無理をした、そのさきで思ったこと
こんばんは。今日は、自分に起こった小さな出来事について、少しお話しさせてくださいね。
幼き日
わたしの育った家は、山を背に、目の前を二級河川が流れる平地に鎮座する、古くて大きな平屋でした。
玄関には、少し高めの上がりかまちがあり、畳の部屋へよじ登ると、そこから和室の先に、仏壇の置かれた部屋があり、その部屋のかもいには、幾人もの遺影が並んでいました。
朝になると、その上がりかまちに、山や田・畑にでていく男たちが立ち寄り、お茶を飲みます。それから、夕方になると、母が彼らに簡単な酒のつまみを出し、誰もが少し休んで帰るのです。
わたしはいつも、そんな客人に挨拶するよう、奥の部屋から引っ張りだされていました。
やや病弱で、幼稚園には半分ほどしか通えなかったわたしは、朝、よく熱をだしました。
そんな日は、スーツ姿の父が、わたしの布団の足元に立ち、「帰りにはバナナを買ってくるからね」と必ず声をかけてくれました。
そして、夕方になると、沢山のバナナを乗せた父の車が庭先に滑り込む前から、わたしは父が家の近くまで帰ってきたことを、はっきりと感じていました。
不気味な恐ろしさ
大人はもう忘れてしまっているかもしれませんが、子どもの心というものは、大人が思うよりはるかに複雑です。
ほんの4、5歳の頃から、わたしの心は、放射線状にどんどん物語を作っていきます。
そんなわたしには、小さなころから苦手なものが数えきれないほどありました。
夕方のアニメやテレビドラマに潜む暴力的な描写。それは苦手というより、気を失うほど恐ろしいものでした。
もちろん、夏の怪談物など、観てはいけないものを上げればきりがないのですが。
そんなシーンを目にしようものなら、その直後から、目にした映像がわたしの心の深くまで潜り込んでいくのが分かるのです。
そして、古くて大きなその木の家に、夜がやってくると、誰もが寝静まった頃、いつだって幼いわたしは、不意に目が覚めるのです。
墨のように暗い部屋の中、あまりの恐ろしさに目を開くこともできず、キー、バキッ、という木の鳴き声に、どんどん体が固くなっていくのです
それから、「大丈夫だよ、夢だよ、ほら、起きてごらん」と体を揺り動かす祖母の手。
すると、回転するチェーンソーがどんどん迫ってくる夢から抜け出せたり、梯子のてっぺんに登った自分の体が、後ろ向きに倒れていく夢の中から救い出されたり。ギリギリのところで祖母が救ってくれるのでした。
夜の仏壇の部屋の遺影、廊下の先の暗い部屋、その隣にあるトイレ、どこにも、何かがうごめいている気がしてなりません。
そんな家が怖くてたまらなかった幼い日々。
けれど、それは小学生になっても、中学に上がっても同じでした。
そんな怖がりのまま、わたしはやがて、田舎のあの古くて大きな家から巣立っていきました。
謎の痛み
そして、それは、数日前の夜中のことでした。
仰向けになっても、右肩を下に寝返りを打っても、左胸から背中にかけて走る強い痛みがズンズンと迫ってくるのです。
思えば、朝から鈍痛があり、それが昼すぎには、ちょっとした痛さになり、夕方には脇腹の辺りが痛みだし、夕食時には「明日は病院に行かなきゃ…」へと変わっていました。
それから、床に着くと間もなく、未知の痛さに襲われはじめたのです。
息をするだけで激痛が走ります。
そんな中、一体、自分の体に何が起こっているのか見当もつかず不安が膨らんで行きます。幼かったあの日の恐ろしさのように、それは、どんどん大きく膨らんでいくのです。
隣には、疲れ果てた夫が深く眠っています。
恒常的に大忙しの夫。それでも、ここ数ヶ月の激務は見ているこちらも心配するほど。普段、不平など口にしない、とても平和な夫です。その夫が、近頃では食事中にほとんど口を開かなくなり、その顔色から、疲弊しきっているのは分かっていました。
起こしちゃいけない、絶対に起こしちゃいけない、朝が来るまで待とう、そう思い踏ん張っていました。
救急車、呼んで!
目覚まし時計に目をやると3時過ぎ。ふと、このまま内臓が破裂するのでは…そんな不安が頭をよぎります。
ついに「お願い。救急車呼んで」と夫を起こしてしまいます。
その時、夫、一瞬で飛び起きたのですが、それはそれは見たこともない慌てぶりです。「落ち着いて、大丈夫だから…」とわたし。
間もなく、ストレッチャーに乗せられると、「もしかしたら、結石かもしれませんね」という消防士さんの声に、不安の7割ほどが消えていきました。
母が尿管結石で苦しんだ姿を見ています。
ふと、気づくと、車内に大汗をかいた夫が乗り込んでいます。「帰って寝て…」というわたしの言葉をスルーして、夫は搬送先の総合病院までいってくれました。
涙がとまらない
救急病棟で簡易ベッドに寝かされたまま、様々な検査を受けていると、若いナースが、優しく声をかけながら処置を進めていきます。
こんな真夜中、見も知らぬわたしのために、働いて下さっている若き女性たち。
「石は見つかりませんでした」そうおっしゃる若い男性のドクターの声に、再度不安が押し寄せてきます。
それでも、鎮痛剤の点滴を受けながら、ベッドの上で痛みにあえいでいるというのに、どうしたわけか、涙がぽろぽろと溢れるのです。
そして、既にこの世を去った、優しかった父が、傍に居るような気がしてならないのです。
いま、父の側へ行くのなら、まあまあ父に恥じないように生きてこれたのかもしれない、そんな思いが押し寄せてきます。そして、また涙が溢れるのです。
恐ろしく怖がりだった幼い日のわたし。その怖がりだったわたしが、故郷を一人離れ、縁もなかった東京の地に根を下ろし、やがて家族を持ち、今はとても幸せです。
大切な会議があると言っていた夫。かつてなら、居ても役に立たないと分かると、迷うことなく帰ったであろう夫。その夫が、暗い救急病棟の廊下で、一人わたしを待っていてくれるのです。
そのことを、今のわたしは、とても自然に受け止めています。
ささやかなもの
恐ろしいことから逃げてばかりいました。
恐ろしさがつのってくるのは、知らないことを知らないままにしておくから、そんなことに気づけて、ようやく恐ろしいものから逃げることをしなくなって。
そこから、わたしは、だんだんと話すことも、人も恐れなくなっていきました。
息を吸うだけで激痛が走る中、幼かった頃、過ごした大きくて古いあの家や、父の大きな手、祖母の優しい声、そして、あの長い夜に震えていた、幼く心細そうな自分の姿が見えるのです。
けれど、今、わたしの傍には、分かりあえるまで四半世紀もかかってしまった優しくて実直な夫がいます。そして、わたしたちの暮らす家には、大切な家族も待っています。
欲しいものは大きなものじゃなかった。わたしの欲しかったものは、こんなにも小さくて、ささやかで、そして温かいものでした。
無理をした、そのさきで思ったこと
この数か月、かなり無理をしていました。まだ、検査結果はでていませんが、あの日の激痛は、おそらく無理を重ねた体が発したアラームだったのでしょう。
それでも、人生に、時に線が引かれることを、わたしは知っています。
そう、この日、溢れて止まらなかった涙は、わたしが感じた、人生に引かれた3回目の線でした。
きっと、ここからまた、わたしの人生は大きく変わっていくのでしょう。
あれほど恐ろしかった世界が、優しい世界へと変わり、今、わたしは人の出会いの素晴らしさと、家族を育む心地よさを知っています。
そして、見も知らぬわたしのために、まだ年若いナースたちやドクターが、手を尽くして下さるその姿に、わたしはひたすら胸が熱くなっているのです。
幸せも、感謝も、とても近いところにありました。
そんなことを思わずにいられなかった、救急病棟の夜について、おしゃべりしてみました。
※最後までおしゃべりにお付き合い頂き、ありがとうございました。
