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【短編小説】カメラを止めるな #シロクマ文芸部

『六月は記念日なんだよ。そう、六月六日の今日。妻が家で料理を作って待ってるんだ』

 男はカツリカツリとコンクリートの床を打ち鳴らすように足音を鳴らす。

『だからね、本当ならもう、家に帰って妻と過ごした時間を振り返ったり、これからの未来を語りたい。そう思っているんだが……抑えきれないんだ。わかるかな?』

 男が部屋の奥に歩みを進める。窓も明かりもない室内には淀んだ空気が充満していた。カビ臭さに混じって鉄のような据えた臭いがする。1本の蝋燭に照らされた、椅子に縛り付けられた人間がうめき声を上げた。

『きみも、旦那さんがいたよね。かわいそうだね。ああ、かわいそうだ。もうきみは彼には会えないし、彼も……きみには会えない。旦那さんはきみを探して夜の街を歩くかも……しれないね。でも、仕方ないんだ。きみの美しい長い黒髪を……見ていると、止められないんだよ』

 男は椅子に歩み寄ると手を伸ばし、前髪が後退して薄くなった、残り少ない頭髪を乱暴に掴み上げた。

『……ああ綺麗な髪だ。ぼくの妻はね、パーマを当てるんだ。うねうねとした髪が傷んで茶色くなって……白髪もちらほら混じってね。きみのこの髪……』

 男は震える拳を力の限り引き上げた。ぶちぶちと毛髪が抜かれる音とくぐもった悲鳴が、無機質な室内に響く。

『……がいけないんだ。最近は抑えられてたのに。ああ、もう時間がない。きみには悪いけど、手早く……済ませよう』

 男は歯が折れんばかりに奥歯を噛みしめると、ナイフの鞘を払った。落ちた鞘がコンクリートの床を叩く音が、終末の鐘のように鳴った。猿ぐつわをされた、声にならない声が必死に救いを求めている。

 男はナイフを無造作に前に突き出した。鋭利な先端はほとんどなんの抵抗もなく、肩の肉にめり込み骨で止まった。猿ぐつわが無ければ絶叫が響いたであろう室内には、くぐもった獣のようなうめき声が渦を巻いていた。

「──ここでカットか? これでいいか? どうだ? 痛いか?ちゃんと聞いてたか? おれの妻も……痛かったろうなぁ。なあ、監督。お前が書いたセリフもちゃんと覚えてたろ?」

 ナイフを捻ると、スピーカーのボリュームを上げるように唸り声が一段と大きくなった。

「妻を殺したお前が、それを、映画にする? お前は人間なのか? 人間じゃないよな? ──台本を見たときは驚いたよ。驚いたどころじゃないな、歓喜したよ。警察と犯人しか知らないことが、克明に書いてあったんだからな」

 ナイフを引き抜くと、コルクを抜いたシャンパンのように鮮血が噴き出した。床に置いてあった古びたバッグからガスバーナーを取り出すと、先端にライターの火をつけた。青く燃える火の先端を、まだ勢いよく血を流す傷口に向けた。

 椅子に縛られた、だらしなく肥えた男が声も無く小刻みに震える。椅子から垂れ流された液体が床に染みを広げた。

「まだ死ぬなよ? 映画はまだ続くもんな。なあ、売れない役者のおれにオファーしたのはなんでだ? おれの反応を見て楽しみたかったのか? 警察から全て教えてもらってるとは、考えなかったのか?」

 男は幼馴染の刑事の顔を思い浮かべた。もう二度と笑って会うことはできないだろう幼馴染の幻影を振り払うと、荒い息を吐く醜い男の猿ぐつわを取った。

「──ちがっ、違う! 私は、関係ない! 妄想しただけ、創造したん──ぎゃあああ!!」

 監督と呼ばれた男の太ももにナイフが突き立っていた。男は静かに監督の耳元で囁くように呟いた。

「映像、撮ったよな。観たよ……吐き気がしたし……実際何度も吐いた。毎晩夢に見るよ。妻がお前に切り刻まれる場面を」

「──空き巣に入ったのは、お前か……」

「ちゃんとカメラも回してるよ。あんたの撮りたかった作品通りに死ねて、本望だろ? じゃあ、続けるぞ。なんだっけな? そうだ」

 男は太ももからナイフを引き抜いた。噴き出した血が男の背後からシャワーのように降り注ぐ。男は三脚に固定されたカメラを振り向き、狂ったように叫んだ。

『カメラを止めるな! 回し続けろ!』

 レンズに写る顔は返り血に染まり、蝋燭の火を反射してゆらゆらと揺れていた。その顔は笑っているようにも怒っているようにも、泣いているようにも見えた。

 男はカメラから目を逸らし、椅子の横の暗がりに目を向けた。

「てことで、あんたが共犯だよな?」

 そこにはもう1人、ぶるぶる震える裸の男が、パイプ椅子に括り付けられていた。

「じゃあ、ここからが本番だ。よーい、スタート!」




天気のせいか、なんだか暗い物語ばかり作ってしまう今日この頃。夏が待ち遠しいです。

小牧幸助さまの企画 シロクマ文芸部「六月は」に参加させていただきました。 よろしくお願いします。

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