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翠恋譚《すいれんたん》⑭

黄房きふさ弓剣きゅうけん 4

 ◇◆◇

 みやこの名前を見た途端、思わず苦笑をもらしてしまう。
 門柱に刻まれたみやこの名は『香蘭こうらん』。
 香姫こうひめが原因で始めた旅で、思いがけず香姫こうひめに再会し、苦い思い出が吹っ切れたその日に辿り着いた都が『香蘭こうらん』とは、出来過ぎた偶然に何度も苦笑を落としてしまう。
 香蘭こうらんみやこは、その名の通り、不思議なほど美麗な香り漂うどこかみやびみやこだった。
 そのみやこは、他のみやこと違っていた。香り豊かな色とりどりの湯殿ゆどのが集まり、建物はどれも洗練されて美しく気品ある佇まいばかりだった。九月くげつは特にこのみやこを気に入っている様子で、海京かいきょうもどうやらそのようだった。女性に好まれるみやこだと九月くげつ海京かいきょうに説明していた。
 都の門柱をくぐる前から色んな香りが漂っていたが、都に入ってさらに驚く。どこからどんなに違う香りが漂ってこようと香りが決して混じり合わない。全ての香りが見事に調和のとれた一つの香りを生み出していた。
 それも納得だとみやこ頭代理かしらだいりを見て一行いっこうは大いに納得した。
 香蘭こうらん頭代理かしらだいりは、女性だった。
 九月くげつとさほど変わらない年頃の若く魅力的な女性だった。
 裏世界の頭代理かしらだいりが女性であるその都は、表の世界もまた、都長とちょうと呼ばれる都の統治者が女性だった。
 ここは大陸中でただ一つ、表も裏も女性が治める地だった。
 大空たいくう一行いっこうは、みやこに着くなり早速、頭代理かしらだいりに顔見せを行いに出向いたが、今回もまた、たった一言話しただけで大空たいくうは見事に頭代理かしらだいりに気に入られ、一際豪華な宿を用意され、またしても盛大な宴でもてなされる事になった。
 大空たいくうより三つ年上という頭代理かしらだいりは、新しいかしらを大層気に入り、宴に女はいらないのかとしつこく聞いては大空たいくうをとても困らせた。
 並んで座るその様子は、年の離れた弟を甲斐甲斐しく世話する姉に戸惑う困り果てた弟さながらなものだったが、こうした集まりの中にいると大空たいくうはますます年若く見えた。とても十七じゅうななの男には見えない。初めて会った頃の九月くげつが言った通り、大空たいくうはいつ見ても十五の少年にしか見えなかった。それもかろうじて十五に見える程度。年を知らず大空たいくうを見る者達に一行いっこうの他の男達はどう見えているのかと疑問が浮かぶ。
 周囲の手下達の会話を探る。大空たいくうはやはり、やっと成人したばかりの十五の少年と思われていた。周囲の唇の動きを読む限り、おぎ大高おおたかは同い年の十七才。大鷹おおたか九月くげつは十九才。みな大空たいくうより年上と思われていた。海京かいきょう大空たいくうと同じく十五、あるいは十六になった頃だろうと囁かれていた。実際、大空たいくう海京かいきょうは年より随分若く見えた。
 その年下の男と思っている筈の大空たいくうに、香蘭こうらんかしら代理だいりは、ずっと色気たっぷりな目で熱い視線を送り続け、明らかに男として慕っている様子だった。
 「あなたの寝床に夜中に忍んでいきそうですね。今宵は、かしらは特別に用意されたお部屋で一人寝ですから、遠慮なく。気に入ったら相手してさしあげなさいな」
 九月くげつ大空たいくうに耳打ちすると、大空たいくうは心底驚いた目で九月くげつを見返し、明らかに怯えた様子を見せた。
 「おぎやおまえやこうじゃなくて、おれの所に来るのかよ!?何て、趣味の悪い女だあ…こえぇぞ…」
 九月くげつは一瞬沈黙し、大空たいくうの顔をまじまじ眺めた。
「………あなたの感覚、何か変じゃありませんか?ずっと思っていましたが…きっと、ちょっとヘンです。ご自分の顔、鏡で見た事ありますか?もしや…鏡見た事、ないのですか?」
 いつか大高おおたかが思わず聞いてしまったたように、九月くげつも同じ質問を発した。
 大空たいくうが途端、呆れ顔で九月くげつを見返す。
 「あるに…決まってらあ!何でみんな…そんなヘンな事ばっかり言いやがる!?その質問、今、大陸で流行ってんのかあ?」
 「……重症…ですね……」
 九月くげつは、いとも簡単に、言っても無駄と諦めた。
 宴の中盤、頭代理かしらだいりの女は、大空たいくうの腕にぴったり寄り添い、酒を勧めてにこにこ笑い、うっとりしたような視線を向け、敬愛するかしらの横顔をひたすらに見つめ続けていた。
 あまりに露骨で濃厚な頭代理かしらだいりの視線に負け、大空たいくうがとうとうおぎに引きつった笑顔を向けた。
 「おぎ…おまえ、許す。相手しろ」
 「は!?いや!あの…」
 喜ぶと思いきや、おぎは珍しく顔をしかめ、慌てて周囲の様子を伺い、周りの男達を気にしながら引きつった笑顔を浮かべて告げた。
 「あ、あの…か、かしらぁ…。俺はそれ、無理でしょう…?俺は、遠慮しときます。立場が違い、過ぎるので」
 おぎが焦りつつ丁重に断る。九月くげつがほっと息をつく。
 「元締もとじめ。もう…ご冗談が過ぎますよ。護衛が相手じゃ、さすがにちょっと…頭代理かしらだいりに失礼ですよー」
 九月くげつが苦笑して耳打ちする。大空たいくうはそれならと九月くげつを見た。九月くげつは慌てて首を振る。
 「も、元締もとじめ。あの、ほら、私にはちゃんと、相手がいます。それにほら、元締もとじめ。掟があります。代理だいり同士の恋はご法度はっとかしら同士も同じでしょう。いらぬ揉め事を作らぬためです。お分かりの、筈でしょう?本当に…いつもご冗談が過ぎるのですから。お酒が入るといつもこうです。変な冗談で笑いを取ろうと、困ったものです」
 九月くげつが引きつり笑いで聞こえよがしに大空たいくうに伝える。
 大空たいくうが固まった顔で九月くげつを見返す。
 「女に優しい男は大変だなあ~。くうは女に優しいからなあ~。冷たく断ることできねえんだなあ~」
 大鷹おおたかが気の毒そうに呟く。
 苦し紛れの九月くげつの言葉に代理だいりの女は気を良くし、一層大きく笑顔を見せた。本格的にしなを作り、大空たいくうの膝に寄りかかり始めた。
 大空たいくうが突然、立ち上がる。
 その場が途端、静かになる──。
 全ての視線を一身に浴び、大空たいくうが宙を見つめて固まる。その顔に引きつった笑顔が浮かんでいた。
 「九月くげつ──っ!」
 「は…はい…?」
 いきなり大声で名を呼ばれ、九月くげつは困惑の顔を見せる。
 「おまえの女、連れてくぞー!こいつは今日から、おれの女だあー!」
 叫ぶように大きく言い放ち、驚く海京かいきょうの手を掴み、二人は扉に真っ直ぐ進み、宴会場を出て行った。
 二人の姿が消えた直後、視線が一斉に九月くげつに向かう。九月くげつは一瞬言葉を失い、ゆっくり周囲を見回したのち、仕方なく苦笑を浮かべつつ肩を落とすフリをした。
 「…えぇ…そう、なんですよ。あの二人、実は、そういう関係になっています。揚燕ようえんみやこを出てすぐです。かしらに恋人、られましたよっ。誰か、お酒下さい!」
 本当は禁止の酒を頼みその場を何とか取り繕った。
 気の毒そうに盃を九月くげつに渡したのは、頭代理かしらだいりの女だった。
 「あんたも気の毒だねえ…」
 酒を注ぎ注ぎつつ首を振り、優しくしんみり呟く代理だいり
 「でもさあ…かしらが相手じゃ、しょうがない。あんたの女、いい女。かしらが放っとくわけないよ。でもさ、あんたの女も、まんざらじゃなさそうだったよぉ」
 振られる事に慣れているのか、頭代理かしらだいりはあっさり大空たいくうを諦めた様子で九月くげつに優しく同情していた。
 「仕方ないですね。うちのかしらは、”おふれしょ”に載るような派手な人。強者つわもの過ぎるいい男。まあ…本人、全く自覚ありませんけど。ええ、本当に…。全く、自覚ないようですけれど…」
 本物の呟きをもらしながら九月くげつは愚痴酒を口に運ぶ。
 「かしらは戻ってきませんよ」
 九月くげつが言い、というわけで、かしら抜きで宴席は、しんみりしつつ盛り上がった。
 「どういう、宴だあ…!」
 おぎのぼやきに二人の”おおたか”は苦笑を浮かべ、酒の代わりの茶を飲んだ。
 開け放たれた窓から夏の夜には珍しい涼しい風が舞い込んだ。心地良い風に漂う香り。優しい風に癒やされながら!目を閉じて茶を飲んだ。
 宴会後、用意された部屋に戻る時、当然、そこに大空たいくう海京かいきょうがいない事は分かっていた。二人は今夜は、頭代理かしらだいり大空たいくうの為に用意した部屋に泊まるだろう。
 このみやこにいる間、そして、これから先もずっと、海京かいきょう大空たいくうと並ぶ事になるだろう。だが、誰も何も心配していなかった。大高おおたかでさえ二人が同じ一室で過ごすというのに何の心配も持たずにいた。むしろ、大空たいくうが一緒なら安心と思っていた。
 翌朝。海京かいきょう大空たいくうに連れられ、四人が待つみやこの広場へやって来た。何かの事情でばらばらにな‍っ‍た時は、みやこの広場に集まることは、どのみやこに行く時も決めていた。二人は、特に、大空たいくうは、悪びれる様子一つ見せず、海京かいきょうと楽しそうに談笑しながら現れた。
 「よお。こうわりぃなあ。こんな事になっちまってよー」
 詫びつつ実に嬉しそうな笑顔。頭代理かしらだいりに言い寄られる心配がなくなり、心底安心している様子。笑って大空たいくうに答えた。
 「おれは、いいけど…九月くげつが少し、気の毒だなぁ」
 「確かにな。かしらに手下どもの面前で堂々と女取られてよお。こいつ、男として立場ねえんじゃねえか?」
 さすがのおぎも同情を示す。
 「ま。いいよな。九月くげつ
 大空たいくうが無邪気な笑みを見せる。九月くげつは肩を落として苦笑した。
 「ええ、ええ。いいですとも。うちのかしらは無茶苦茶ですけど、どうも憎めない人ですから…私は笑って許しますよ。よくある話の一つとして、私はみんなに同情されておきましょう」
 一行いっこうはそのかしら一行いっこうの権限を大いに生かし、無料で温泉を巡り歩いた。海京かいきょうはこれから、このみやこはおろか次のみやこでもかしらである大空たいくうを慕う手下からはこれまで以上に丁重に扱われる事だろう。だが、新しいかしらに反発する者、そして、裏の世界とは無縁の輩から目をつけられる事のないよう、海京かいきょうが温泉に浸かる間は、これまでと変わらず男達が常に護衛についた。
 大空たいくうが先に湯に浸かっている間、大鷹おおたかが下世話な興味で夕べの様子を海京かいきょうに尋ねた。海京かいきょうの話によると、昨夜は海京かいきょうが豪華な寝床で一人眠り、大空たいくうは寝床に背を預け、剣を肩にもたせ掛けて眠ったという。
 「まったくもって律儀な紳士、ですねえ。そんな男、中々いませんよ」
 九月くげつが半ば呆れ声で呟いた。本当に、大空たいくうは珍しい程、女性を優しく護る男だった。
 『女が傍にいる時には、何をおいても全力で護れ。おれのあにぃ達の教えだ…』
 大空たいくうは、そして、兄達に女性にはいつも優しくしろと教えられたに違いない。
 散髪師の男の言葉がよぎる。
 『黄房きふさ弓剣きゅうけん帯びた男。わしは彼らを見送った』
 戻る事なく、弦星げんせいを目指して歩き去った男達。大空たいくうの背に揺れる黄房きふさの弓。腰に帯びた黄房きふさの剣。
 『伝えてくれ。空色の衣の、男になあ…』
 その弓剣きゅうけん。父と兄が残したものと、大空たいくうは言っていた。
 託された伝言。それを伝えた時、大空たいくうはどんな気持ちになるだろう。
 『時』がきたら伝えるべき大空たいくうへの伝言は、大高おおたかの胸にずっしり重いものだった。
 その日から数日、一行いっこうは、しばしこの都で体を休ませることにした。
 「ここでする事はただ、しばしの休息を心地よく楽しむ事だけですねえ。大空たいくうもそう思っているようです。というより…大空たいくうは少し、昨日から様子がおかしくありませんか?」
 九月くげつがこの日、最後の湯に浸かりながら心配げな声で大高おおたかに聞いてくる。
 大空たいくうは確かに、昨日の昼頃から一人静かに無言で過ごす事が多くなっていた。大高おおたかを始め、みな、その様子に気づいていた。
 「昨日のお昼、彩乃香さいのこうという湯殿ゆどのに行ってからです」
 「彩乃香さいのこう…。そういえば、そうだな…」
  大高おおたかも思い当たる。初めてその湯殿ゆどのに行った時、大空たいくう湯殿ゆどのの入口で立ち止まり、あるものを無表情に見ていた事を思い出す。
 湯から上がったのち、また大空たいくうの姿がどこにも見えず、大高おおたかは一人、『彩乃香さいのこう』の湯殿ゆどのへ向かってみた。
 思った通り、湯殿ゆどのの入口で大空たいくうが佇んでいるのを見て近づく。
 「大空たいくう。何してるんだ?」
 出来るだけ静かに声をかけた。大空たいくうは振り向く事なく無言のまま。
 「大空たいくう。いつも何してる?昨日からよく一人でここへ来てるな」
 無表情な横顔にもう一度声をかける。
 「大空たいくう。大丈夫なのか?」
 「何だよ、こう。何しに来た。おれに何か用か」
 無感情な声で振り向く事なく返された。相変わらず何かを見つめ、立ち尽くす大空たいくう
 見ているものを視線を辿って探してみる。湯殿ゆどのの入口の花壇の中、花に埋もれるように小さな祭壇が置かれてあった。花壇に咲き誇る香り良い花。
 祭壇の中で美しい女神像が微笑んでいた。優しく微笑む女神像の前に客達が供えていったのであろう銅貨や菓子などが置かれてあった。
 大空たいくうはどうやら女神像の供え物を見ている様子。だが、何も特別な物は置かれていない。
 「大空たいくう…」
 声をかけながら近づいた瞬間、目の端に何かが見えて立ち止まる。見覚えのある色が、大空たいくうに向けかけた目を祭壇の中に戻させた。
 沢山の供え物のさらに奥、女神像の後ろにひっそりと、隠されるように置かれている物が気になった。
 女神像の影に隠れるように、黄色い紐が巻かれた薄い木片もくへんが置かれていた。同じ物が四つ重ねられている。大空たいくうは、それを見ていた。
 「この供え物、朽ち果てるまで出来るだけさわらねえでそのままにしておくんだそうだ。だから、ずっと、そこに…。もう何年も経つのに…だから、残っていた。そうじゃなきゃ…名前にしか気づかなかったろうな…」
 「名前…?」
 大空たいくうが一瞬、苦笑うように顔を歪め、すぐ無表情になる。
 「足跡だ…」
 木片もくへんを見つめたまま呟く無表情な横顔を見る。
 「みんな、ここに来たんだな。これ置いて行く時、みんな、どんな気持ちだったかなあ」
 「大空たいくう
 「どんなに考えても分からねえんだ。分からねえよ」
 呟き、大空たいくうは背中の弓に手を伸ばすと黄房きふさを一本抜き取った。さらに腰に帯びた剣の黄房きふさからも一‍本抜き、祭壇の中に手を伸ばし、中にある木片もくへんを四つとも取り出す。
 木片もくへんに巻かれたそれぞれの紐が風になびく。大空たいくうの背にも揺れる弓の黄房きふさをぼんやり眺める。
 「大空たいくう。もしかして…それ、おまえの父様ちちさま兄様あにさまの……」
 大空たいくうは無表情のまま、手にした四つの木片もくへんをたった今抜き取った二本の黄房きふさで一つにまとめた。
 「父様ちちさまと、あにぃ達の…たった一つの足跡だ」
 一つに束ねた木片もくへんを見下ろし、大空たいくうがぽつり呟く。
 「この木片もくへんは、故郷の家の柱を剥いだもの。父様ちちさま達の、母様ははさまへの誓いだ。本当は最後まで持ち歩くつもりだったはず。この湯殿ゆどのを見つけて、この像を見て、みんな思わず置いてったんだな。もう一度ここへ来て、これを必ず持って帰るつもりで…」
 大空たいくうは一つにまとめた木片もくへんを懐の隠し袋に入れ、衣の上から握りしめる。
 「おれは必ず、生きて帰る。これを持って母様ははさまの元に戻らなきゃならねえ。父様ちちさまを、あにぃ達を…仲間をみんな、必ず故郷に連れて帰ると誓った。それが、おれの旅の目的だ」
 その言葉が合図。背中の弓の黄房きふさの揺れ。それが、その時を示す合図だった。
 「大空たいくう。おまえに、伝言を預かっている」
 一つ目の伝言。今が最初の言うべき『時』。
 二つ目はまだ、ずっと先まで明かせない。そして、最後の伝言も──。
 あの老人から、大高おおたか大空たいくうに三つの伝言を預かっていた。

 『その男、弓剣きゅうけん黄房きふさ抜き取る時、旅の目的かす時。わしのこと伝えよ。わしはお前の仲間じゃと。しき道外れた仲間じゃと…』

 「伝言?誰からだあ?」
 大空たいくうが笑うような顔を向けてきた。
 いつもの大空たいくうに戻ったようで安心する。
 「おれの髪を切ってくれた、あの散髪師だ」
 大空たいくうがにやりと笑って女神像を見る。
 「あのじいさん。やっぱりか。おかしなじいさんだと思ったぜ」
 「伝えていいか?」
 「ああ。言ってくれ。何だあ?」
 大空たいくうがいつもの調子で笑って答える。
 「あの人、こう言った⋯」
 散髪師の伝言を伝える。

 『わしはお前の仲間だ。しき道外れた仲間の一人。あらゆるつちに隠れむ、名を明かせぬ仲間の一人。正しき心そこに生かせ。みやここころ正して必ず、黄房きふさと共に故郷に戻れ。明かせぬ名でひそむ者達みな、一人残らず、地上のもと、 戻す日願う』

 将軍の過酷な訓練がここでも役に立つ。
 どんなに長い伝言も文書も、秘密の手記を暗記する訓練で記憶するすべを身につけた。
 あの厳しい訓練の日々は、まるでこのためにあったかのよう。大高おおたかは今、大空たいくうのために不思議な役割を果たしていた。
 「大空たいくう。あの人は、こうも言っていた。”黄房きふさ弓剣きゅうけん帯びた男…過去に四人見送った”と。くう…おまえの、父様ちちさま兄様あにさま達だよな?」
 「彩乃さいの…」
 女神像を見ながら大空たいくうがぽつり呟いた。
 「母様ははさまの、名だ」
 彩乃香さいのこう湯殿ゆどのの入口。無表情に女神像を見つめる大空たいくうの横顔。涙が浮かぶのをこらえて見守る。寂しげな空色の背に揺れる黄房きふさ
 「父様ちちさまはよぉ…」
 大空たいくうが感情のこもらない声で呟く。
 「父様ちちさまは、そりゃあ優しく…どこまでも深く優しく、母様ははさまを愛してた。”愛してやまないおれの宝”と人目もはばからず言ってたぜ。……いちあにぃ……おれが十四じゅうしの時に旅に出た。そのままずっと、帰らなかった。一年後、あにぃの旅立ち決まり…父様ちちさま、一緒に行くと言い、あにぃと旅立った。いちあにぃは生きているとみんな分かっていたからよお。他の仲間達も連れて帰ると…父様ちちさまは、母様ははさまに約束して旅立った。”母様ははさまの宝”、みんな連れて帰ると言ってよ…」
 ほんの一瞬、大空たいくうが言葉を切り無言になる。
 「おれが十五の時、三人まとめて死んじまった……」
 静かな感情のこもらない声だった。
 「分かるかよ、こう母様ははさまの気持ち、想像つくか?おれには全く分からねえ。おれなんかに、分かるわけねえ。子を亡くし、最愛の夫を亡くし、宝を一度に三つも失くして…。それでも母様ははさま、言ってたぜ。里のおばばもおさみんな、自分達の子、喪う度、夫や孫、甥や恋人…大切な者を喪う度、みんな笑って言いやがった…」
 大空たいくうが歯を食いしばる。
 「”みんな、英雄。栄誉の旅で、散った”とよ。おれが十六の年になった時、最後のあにぃが旅立った。あにぃは旅立って半年後──」
 無表情だった大空たいくうが、ここで初めて悔しそうに拳を握った。
 「さんあにぃは、英雄になったっ…。数え切れねえ数の、英雄の一人に。栄誉の旅での英雄に‍」
 悲しみよりも怒りが勝る目で微笑む女神像を見下ろしている。
 「この黄房きふさの弓は、父様ちちさまの…腰の剣は、いちあにぃの形見かたみの剣。母様ははさまから受け取った。みんな死んで魂になり、形見かたみ弓剣きゅうけん渡しに来た。母様ははさまの、枕元に。おれは、母様ははさまの最後の砦。村のみんなの最後の砦になってやる。もう誰も、おれは誰も死なせたくねえ。もう二度と誰も…この旅で、誰も死なせたくねえんだ。みんなを里に、連れて帰ってやりてえんだ…」
 「大空たいくう…」
 「でも、おれも、なるかもしれねえ。栄誉の旅で死んだ、英雄ってやつによー。いや、おれは無理か。母様ははさま怒るだろうなあ。おさはきっとおれを、一生許さねえと言うだろうな」
 涙一つ浮かべる事なく淡々と続ける大空たいくうに何も言葉をかけられない。
 「もしもおれも死んじまったら、おれは村のもんにどんな言葉でののしられるかな。何と言って叱られるかな」
 大空たいくうが笑うように呟く。
 「そんな事、されるわけないじゃないか。叱られるわけ、ないだろうっ!」
 怒りをこめて返していた。大空たいくうが小さく笑う。
 「いや。叱られるな。すんげえ罵られ、あんまり怒って、おれの名、村から消されるかもな。もう気づいているだろうがよお、こう。おれの村は理由わけあって、男らはみな、ある時期が来たら弦星げんせい目指して旅立つ。目指す場所が、幻の国弦星げんせいと同じ方角にあるからだ。欲を叶える為じゃねえ。腕試しの旅でもねえ。だが、誰もが旅立つわけじゃねえ。選ばれた者が数人だけ、目立たねえよう旅立ってく。みんな二十歳はたちになったらな……」
 「大空たいくう。おまえ、じゃあ…」
 大空たいくう二十歳はたちの男ではない。
 「おれの旅立ち、村のもんは誰も知らねえ。おれは一人で勝手にここへ来た。村にも母様ははさまにも内緒でな。こう、おれは大馬鹿者の男だぞ。それでもおまえ…おれと弦星げんせい、目指してくれるか?あるかどうかも分からねえ幻のみやこ。それでもおまえ、弦星げんせい行くか?大陸最強とされる二つの銅章、偶然、手に入れはしたけどよ…。だからって、これで安全てわけじゃねえ。時と場合によっちゃ、返‍っ‍て危険を招くかもしれねえ」
 大空たいくうの声が少しづつ決意を込めて強くなる。
 「それでもみんな、来てくれるかよ?おれと一緒に。みんな一緒に、弦星げんせい目指して行ってくれるか?互いの目的叶える為、おれ達協力しなきゃ帰れねえ。一人じゃ生きて帰れねえ。一人じゃ無理だ。これから先も、おまえら、まだおれと一緒に旅を続けてくれるかよ?おれの為だけに行くんじゃねえ。みんなの目的果たす為、みんなで力合わせ、おれを仲間として弦星げんせい目指してくれるかよ、みんな…?」
 大空たいくうが真剣な目で大高おおたかを振り返る。笑ってその目を見る。
 「行くよ。大空たいくう。おれはどこまでも一緒に行く。おまえの為、海京かいきょうの為。おぎのじいさんとの約束の為に。そして、自分の為にも、おれはおまえと一緒に行く。みんな一緒に」
 迷いもなく答え、背後を振り向く。
 「みんなも、そうだろう?」
 海京かいきょうの姿を笑って見つめた。様子を見に来たのだろう。帰りの遅い大空たいくうを心配し、おぎがまた真っ先に宿やどを飛び出したに違いない。九月くげつ海京かいきょう大鷹おおたかも。ここ数日の大空たいくうの様子を心配し、みんなここに来たのだろう。
 海京かいきょう大高おおたかに向かって微笑み、大空たいくうに近づく。優しくその手を取って微笑む。
 「私とあなたは同志。私も一人では、とても無理。くうがいないと、とても無理。一人でも欠けたら、きっと、無理」
 大空たいくう海京かいきょうと目を合わせ、意味深な顔で笑い合う。
 「私ももちろん、行きますよ。当然です。私はあなたの大陸一の右腕です。それに、前にも言いましたが、元締もとじめに死なれちゃ困ります」
 九月くげつが笑うと大鷹おおたかも笑って頷く。
 「オレだって行くぜえ〜。もちろんだあ〜。オレはおまえに心底惚れてる。こんな胸のすく男、滅多といねえ〜。ついてきゃとことん楽しめそうだあ。オレはおまえの力になりてえ。オレぁ、くう~、おまえが好きだあ〜!とことん好きだぜえ〜〜」
 大空たいくうが途端、引きつった笑顔で大鷹おおたかを見る。
 「おれはなー、男なんか、好きじゃねえ!気色わりぃ事でけえ声で言うな!」
 大空たいくうの声を大鷹おおたかは涙ぐんだ笑いで見下ろす。
 「へへ〜。でもオレは、おまえ好きだぁ〜」
 「ま。俺はお前らに護ってもらう契約だ。俺を無事に、連れ帰ってくれ。まあ、俺もたまには協力してやる。お前ら助けてやるよ。大馬鹿もんで手に負えねえ、そばかすの小男の”‍おふれしょ”さんよお」
 「うっせえ!そばかすの小男も”おふれしょ”もいらねえっ」
 おぎはやはり、心配している事など露程つゆほども見せず、嫌味たっぷりに悪態つく。
 「決まりだなあ〜!この先も〜みんな一緒だあ~」
 大鷹おおたかが大きく告げると、大空たいくうが衣の上から胸の辺りを握って笑う。大空たいくうの懐の隠し袋。今はどれほどの思いが込められているのか。
 目頭が熱くなり、瞬きして誤魔化す。見ると九月くげつ海京かいきょうも同じ目で大空たいくうを見ている。
 大きく派手に鼻をすする音がした。大鷹おおたかが太い腕で豪快に涙を拭っていた。
 「ちきしょ〜!くう~!くう〜〜〜っ!!」
 「何なんだよ、おまえ。何泣いてるよ。ヘンな奴だあ」
 大空たいくうが困ったように声をかける。
 「だって…だってよ~っ!う…うぇ…うお〜ぅ…」
 大鷹おおたかはとうとう堪こらえきれず、えるように泣き始めた。
 「おぉいっ…。でけえ男が、大声で泣くなー。みっともねえー…」
 海京かいきょうがくすくす笑って優しく大鷹おおたかの背中を撫でる。
 大空たいくうは引きつった顔で、とりあえず大きな背中を軽く叩いて慰める。
 決意とこころざしを新たに、一行いっこうは翌日、美しい香りの都を発つ事を決めた。
 早朝、別れを惜しむ代理だいり達をあとに、一瞬の時の切なさの残る香蘭こうらんみやこあとにした。
 去る時、香蘭こうらん頭代理かしらだいり大空たいくうを見上げ、何とも切なそうに別れの言葉を告げていた。その時、大空たいくうの手に何かを渡し、そのまま強く握りしめ、代理だいりはとうとう泣き出した。
 やがて、派手に泣きながら大空たいくうの胸にすがりついた。
 「かしらあー!ちゃんと無事戻って下さいよーっ!かしらあーっ!」
 「うわ…おい、何だ何だあ」
 胸に代理だいりをすがりつかせ、大空たいくうはひたすら困り果て、腕を広げて泣く姿を見下ろすのみ。女代理だいりはこれ幸いと図太く欲を出し、さらに背中に腕を回して抱きついた。
 「お、おおーい!」
 「かしらあー。かのみやこには何の為に伺うのです~?」
 女代理だいりが泣きながら顔を上げる。その目にしっかり色気を含ませ大空たいくうを見上げる。背中に回した手は離さず、より一層、力込めるのを衣のしわが教えてくれた。
 「あそこは、銅章があっても、いつ何時なんどき、何が起こるか分からぬ地。未開の野蛮な未知の地です!しかもかしらは、”おふれしょ”の男。寝首かかれぬよう道中くれぐれも気をつけて下さい!死んじゃ嫌です!かしらは危ない目にあうの嫌!いいですか!盗賊街道では女に注意!色事で隙なんか作っちゃ駄目ですっ。危ないですから絶対駄目!女なんかにうつつ抜かしちゃ駄目ですよ。連れの女で我慢して、他の女なんか構っちゃ駄目!どこもかしこも要注意!私がこんなに気にいったかしら、これまで一人だっていやしません!死んじゃ嫌ー!嫌ーん!かしらぁ!何なら私、探します!この大陸の大元締(おおもとじめ!探しますから!!かしらぁ、きっと生きて帰って首とって、銅章奪っちゃって下さいな!かしらがこの大陸の総元締そうもとじめになってー!」
 「ちょっと…気をつけないと!…危ないですよ。謀反起こす気だと密告されたらどうするんです。探さなくても総元締そうもとじめは…あぁ…いえ……」
 大胆な発言の頭代理かしらだいり九月くげつは急いで注意するも、慌てて口を閉ざし一歩引く。
 大空たいくうの為に探し出したい謎の総元締そうもとじめを目の前にしながら、香蘭こうらん頭代理かしらだいりは、泣く泣く渋々、手を離し、上目使いで恥ずかしそうに大空たいくうを見上げ、胸にそっと手を置いた。
 「私、かしらが大陸の総元締そうもとじめになったら、今よりもっと何でも、言う事聞きますから‍‍。どこへだっていつだって、夜中でも昼でも早朝でも、身をきれいにして駆けつけます!いつでも寝間ねまにお呼び下さい。ね、かしら
 「え…?い、やぁ…よぉ…」
 大空たいくうは引きつった顔で絶句する。固まった顔でとうとう九月くげつを振り返る。九月くげつは苦笑し、仕方なく別れの挨拶を引き受けた。
 「では、私達はそろそろこれで。先を急ぎますのでね。香蘭こうらん頭代理かしらだいり。それでは、戻ったらまた、宴の用意をお願いします。あぁ、かしらは、酒樽さかだる三つじゃ足りませんから、その辺よろしくね、代理だいり。その時、かしらにもう一度今のように言ってごらんなさい。もしかしたら、夜、あなたをとこに呼んでくれるかもしれませんよ。女は、簡単に諦めたりしないものです!」
 大空たいくう九月くげつに焦りの目を向け無言で必死に抗議するも、頭代理かしらだいりは心底嬉しそうににっこり笑い、大空たいくうに向かって色気を込めた視線を投げた。
 「はいっ!かしらぁ!私、待ってます!」
 「い、や…。あの…よぉ…」
 「かしら!私、待ってますから!かしらに女が何人いようと、私は平気!いつか、そのうちの一人にして下さい!約束ですよっ」
 「い、いや…」
 「かしらかしら酒樽さかだるは四つにして、お帰りずうっと待ってます!あ、他の皆さんにも酒樽さかだる一つづつ用意します。皆さんもお帰り待ってまーす!お気をつけて、行ってらっしゃいませ。死んじゃ嫌ですからねえ~っ。かしら‍ーぁ!‍」
 大空たいくうはもはや言葉もなく、無言で代理だいりに背を向けた。
 「かしら‍ー!気をつけて行ってらっしゃいませー!」
 背後で見送る女代理だいりの切ない声が遠ざかる。おぎが途端、乾いた笑いを落としていた。
 「ふっ…。酒樽さかだるが…九個も…お前の帰りを待ってるってよー。良かったなあ、かしらあ。もれなく代理だいりもついてくるぜ。俺はきっと…酒樽さかだる一つも、めねえよ!誰もめるか!殺す気か。一人に一つもいらねえよ!お前気に入る奴、みんな、とことんヘンな奴ばっかりだ!」
 「うるっせえ!おれのせいじゃねえっ。代理だいりおぎぃ、おまえに任せる。好きにしろ。死ぬ程女が好きだろが!」
 「いや、だからよお…護衛は相手できねえって…お前いい加減、裏の世界のおきて覚えろ!! かしら自らおきてを破るな!」
 「ええ、ええ。まったくですねえ」
 おぎの抗議に賛同しながら九月くげつがぼやいて頷いた。
 「へっ。ま、何はさておき。いよいよ蘭秋らんしゅう最後のみやこだ」
 二人の抗議をあっさり無視し、大空たいくうが楽しそうに顔を上げた。
 意外にもすぐ目の前に、次のみやこの門が見えた―――。

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宇郷  伊織 お心のこもったサポートありがとうございます。 頂いたサポートをフルに活かし、無駄にせず、より一層、心の安らぎのお役に立てるよう、日々楽しんで精進します。 どうか、あなたの人生も安らぎと笑いにあふれた日々でありますように☆彡 心から感謝いたします。