凶器
人は言葉で傷付くものだと信じていた。暴言も罵倒も、声という形をしているから。しかし、私の中に長く居座り続けているものは、決まって発せられなかった言葉ばかりだった。沈黙は何もしない。何も壊さない。何も生み出さない。そう思っていた。ところが沈黙は、時間という味方を得ると途端に性質を変える。何もしていないはずなのに、確実に何かを削っていく。鉄が錆びる速度で、肺が埃を吸い込む速度で、人は少しずつ沈黙に侵食される。
私は言葉を信用していない。正確には、言葉を口にした後の世界を信用していない。発言には責任が生じる。責任は評価を生み、評価は他者を連れてくる。他者は私を勝手に理解し、勝手に誤解し、そのどちらも私の手から離れていく。だから私は黙る。黙るという選択は消極的でありながら、妙に合理的だった。何も言わなければ間違えない。何も言わなければ嫌われない。そうやって積み重ねた沈黙は、私を守る壁ではなく、私だけを閉じ込める部屋になっていた。
不思議なことに、沈黙は外から見れば穏やかだ。怒っているようにも、優しいようにも、賢いようにも映る。人は沈黙に意味を与えたがる生き物らしい。何も書かれていない紙を前にすると、勝手に物語を読み始める。それならば私は何も書かれない紙でいようと思った。しかし、白紙には白紙の問題がある。誰も書かなかったのではない。何も書けなくなっていただけだった。
沈黙は空白ではない。音のない場所でも思考は絶えず擦れ合い、言葉になれなかった感情は行き場を失って体内を巡り続ける。出口を失ったものは消えない。ただ形を変えるだけである。諦めになったり、愛想笑いになったり、夜更けに急に思い出す記憶になったりする。そう考えると、人は言葉で傷付くのではなく、沈黙の保存方法を知らないから壊れていくのかもしれない。
私は何度、自分を守るために黙ったのだろう。そのたびに何を失ったのだろう。沈黙は刃物ではないから痛みが遅れてやって来る。だから気付いた頃には、もう随分と殺されている。
