書きたいことを書きたいように書いてみた
純度100%情報発信者、ライフチューナー浮葉です。いつも私は「書きたいことを書きたいように書こう」と言っています。ちょっと今時間が空いたので、純度100%のnoteというものを体現してみようと思い、筆を取っています。では、いきましょう。
最近、私の発信がスコーーン!と原点回帰したな〜と感じています。引き寄せの人としての認識が強い中、よくもまあここまで露骨に原点に回帰したな、と自分でも思います。引き寄せについて話す浮葉が好きなんだよ〜という方はあまり歓迎できない流れかと思いますが、これが純度100%という生き方なので大目に見てね。
で、お前の原点ってなんなの?っていう話なのですが、これはもう完全に「自分の人生の大部分を、他人の声を聴いて生きてきてしまった」という強烈な気付きに端を発しています。
その頃のことを今思うと、本当に不思議なんですよね。冷静に考えると異常なことがたくさんあったのですが、当時の私はその異常性に全く気づいていないんです。
すぐに思いつくのは、
小学校の「将来の夢」の作文に「国公立四年制大学に進学して医者になること」と書いていた
ってやつですね。
何が怖いって、
国公立四年制大学というものがなんなのか全く理解していませんでしたし、医者になりたいとも思っていなかったってことです。
それなのに、そんなことを何の違和感もなく書いていたんですよ。周りの大人たちがみんな「君は優秀だから医者になれる」と言っていたので、それをそのまま自分の夢にしていたようです。
どんなホラー映画より怖いと思うんですけど、どうですか?
でも、みんなが褒めてくれるし、実際に何をやっても上手にできるし、悩みなんてほとんどなかったんです。だからこそ、私は自分の人生と向き合うことなくずーっと成長してしまったのでしょうね。
でも、私だけじゃないと思うんですよね。こういう人。というよりも、本当に自分の声に従って生きている大人の方が少ないように思います。
私がずっと思っているのは「今の社会にそのまま弾き出された人間は、自分の人生と向き合う精神年齢になる頃にはもうキャリアがある程度進んでしまっている」ということです。
ここで私は幸か不幸か、キャリアが全く形成されていなかったので自分を「ヨイショ」と変えることができたのですが、なまじ優秀なキャリアを獲得してしまった人は大変だと思います。
身近にもいますが、大手企業のプログラマが突然地元に帰ってきて農業始めたよ、とか、看護師やめてフォトグラファーになったよ、とか、そういう人。大好きなんですよ、私。
ちょっと話が逸れましたが、言いたかったのは「人生のどこかのタイミングで自分の声と向き合うことができるかどうか」って、本当に大切だなあ、ってことなんですよ。
善悪の話ではなくてね、シンプルに「自分の声を聴いてると思ってたけど実は違ったっぽいな」って、命が終わる直前に気付くよりは、早めに気付きたいと私は思うんですよ。というか、そんな時に気付くならそのまま気付かずに天国に行くほうがいいかも、、、とさえ思います。で、実際、これは私の感覚ですけど、そういう人の方が多いような気がするんですよね。
「自分の声を聴いてると思ってたけど実は違ったっぽいな」って、随分歳をとってから気付く人。
私は30代で気付けたのでラッキーだったと思っています。何度も言いますが、別にどっちが良い、どっちが悪いって話じゃないんですよ。でも、一度くらいは「この人生、本当に自分のものかな?」って問うてみて欲しいなって思います。
あなたの人生、本当にあなたのものですか?
もしわからなくなってしまったら、ライフチューニングしてみましょう。
それを体現しながら、お手伝いしちゃうのが、私のライフワークです。
