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誰も見ていなくてもやってしまうことを、見える場所に置いておくだけでいい。

約半年前。やりたいことをやりたいようにやっていたら偶然にも「フォロワー数」という数字を手に入れてしまった。今思えばそこからずっと、私はその奇跡のような実績をなんとか活かそうと掌にぎゅうっと握りしめて、寝ている間も肌身離さずに持ってきた気がする。

それは天から降ってきた授かり物。長年の苦労の結晶のように思えた。でも今、私はその結晶の重さによって川の底に沈んでいる気がする。

一言で言えば「欲が出た」のである。

なんか俺の引き寄せってわかりやすいらしい。
人生が変わったという報告もたくさんもらえる。

もっと引き寄せを伝えなくちゃ。
もっと人生を変えてあげなくちゃ。
そのために、お金を稼がなくちゃ。

気づけば私の頭の中には「求められている価値を出さなければならない」という呪文が四六時中鳴り響いていた。

価値を出すために、たくさん学んだ。
役に立つために、たくさん試した。

でも、周りからの反応は小さくなるばかりだった。

私は自分が、かつて一世を風靡した「タピオカ屋さん」なのだと思った。一瞬のブームで人気者にはなれたが、時が経ち、みんなが離れていってしまった。ほとんどの人はただ「盛り上がっている感」に惹かれてきた人たちだったのか、と。

そこに残ったのは「人気だった頃」の自分をトレースして再び人気を取り戻そうともがく、哀れなピエロ。それでもだめならと、今人気が出ている人のやり方を学んで真似してみたりもした。

もがいても、納得できるような結果は出なかった。


そんな日々に疲れてしまい、
私は毎日続けていたラジオを休んで、
やりたいことをやってみた。


なぜか無性に、釣りと農業がしたい。

今の生活ではどうやっても釣りも農業もできないから、ゲームで気分を味わうことにした。

私の中に、慣れ親しんだ匂いのする水が流れ込んでくるのを感じた。

そうだ。

これだ。

今思えば私は、浮葉としてのフォロワー数が30人くらいの頃から毎日ラジオで生き生きと自分の想いを伝えていた。誰が聞いてるかもわからない。いいねも同業者からしかつかない。でも、そんなことは関係なかった。

話したいから、話していた。
それをただマイクで拾い上げて、放流していただけだ。

マーケティングを学び始めた今、この姿勢がいかに非合理的かということは痛いほどにわかる。何がしたいんだ?と言われるであろうこともわかる。

でも今の私なら、この問いにスッキリ即答できる。

話したいから話す。
やりたいからやる。
それだけだよ。

いつの間にか私は「資産になるからやる」「ビジネスの土台になるからやる」「役に立てるからやる」といった動機で、やることを決める人間になっていた。そういう人間が悪いと言っているわけではなくて、私はそういう生き方とは極めて相性が悪い、という話だ。

これをやり始めると苦しくなる人間なのだ、私は。

幸せを感じる行動に、合理的な動機などいらない。

引き寄せについて話したいから話す。
釣りがしたいから釣りをする。
土をいじりたいから土をいじる。

歌いたいから歌う。
描きたいから描く。
踊りたいから踊る。

この在り方に情報発信をコネクトして、自分が幸せを感じる行動をしている様を見てもらうだけでいいんだ。そこに価値が無いわけがないじゃないか。

皮肉にも私が最も結果を出していた時、私はこのように生きていた。

ということで、浮葉の気づき。

価値を出そうとしなくていい。
夢中な姿を見てもらえばいい。

誰も見ていなくてもやってしまうことを、
見える場所に置いておくだけでいい。

ちなみに今の私の夢中はこれです。

なにやってんだ?って思いましたか?

これが浮葉です。

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