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#20 別様の羊

前回の記事からほぼ5ヶ月が経ちました。
「note書きたいな…でも、まだかな」と筆を取りかけていたのですが、結局何も書かぬまま時が経ってしまいました。
この5ヶ月間、私生活も忙しかったのですが、仕事の面で新しいことに向っていく労力の要る日々でもありました。
その一部について振り返ります。

今年1月末、三里塚記念公園にて

新たなテーマ探し

『羊と日本人』を出版してから早や2年。
そのあいだ、日本の牧羊史や下総御料牧場の歴史に関する研究は少しずつ続けてきました。
主催した下総御料牧場シンポジウムをはじめ、成田市立図書館での市史講座や岩手県のホームスパンに関するシンポジウムへの準備、記事を書かせていただいている『SPINNUTS』の取材、それに先日の三里塚ジンギスカンマルシェでのトークセッションなど、機会に合わせて調査を進めています。

ただ、それらは新たな取り組みというより、羊本の補遺という位置付けであることは否めません。
とても楽しいし、まだまだやることはあるものの、いつまでもそこに留まっては居られない…そう感じながら出来ることをやってきたここ2年でした。

そんな中で、昨年は新たなテーマ探しを始めました。
noteでは「塩」に関する調査について書いてきましたが、現時点ではスローダウンしています。
焦らず時間をかけて熟成させたほうがよいかもしれないという思いの中で、また別の新たなテーマにかける時間が増えてきたからです。
実は、この新たなテーマというのは、羊本に向けた取材の頃からすでに意識していました。

三里塚の裏道壁画に描かれた羊たち

御料地に開かれた教会

『羊と日本人』は、主に「牧羊」+「開拓」という二つの動きで全体を構成する一方、各エピソードの心理的な側面として、日本人の外国に対する姿勢(日本人像)を意識して記述しました。
なかでも、牧羊関係者の群像とキリスト教との関わりは顕著な特徴で、羊本に収まりきらずカットしたエピソードも数多ありました。
そして、その特徴が最も具体的に顕れた場所の一つが、ほかならぬ千葉県成田市三里塚でした。

三里塚の街の中心には、明治時代に創設されたキリスト教会があります。
下総御料牧場という御料地の中に、キリスト教信仰の場が日本人によって、しかも元牧場員によって開かれたのです。
これを初めて認識したとき、私は大きな衝撃を受けました。
そして、その教会が牧場閉場後の空港闘争の拠点となっていたことを知って二度驚いたものです。

羊本の中では触れていませんが、三里塚教会は、教会の地主であり信者であり、空港建設に反対する戸村一作氏と、中立的な立場をとる川島正行牧師の対立によって分裂し、戸村氏側の信者は日本キリスト教団から除名されてしまいました。
分裂したもう一方の教会は三里塚御料地区にあり、教団公認の教会として存続しています。
(*以下、前者を「三里塚教会」、後者を「三里塚御料の教会」とします。)
いわゆる「三里塚教会問題」として知られるものですが、私は下総御料牧場史の調査をしていく中でそのことを知り、二つの教会が分裂したまま今も三里塚に存在するということに胸を痛めていました。

三里塚十字路からも十字架が見える

地域に親しまれた場所

三里塚教会の歴史の詳細については、ここでは割愛しますが、その道を拓いたのは戸村一作氏の祖父・丑之助氏でした。
御料牧場の牧夫として働いていた人で、その後、農機具製作を生業として三里塚に暮らし、一方で基督者として教会の元となる講義所を開設しています。
ですから、牧場史に関心を持っていた当時の私にとっても三里塚教会は無関係ではなく、キリスト教信者でないにもかかわらず、日曜礼拝に参加させていただいたこともあります。

その頃は、とにかく信者の方々にご挨拶をして自己紹介すること、そして戦前の記録を確認することが第一で、戦後の教会問題にまで取材範囲を広げる余裕はありませんでした。
ただ、教会の建物に入ったとき、外観では分からない静謐さと、礼拝のときに牧師と信者が一緒にテーブルを囲んで座るスタイルの親密さにはとても清々しい印象を受けました。
そして、後になって教会堂の建物が建築家・吉村順三氏による設計と知り、さらに教会問題が生じるまで幼稚園として地元の人たちに親しまれた場所でもあったことを知ったのです。

三里塚教会は近年、信者の数が減り、建物の維持も厳しい状態となっています。
信者の減少については、教会問題の経緯や高齢化、地域事情もあり、やむを得ない面もあります。
しかし、信者の方々のみならず、地域の人たちにも親しまれた大切な場所だったわけですから、少なくともその場所がどんな場所であるのか、もっと多くの人に知ってもらうべきなのではないか。
下総御料牧場の歴史とともに、もっと知られてもよい歴史がそこにあるのではないか。
牧場や羊の歴史を調べながら、私はそんなふうに思うようになりました。

吉村順三氏が設計した教会堂

別様の三里塚

そんな思いを自分なりに初めて行動に移したのは、一昨年の下総御料牧場シンポジウムに向けた最初の関係者会議(2023年2月)の時でした。
三里塚教会の信者の方のご協力を得て教会見学を企画し、会議の前に希望者を募って見学に訪れました。
その時、多くの方から「懐かしい」「一度来てみたかった」という言葉をいただき、やはり何かしなければならないという思いをさらに強くしました。
その後も、個別に教会見学をお願いするなど足を運ぶ機会が重なりました。

昨年11月には、千葉大学・頴原澄子准教授のゼミ学生さんたちが三里塚教会でのキャンドルナイトを企画して実現しました。
このイベントでは、神奈川大学の松隈洋教授による講演もあり、地域内外からたくさんの方が訪れました。
改めて、この教会への注目の高さが認識されたとともに、初めて教会外の学生さんたちによる企画が実現したということで一つの画期にもなりました。

加えて、同イベントの準備中に喜ばしい出来事がありました。
教会堂の竣工時に開催された献堂式に関する文書が見つかり、そこにこれまで知られていなかった大切な人の繋がりが書かれていたのです。
それは、下総御料牧場史を研究してきた立場としても非常に興味深いもので、三里塚という地域が持つまた別様の表情のようにも思えました。
それ以来、私の関心は、この御料地に開かれた教会の歩みに向けられるようになりました。

キャンドルに飾られた三里塚教会

教会、羊、塩

三里塚教会の歩みに対する私の関心が今後どのようなかたちで続くか、何の役に立つのか、何かしら実を結ぶか、現時点ではまったく分かりません。
ただ、手応えとして、下総御料牧場や牧羊の歴史に勝るとも劣らない重みや広がりがあり、私自身にとってもっと直接的で深部に及ぶ関心事であり、どうも避けては通れないという思いがあります。

これ以上具体的には書きませんが、しばらくは上記のようなことを考えながら動いていくつもりです。
このnoteを読んでくださり、もしも何か思いつくことがありましたら、どうぞ私に話しかけてください。
楽しみにお待ちしています。

そうそう、もちろん羊本の取材で出会った谷邨一佐や、スローペースな塩に関する調査も上記内容に関わってきますので、おいおい全て続けていくということです。
<おわり>

三里塚教会堂の献堂式芳名簿






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