行くんじゃねえ。皆の目的果たす為、皆で力合わせ、おれを仲間として弦星目指してくれるかよ、皆…?」
大空が真剣な目で大高を振り返る。笑ってその目を見る。
「行くよ。大空。おれはどこまでも一緒に行く。おまえの為、海京の為。荻のじいさんとの約束の為に。そして、自分の為にも、おれはおまえと一緒に行く。皆一緒に」
迷いもなく答え、背後を振り向く。
「皆も、そうだろう?」
海京の姿を笑って見つめた。様子を見に来たのだろう。帰りの遅い大空を心配し、荻がまた真っ先に宿を飛び出したに違いない。九月も海京も大鷹も。ここ数日の大空の様子を心配し、皆ここに来たのだろう。
海京が大高に向かって微笑み、大空に近づく。優しくその手を取って微笑む。
「私とあなたは同志。私も一人では、とても無理。空がいないと、とても無理。一人でも欠けたら、きっと、無理」
大空は海京と目を合わせ、意味深な顔で笑い合う。
「私ももちろん、行きますよ。当然です。私はあなたの大陸一の右腕です。それに、前にも言いましたが、元締めに死なれちゃ困ります」
九月が笑うと大鷹も笑って頷く。
「オレだって行くぜえ〜。もちろんだあ〜。オレはおまえに心底惚れてる。こんな胸のすく男、滅多といねえ〜。ついてきゃとことん楽しめそうだあ。オレはおまえの力になりてえ。オレぁ、空~、おまえが好きだあ〜!とことん好きだぜえ〜〜」
大空が途端、引きつった笑顔で大鷹を見る。
「おれはなー、男なんか、好きじゃねえ!気色悪ぃ事でけえ声で言うな!」
大空の声を大鷹は涙ぐんだ笑いで見下ろす。
「へへ〜。でもオレは、おまえ好きだぁ〜」
「ま。俺はお前らに護ってもらう契約だ。俺を無事に、連れ帰ってくれ。まあ、俺もたまには協力してやる。お前ら助けてやるよ。大馬鹿もんで手に負えねえ、そばかすの小男の”おふれ書”さんよお」
「うっせえ!そばかすの小男も”おふれ書”もいらねえっ」
荻はやはり、心配している事など露程も見せず、嫌味たっぷりに悪態つく。
「決まりだなあ〜!この先も〜皆一緒だあ~」
大鷹が大きく告げると、大空が衣の上から胸の辺りを握って笑う。大空の懐の隠し袋。今はどれほどの思いが込められているのか。
目頭が熱くなり、瞬きして誤魔化す。見ると九月も海京も同じ目で大空を見ている。
大きく派手に鼻をすする音がした。大鷹が太い腕で豪快に涙を拭っていた。
「ちきしょ〜!空~!空〜〜〜っ!!」
「何なんだよ、おまえ。何泣いてるよ。ヘンな奴だあ」
大空が困ったように声をかける。
「だって…だってよ~っ!う…うぇ…うお〜ぅ…」
大鷹はとうとう堪こらえきれず、吼えるように泣き始めた。
「おぉいっ…。でけえ男が、大声で泣くなー。みっともねえー…」
海京がくすくす笑って優しく大鷹の背中を撫でる。
大空は引きつった顔で、とりあえず大きな背中を軽く叩いて慰める。
決意と志を新たに、一行は翌日、美しい香りの都を発つ事を決めた。
早朝、別れを惜しむ代理達を後に、一瞬の時の切なさの残る香蘭の都を後にした。
去る時、香蘭の頭代理は大空を見上げ、何とも切なそうに別れの言葉を告げていた。その時、大空の手に何かを渡し、そのまま強く握りしめ、代理はとうとう泣き出した。
やがて、派手に泣きながら大空の胸にすがりついた。
「頭あー!ちゃんと無事戻って下さいよーっ!頭あーっ!」
「うわ…おい、何だ何だあ」
胸に代理をすがりつかせ、大空はひたすら困り果て、腕を広げて泣く姿を見下ろすのみ。女代理はこれ幸いと図太く欲を出し、さらに背中に腕を回して抱きついた。
「お、おおーい!」
「頭あー。かの都には何の為に伺うのです~?」
女代理が泣きながら顔を上げる。その目にしっかり色気を含ませ大空を見上げる。背中に回した手は離さず、より一層、力込めるのを衣の皺が教えてくれた。
「あそこは、銅章があっても、いつ何時、何が起こるか分からぬ地。未開の野蛮な未知の地です!しかも頭は、”おふれ書”の男。寝首かかれぬよう道中くれぐれも気をつけて下さい!死んじゃ嫌です!頭は危ない目にあうの嫌!いいですか!盗賊街道では女に注意!色事で隙なんか作っちゃ駄目ですっ。危ないですから絶対駄目!女なんかにうつつ抜かしちゃ駄目ですよ。連れの女で我慢して、他の女なんか構っちゃ駄目!どこもかしこも要注意!私がこんなに気にいった頭、これまで一人だっていやしません!死んじゃ嫌ー!嫌ーん!頭ぁ!何なら私、探します!この大陸の大元締め!探しますから!!頭ぁ、きっと生きて帰って首とって、銅章奪っちゃって下さいな!頭がこの大陸の総元締めになってー!」
「ちょっと…気をつけないと!…危ないですよ。謀反起こす気だと密告されたらどうするんです。探さなくても総元締めは…あぁ…いえ……」
大胆な発言の頭代理を九月は急いで注意するも、慌てて口を閉ざし一歩引く。
大空の為に探し出したい謎の総元締めを目の前にしながら、香蘭の頭代理は、泣く泣く渋々、手を離し、上目使いで恥ずかしそうに大空を見上げ、胸にそっと手を置いた。
「私、頭が大陸の総元締めになったら、今よりもっと何でも、言う事聞きますから。どこへだっていつだって、夜中でも昼でも早朝でも、身をきれいにして駆けつけます!いつでも寝間にお呼び下さい。ね、頭」
「え…?い、やぁ…よぉ…」
大空は引きつった顔で絶句する。固まった顔でとうとう九月を振り返る。九月は苦笑し、仕方なく別れの挨拶を引き受けた。
「では、私達はそろそろこれで。先を急ぎますのでね。香蘭の頭代理。それでは、戻ったらまた、宴の用意をお願いします。あぁ、頭は、酒樽三つじゃ足りませんから、その辺よろしくね、代理。その時、頭にもう一度今のように言ってごらんなさい。もしかしたら、夜、あなたを床に呼んでくれるかもしれませんよ。女は、簡単に諦めたりしないものです!」
大空が九月に焦りの目を向け無言で必死に抗議するも、頭代理は心底嬉しそうににっこり笑い、大空に向かって色気を込めた視線を投げた。
「はいっ!頭ぁ!私、待ってます!」
「い、や…。あの…よぉ…」
「頭!私、待ってますから!頭に女が何人いようと、私は平気!いつか、そのうちの一人にして下さい!約束ですよっ」
「い、いや…」
「頭!頭の酒樽は四つにして、お帰りずうっと待ってます!あ、他の皆さんにも酒樽一つづつ用意します。皆さんもお帰り待ってまーす!お気をつけて、行ってらっしゃいませ。死んじゃ嫌ですからねえ~っ。頭ーぁ!」
大空はもはや言葉もなく、無言で代理に背を向けた。
「頭ー!気をつけて行ってらっしゃいませー!」
背後で見送る女代理の切ない声が遠ざかる。荻が途端、乾いた笑いを落としていた。
「ふっ…。酒樽が…九個も…お前の帰りを待ってるってよー。良かったなあ、頭あ。もれなく代理もついてくるぜ。俺はきっと…酒樽一つも、呑めねえよ!誰も呑めるか!殺す気か。一人に一つもいらねえよ!お前気に入る奴、皆、とことんヘンな奴ばっかりだ!」
「うるっせえ!おれのせいじゃねえっ。代理は荻ぃ、おまえに任せる。好きにしろ。死ぬ程女が好きだろが!」
「いや、だからよお…護衛は相手できねえって…お前いい加減、裏の世界の掟覚えろ!! 頭自ら掟を破るな!」
「ええ、ええ。まったくですねえ」
荻の抗議に賛同しながら九月がぼやいて頷いた。
「へっ。ま、何はさておき。いよいよ蘭秋最後の都だ」
二人の抗議をあっさり無視し、大空が楽しそうに顔を上げた。
意外にもすぐ目の前に、次の都の門が見えた―――。
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