#24 自分の言葉で紡ぎ出す
約2カ月ぶりのnote更新です。
前回の投稿で書いたとおり、4月から新たな環境での仕事が始まっています。
挑戦もあり、やりがいもあり、楽しみもあり、忍耐もありです。
しかし、ここではその内容には触れず、引き続き三里塚教会関連の進捗について書いていきます。
この2カ月で、対面インタビューのかたちで2人、集会や個別の対話で複数の方々とお会いしました。
皆様、それぞれの立場で別々の経験をされていますが、三里塚の何らかに長年関わられてきた方々です。
三里塚教会に直接関わっている方もいれば、間接的に関わったことがあるという方もいます。
そうした方々との対話を通じて、過去の出来事の認識を確かめながら、気づきを与えていただいたり、新たな資料や関係者をご紹介いただいたりします。
貴重な記憶をお話しいただき、それを受けて自分の言葉で紡ぎだせるようにしていく作業でもあります。
三里塚教会の歴史は明治時代に始まり、紆余曲折を経て現在まで続いているわけですが、ご存命の方が直接記憶されている時代というのは、ほぼ戦後に限られます。
そして、戦後80年のうちでも、最初の20年ほどの記憶をもっておられる方はごく少数です。
そもそも全体として三里塚教会に関わられた方の数自体、決して多いとは言えず、その限られた方々も高齢化が進んでいるため、お話を伺う機会は年々減っていく状態にあります。
ですから、現存する史資料を幅広く紐解く作業と、なるべく多くの人に会って記憶を集めていく作業の繰り返しを絶えず進めていく必要があります。
それらの作業を進めるうち、新たな気づきや状況の変化によって自分の見解が変わってくることもあります。
今回の三里塚教会に関する調査は、新たな気づきと状況の変化の2方向から揺らぎを与えられ、現時点ではどう着地するか自分でも読み切れていません。
こうありたいという希望や、こうあるべきという理想はあります。
しかし、仮に書籍のようなかたちで発表する機会が与えらえるとして、それを通じて出来ることは何なのか、そのあたりを含めた全容をまだ捉えきれずにいます。
三里塚という地域の歴史ではありますが、そこに芽生えたキリスト教という信仰の歴史であり、その教会が直面してきた困難の本質や、関わってきた人の幅広さは、決して地域史の範囲には収まりません。
気づきは次々にやってきます。
さらに、現在進行形で変化する地域の状況から受ける影響もあります。
成田空港の再拡張という非常にナイーブな問題です。
過去の激しい闘争による地域分断の記憶が脳裏に蘇ってきている人も少なくないのではないかと思います。
三里塚教会の1世紀を超える歴史は、その後半で成田空港の歴史と直接的に関わってきます。
先日インタビューさせていただいた方は、空港建設で様変わりした三里塚を初めて訪れたときの印象として「焼け跡のようだった」と語っていました。
そんな一言が私の胸奥まで響いてきます。
三里塚教会の歴史と向き合うことで何が見えてくるのか。
今の時点ですでにたくさんの学びを得ていると感じています。
大切なことは、過去の教訓を無にせず、将来に禍根を残さないことだと思います。
そのために、私自身が今できることをやっていこうと思います。
相変わらずの漠然とした投稿になりましたが、今後も足を止めずにやっていきます。
<終わり>
